私にとって、共に生きるということ。

キャリアの現場でナラティヴ案件に再び出会う。

深いところは、やはりキャリアの範疇を超えるため、悔しいけれど一旦リファー。しかしキャリアでの継続要請を受ける。

うーむ。確かに広義にはキャリアに繋がる。だけど、私レベルの者が調子に乗って対応し、こじらせてしまったら?という心配が、どうしても拭えない。つまり自信が無い。

そんな時、これまでご指導頂いたたくさんの先生方の顔が浮かぶ。いざとなれば助けてもらおう!という気持ちがフワッとやって来る。

あぁヒトは変わるんだな、と一人感慨深く深呼吸。

ちょっとしたズレがいくつも重なり、機能不全な環境に陥り、それによって上手く人に頼れなくなってしまった幼い私。

孤立した心を10年かけて解いてくれたのは、大人になってから出会ったキャリアの学びであり、ナラティヴ・アプローチの学びだ。

孤立感・絶望感は痛いほど知っている。

これは、ナラティヴ・アプローチほど丁寧で尊重される関わりでなければそうやすやすと解けるものではないと、実感を込めて言える。

周りを見回して、やっぱり私がやるしかないよな、と。

こんな私だから、そして何よりナラティヴ・アプローチだから、そのヒリヒリした“何か”に触れることができたんだ。

話す横顔を見て、感じた生命力。その人なら、乗り越えて行ける。自分の直感を信じよう。

新たなストーリーを描きはじめたのは、私と一緒にいた時だ。

私はその一歩の証人なんだ。

さぁ、共に行かん。

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