「精神疾患と心理学」を読んで

・この本の全体構造について
 引き続き、ミシェル・フーコーの著作に手を出している。「精神疾患と心理学」を読んだ。ボリューム的に、「狂気の歴史」や「監獄の誕生」「知の考古学」ほどのボリュームはなかったものの、繰り返し読んで、本の全体構造を踏まえたうえでどう読んだらいいかという所まで行かないと、うまく読めない本だった。本書は第一部と第二部に分かれているのだが、とくに第一部をどう読んだらいいのかが一度目はよくわからなかった。というのも、第一部は、心理学において積み重ねられてきた考えに沿って、精神疾患を考察していくようなものだったからである。それは、その後のフーコーの歴史的分析において、むしろ拒否された方向性である。多様な領域で生じたことをその内的論理からではなく歴史的な事柄として追っていく、そんなフーコーの分析の方向性に慣れていたところだったので、心理学の論理を追いつつ精神疾患をどう理解できるかという、真逆の方向性に追いつけなかったのである。しかし、第二部との関係において、この第一部の意味がよくわかる。
 第一部では、心理学という地平で、精神疾患をいかに位置づけられるか、心理的な理論で精神疾患のどの側面の何を明らかにしてきたのか、しうるのかを、段階的に追っていく。ある理論や思考の枠組みが到達可能なところを描いた後、その思考が含み切らない側面をあげ、それに対応する別の思考や理論を出し、またその到達可能なところを描き、という繰り返しの中で、心理学が精神疾患の何をどこまで描けるのかを辿っていく。ただし、それもただ従来の理論を追っていくというよりは、なるべくそこに含まれる神話的な部分(「リビドー」のような、それ以上還元しえない仮定)に頼らずに何を描けるかを試みているきらいがある。そして、ジャネやフロイトや現象学的考察といった領域を順にわたりながら、『超病理学』『発達論的と退行としての症状』『葛藤』『病的世界の構造』といった次元で、精神病理というものについて何を記述しうるのかを描いていく。
 そして第二部では、狂気がいかに精神疾患として位置づけられていったのかを、文化、歴史的な視点から追っていく、いかにもフーコーらしい分析が行われている。この過程で、西洋社会において、もともと自由に歩き回っていた狂気がいかに疎外され、病的なものとして扱われるようになっていったかが描かれる。しかし同時にフーコーは、社会がいかに狂気へのそのような態度を形成していくかという過程が、心理学の成立の条件となっていったかをも描くのである。そして、第二部最後の「総体的構造としての狂気」において、フーコーは第一部で自らが思考を推し進めて見せた、心理学が病の本質として明らかなものとして到達しうる地点を、決して精神病理において本質的なものではなく、この歴史的な過程や社会や文化自体が病に対してとった態度の中で見出すことが可能となるものであり、心理学がその成立の条件として持っていたテーマの中に既に含まれていたものを再発見したに過ぎないようなものとして暴き出すのである。
 なので、「精神疾患と心理学」というタイトルを、心理学がいかに精神疾患を規定してきたかを描くような意味として介してはいけない。それは、心理学が精神疾患を客体化して語る言葉を増やしてきたと同時に、狂気を病とすることによって成立しえたこの社会における心理学が、むしろそのようにしか精神疾患を理解することができないという、心理学の限界点を記述しているのである。そして、最後には、心理学の皮肉な宿命、心理学を通して人間を理解する際の袋小路が描かれる。

