いったいどんなふうに私は誘われたんだろう

6日間のワークショップが終わりました。終わってしまうとあっという間でした。自分の中に毎日いろいろなことが起きていて、おいしい夕食を食べたらぐったり眠ってしまったので、今まで投稿を後回しにしていました。そろそろ何か書かなくは…と思って絞り出しています。すべてのことをまとめるのはとても無理なので、印象に残っていることから一つだけ書こうと思います。それは、カウンセラーの専門性のことです。

ワークショップの中で、カウンセラーの専門性について、オープンな対話に誘うこと、相手が語りやすい対話に招くこと、相手のローカルな知識を語る場を提供すること…など、何度か繰り返し聞きました。これって、どういうことなのだろうと思うのです。思えば、私自身、“ナラティブに誘われてNZにやってきた”…というようなことを以前書いていました。もし誘われていなかったら、NZへ来るというのは浮かび上がってくることのなかった選択肢だと思います。同時に、それは確かに自分の主体的な選択だと思える行動なのです。

いったいどんなふうに私は誘われたんだろう、と思い出してみました。スタートは、仕事をしながら何となく感じていた小さな違和感や辛さを、存在するもの、存在する価値のあるものとして認めてもらえたことのように思います。どうやってその小さな気持ちを伝えられたんだろうと振り返ると、(具体的には忘れましたが)私の状況について「どうですか?」というふうに尋ねてもらったことを思い出しました。主体的な選択だったと確信できる理由は、初めから私の中にあった小さな気持ちから全てがスタートしているからだと思います。それが認められたことで、その気持ちを持ったまま自分について考えることができるようになっていきました。そのきっかけにあったのは、「楽しいですか」とか「大変ですか」ではなく、「どうですか?」という質問だったと思います。シンプルだけど、決めつけのない、オープンで好奇心に基づいた質問でした。たぶん、「大変ですか」と問われていたら、その時の私は「大変じゃないですよ、やりがいもありますよ」と答えてしまったかもしれません。笑。

私に起きたことを私なりに考えてみると、力を行使されていた私の小さな抵抗を認めてもらったことで、支配的だった力の影響から抜け出すことができたように感じます。このとき、もし「大変ですか」と問われていたら、私はその言葉にまた別のディスコースを感じ取って(「大変とだけ決めつけられる」「大変と答えるとやる気がないと判断される」…など)、そちらへ抵抗する羽目になっていたと思います。それは、私がその前に感じていた思いとはすでに違うもので、私の思いはそのまま隠されて、無視されていたと思います。(そして支配が続く…!)

力に対しての抵抗は、確かにあるのだけれども、とてもあいまいで流されたり隠されたりしやすいものなのかもしれません。隠れてしまっている間は、誰かの言ったことや誰かに教わったやり方をなぞることしかできない。(A課長の方針に沿ったプレゼンをしたら、B課長からは思いっきりたたかれてぐったり。…とか。)なんというか、ディスコースに振り回されるような。すると、その時の行動は影響のあるディスコースを再生産し続け、同じように力に圧倒される人を増やしていくことにもつながってしまう。それは、自分がされて嫌なことを人にしてしまうことになる。(私にとってこれは大変居心地の悪いことです)抵抗がちゃんと認められて、言葉になって、確かにあると自分にも人にも伝わって初めて、自分なりの考え方ややり方が選択できるように思います。自分が何に影響を受けて、何の影響を受けないのか、選ぶことができる。そのためには、その人がしている抵抗やローカルな知識をとても注意深く探す必要があるし、それを一緒に認める誰かが必要になるのだと思います。まだ理解が曖昧なところですが、そういったことがカウンセラーの専門性として語られていたことの一部分なのかもしれないと思っています。

まだ言葉になっていない抵抗を探し出すことは、簡単ではない、繊細な作業のように思います。こちらが何気なく発した言葉にいったいどんなディスコースやパワーを相手が感じるか、注意深く気づく必要があると思います。同時に、相手の言葉が相手の何を表現しているのか(習得された知識による答えなのか―ローカルな知識についてのことなのか/何か支配的なディスコースに影響されているものかどうか…など)、慎重に受け取る必要も。きっと、自分が何かのディスコースにとらわれてそれに気づかずにいると、相手もそこに嵌めてしまうことになる。そうすると、抵抗は簡単に隠れて見えなくなってしまう。これはまだ直感的な理解だけれども、そういうことを意識して、そこに何が起きているか決めつけずに考え続けることが、リフレクティブなポジションに立つということなのかもしれないと思いました。

…と、ここまで一生懸命考えてはみたけれど、まだしっくりきていない部分も多いし、いまいちよくわからないまま書いていることもたくさんあります。それでも、ここへ至って、私はまた一歩、どこか後戻りできないところまで来てしまったようにも感じています。だって、こんな仕組みになっていると気付いてしまったら、もう自分の言葉や行動が相手に与える影響について無関心ではいられなくなってしまう(お尻がそわそわする!)。
このことについては、もっと知る方法や考える方法について、学ぶ余地があるように感じます。苦手意識はなかなかぬぐえなくても、まずは本をちゃんと読んでみようと思っているところです。あ、その前に、明日の勉強会が楽しみです。