再著述する会話

今日は東京で、ナラティヴ実践地図 第2章のダイアログをKouさんとHikaruさんのファシリテーションで味わって来た。

午前の半分だけの参加だったけれど、このお二人の穏やかなファシリテーションには、私を惹きつけて止まない魅力がある。
第2章には、マイケルとヴィヴィアンとエイデルの互いの信頼感と協力、語りへの励ましの関わりがとてもドラマチックに展開されていて、事前に読んだ時も興奮が抑えられなかった。
つくづく、再著述とは、確かで充分な信頼関係の積み重ねの上に起こることなんだと思う。実が熟してポトリと落ちるような、そんな感じがしている。そして積み重ねとは、それに掛かる時間というよりも、密度というか、深さという方がしっくりくる。
信頼の構成要素のひとつには、会話がどう方向づけられても引き受けられるだろうという安心感が締める割合が大きい気がしていて、これは個人的に非常に重視しているところ。話をする側だって、相手が受け止められるのか、困っていないか、非難の気持ちが浮かんでいないかなど、様子を見ながら話すのだから。
そして、この章から感じ取れるマイケルの姿勢は、フラットで穏やかかつ冷静であり、会話の枠組みについて確信があり、周到だ。
素直に言ってしまえば、全てにおいてレベルが違う。当たり前だけど。けれどもマイケルもKouさんもHikaruさんも、それでもマイケルのダイアログが身近に感じられたら、何かその先に展開があるのではないかという希望を感じ取らせてくれる。
今日グループを組んだ仲間から、行為の風景とアイデンティティの風景の構図を意識してカウンセリングをしているか?と問われて、私は確かにある時期から意識してカウンセリングに取り入れていることを話した。
そして今、2年前のある研修の場で予想もしない展開で語ったクライエントが「もしかしたらこれを語りたかったのかも知れないなぁ」としみじみ言ってくれたことを思い出している。
語ろうと用意していた出来合いの話ではなく、ある情景をもう一度味わい直して改めて感じたこと、つまりアイデンティティの風景が語られた実感から、私は独立を心に決めたのだった。
再著述する会話。語りを励ます。やっぱりコレが醍醐味なのだなぁと今日の時点での振り返り。

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