・その後の歴史的分析のための足場固めの様な
 「精神疾患と心理学」は、1966年刊行のもので、フーコーの初期の著作にあたる。帯には「『狂気の歴史』を準備した著作」と書いてあるが、ネットで調べると「狂気の歴史」が1961年とある。ただ、書かれた順に刊行されるわけでもないとも思うので、そういうことだろうか。
 そして、読んだ後の印象としては、確かに「『狂気の歴史』を準備した」書物であると感じながら、むしろもっと広く、その後のフーコーの分析の方向性をも準備している著作のように見える。既に第一部の特徴について述べたように、この本は、精神疾患の本質的特性を明らかにしようとするような心理学の内的な理論にじっくりと沿って思考を進める、フーコーにしては珍しい(とはいえ、まだフーコーの著作は数冊しか読めていないが)部分を持つ。「狂気の歴史」や「監獄の誕生」では、このようなある現象に内在する本質を解しようとするような理論にはあまり付き合わず、むしろ歴史的な分析がメインとなる。
 だから、この本は、内在性から外在性へ、つまり、心理学と精神疾患という両者の関係で、内在的なものを明らかにしようとするような理論が到達しうるところが、社会や歴史の中でのその学問の成立条件や過程という所から光を当てたときに、いかにむなしいものであるかを示すために、言わば一度真正面から挑んだような、そういう書物であるように思う。「この社会で真理とされるような知も歴史的に成立したものに過ぎない」という、他の著作においては、もう前提的なところに置かれ、出発点の背後に置かれてしまっているこの部分について、なぜそのように言うことができるのかの検討である。それは、フーコーが、現象に内在する本質や象徴を追うのではなく、歴史的・考古学的分析に取り組むべきだとする自身の足場を、最初に大きく固めたという意味で、その初期の著作として意味があるのではないかと感じた。

・構造主義的分析からポスト構造主義的分析へのジャンプ
 フーコーについて書かれた情報を読んでいると、その仕事が構造主義と見なされたり、あるいはフーコー自身はそうではないというところでポスト構造主義と考えられたりと、少しそんなごたごたがあるというのを耳にする。そのことが今回少し見えた気がする。この「精神疾患と心理学」は、既に書いてきたように、心理学が行ってきたような精神疾患の本質を取り出すような試みをまずしてみせる。これは、本質主義、還元主義的なものだろう。ただ、フーコーはそれをやって見せたうえで、最後に、実はそうした病的体験が起こるのは、社会や歴史的な構造に規定されているという描き方をして見せる。これは、そのまま受け取れば構造主義的なものだろう(社会や文化の構造が、精神病の表現を規定するような)。
 ただ、最終的に、フーコーはこの構造主義的な仕事にはあまり興味を持っていない気がする。確かに、社会や文化の構造が病の表現型に関わってくるというこの示唆は構造主義だが、それは、心理学が内的な理論によって精神疾患の本質を取り出そうとした試みを棄却して見せるための方法として行っているに過ぎないといった風である。まだフーコーの著作群に手を出し始めたばかりだが、それでも後期の著作においては、やはりこのような構造主義的な仕事、つまり、ある現象を規定する深部構造を描いて見せて「どうだ」といった、そういう仕事ではない気がする。そうではなく、ある言説がそのようになるにいたる歴史を描いていっているというか。構造というよりは、やはり歴史を追っているような。うまく言葉にできないが、それは、やはり構造主義的なものの示し方は少なくとも目標ではなく、その次の何かを見ている気がするので、フーコーはやはりポスト構造主義なんだろうなぁというところが見えた気がする。

(以降は、「精神疾患と心理学」を自分なりに追いかけてまとめていった私的なレジュメのようなものである。22,000字くらい)

序文
 序文において、本書の主題を非常に簡潔にわかりやすくフーコー自身が書いてくれている。精神の病をどんなものと捉えるかについて、心理学で長く論争が続けられてきているわけだが、「以上の問題は、あまりにもしばしばとりあげられてきたため、今日ではうんざりするほどである。論争をつづけてみても、無益のわざであろう。しかし次の問いを問うてみてもよい。そもそも精神病理学と身体病理学双方において、病気とか症状とか病因とかいう概念に、同じ意味を賦与するところから、こうした困難がおこるのではなかろうか、と。心理的な病気や健康というものを定義するのが、こんなにもむつかしいのは、身体医学にもひとしく通用する諸概念を、そのまま心理的な病や健康にも適用しようとして、むなしい努力をつづけるからなのではあるまいか」「この考えかたによれば、精神病理学と身体病理学のかなたには、両者を支配する一般的、抽象的な病理学が存在し、この病理が両者に対して同じ概念をおしつけ、同じ方法を指示する、ということになる。ところが、これらの概念はすべて先入見であり、これらの方法はすべて仮定にすぎないのである。精神病理の根は、何らかの「超病理学」に求められるべきものではなく、歴史的な位置づけの中で、人間対狂人、及び人間対真正人間の、ある種の関係の中に、求められるべきなのである。このことをわれわれは示してみたいと思う」(p2)。

第一部 病の心理学的次元
・症候論と疾病論(病という本質があり、それを植物学的に分類できるという仮定)
 さて、第一部では、まず心理学的地平において、精神疾患の何をどう明らかにしているのか、その内部にある理論を見ていくところから始まる。そこでまず、あげられるのが、身体病理と精神病理という区別の前に、病一般をすべて同じようなものとするような前提があることをフーコーは引き合いに出す。
 「前に述べた一般病理学というものは、二つの主要段階を経て発達した」(p7)とフーコーは言う。ここで一般病理学とは、すなわち身体の医学と精神の医学を合わせたものであろう。その二つの主要段階とは、症状のかたまりによって病を分類したり理解する「症候論」。そしてもう一つが「疾病論」。こちらは、「病気の諸形態そのものが分析され、病気の発達段階が記述され、病気が示しうる変形が復元される」(p7)。つまり、身体の医学においても病を分類、分析してきたこの様式によって、精神の病がどう表現されてきたかをおうところからフーコーは始める。「それらはいかにも古くさくはあるが、それなりに一つの到達点であり、出発点であったことを忘れてはならない」(p8)。
 ヒステリー、精神衰弱、強迫状態、恐怖症、強迫神経症、躁病とうつ病、パラノイア、慢性幻覚性精神病、破瓜病、緊張病といった、古典的な精神疾患における症状と症状の発展段階について、これまでどのようにまとめられてきたかが述べられていく。フーコーによれば、「こうした分析は、身体病理学における分析と、同じ概念的構造をもっている。どちらにも、同じ用法を用いて、諸症状を疾患グループに配分し、大きな疾病単位を規定している」(p12)。そして、この方法の背景には二つの仮定があるとフーコーは述べる、一つは、症状以前の独立した本質があるという仮定。もう一つは、ある種の統一があり、その下位群、さらに症状の多様性といった分類学的な見方を採用する、植物学的な仮定である。フーコーの述べるところでは、つまり精神の病理へのこの身体病理の見方の適用は、単なる『病気とはそういうものだ』という形で行われたもので、両者の統一性や全体性といった問題は全く「開かれたまま」だという。

・総体的反応としての病:人格の障害という見方へ
 この問題のために、病理学の新しい方法や概念へ向かう。「今や個人の総体的反応ということに特別な地位が与えられている」(p13)。つまり、何か病気という実体や本質があるというわけではないという見方である。身体病理学でいえば、つまりホルモンや神経反応、ストレスへの生体の応答として、病理現象をとらえるということ。
 これに応答して、精神病理学も「心理的全体性」(p14)という概念に対して、同様の枠組みを用いることになる。そこで持ち出されたのが、「人格」という概念。「人格」の内在的な変化として、病が見られ始める。そして、「精神疾患を人格障害の大きさに従って」、「精神病」と「神経症」という二大カテゴリーに区別されていったというわけである。前者は「人格の総体の障害」、後者は「人格の一部だけがおかされる」障害というわけである(p15)。このようにして、「人格」という総体において病が見出されるに至る。
 さて、ここでも身体病理と精神病理が、同じメタファーにおいて記述され、「病の第一の名称が心理的なものであろうと、身体的なものであろうと、病気はともかく、世界における個人の総体的状況に関係するものとされる」というわけだ(p17)。しかし、これに対するフーコーの態度はやや厳しい。こうした考え方は、病の形態や現実性についての問題を省略し、「多幸症的ふんい気」をもたらすが、「しかし、残念なことに、多幸症とは、きびしさと同じ側には存在しないものなのである」(p18)と。ここはさらりと書かれているのでいまいちわからないが、個人的には、以下のような問題提起ではないかと思う。つまり、全体性、統一性を前提とし、病をその『損なわれ』とみることは、確かに一見具合がよく説明できるが、しかしそれは、『○○がなくなった状態』というネガティヴな記述様式であるがゆえに、病が生み出しているものについてのポジティヴな面を記述することができないということだろう。
 ちなみにこの本からは話が外れるが、このようなフーコーの、『本来あるべき形式が損なわれている、ということを暴くような言説』への、一種厳しい態度は、その後期の著作にも見て取れる気がする。『性の歴史1 知への意志』の序盤の問題提起においても、同じような問題提起が見られる。そこでは、ヴィクトリア朝以来見られる『性が抑圧されている』という言説に対する批判が見られる。フーコーは、そのような「抑圧の仮説」「性と、真理の啓示と、世界の掟の顚覆と、新しい日の到来の予告と、ある種の至福の約束とが一つに結ばれているようなそういう言説が、我々の時代には存在している」(『知への意志』p15)と述べ、そのような言説を語ることは、こう言ってよければ夢想的であり、快楽があるし、我々を抑圧する現実を打倒し本来的なものを解放しようとするようなラディカルな立場を取らせてくれてかっこいいし、確からしくも聞こえるが、そのような本来的なものを規定するものはそもそも想定できないのではないかと。だからフーコーは、その言説の立場をとること自体から離れた問題設定をする。「そういう言説が、我々の時代には存在しているという事実そのもの」に目を向けるのである。

・全体性の仮説が身体医学にもたらし、精神医学にもたらさなかったもの
 フーコーは問題提起する、「我々が示したいのは、以上とは反対のことである。すなわち、精神病理というものは、身体病理とは異った分析法を必要とするものであるということ、及び「身体の病」と「精神の病」に同じ意味を与えうるというのは、単なる言葉の技巧にすぎない、ということである」と(p18)。
 フーコーによれば、解剖学と生理学が、身体病理への医学に全体性というテーマをもたらしたが、それは原因分析等を排除したわけではなく、むしろ「より現実的な因果関係の規定ができるようになった」(p19)という。しかし「人格」という心理学的な全体性の仮説は、精神医学においては、そのような寄与はしていないとフーコーはのべつ。また、身体医学においては、正常なものと病的なものの違いについては、生体の適応反応の結果としてしっかりと説明可能になりつつある一方で、精神医学の人格という概念において、このアナロジーでは、正常反応から病的形態への移行をしっかりとは行うことができないでいる。また、身体医学においては、基本的に治療手段とは独立して病の性格を規定することができるが、精神病理の方では、出現する病の形態が、治療の形態との関連の中で見いだされる(精神病者への監禁と保護がヒステリーを生み出したように)。
 つまり、フーコーは、総体的反応とか、全体性という概念から病を捉える見方で、身体の病理と精神の病理に共通の構造を仮定することはできないこと、この超病理学的な仮定から離れる必要を主張する。「こういうわけであるから、病気に関するさまざまな抽象論を信用せず、人間自身をよりどころとし、精神の病の特殊性を分析し、心理学が病に割当てた具体的な形態を探求しなくてはならない。その上で、いかなる病にも還元されえない精神の病なる狂気というものの、この奇妙な地位を、どのような条件が可能ならしめたのか、ということを、はっきりさせなくてはならない」(p25)。

・ネガティヴな形式による症状の記述
 フーコーは、心理学のこれまでの精神病理の見方について批判的な視線を挿入していく。まず、19世紀の心理学が、ただ病をネガティヴに記述したことについて「廃絶機能という、あまりにも単純なテクストをもとにして、精神病理を読みとってはならない」(p30)とする(つまり、○○という能力が消失した、というネガティヴな形式の説明)。なぜなら、病はその一方で、何かを「強調もする」からである。例えば「複雑な統合作用の代りに、こまぎれの独語があらわれる」(p31)というように。この際、強調され現れるものは、「個人の発達史における原始的なレベルの特徴」すなわち「子供の諸反応」として、心理学では特徴づけられた(p32)。そこで、次に見いだされるのは、病を、発達の退行としてみなす考え方である。このことはジャクソンが「クルーニアン講義(1874年)」に、精神病においては脳のもっとも発達したレベルが侵されていると述べ、進化論的視点を導入して以来無視できなくない流れとなった。
 この、病を発達の歴史に見ようとする動きは、まさにフロイトの仕事の一側面であった。「リビドーの歴史、その発達の歴史、それが次々に固着を経ていく歴史は、いわば個人の種々な病的可能性を集めたようなものである。神経症の各型は、リビドー発達の一段階への回帰である、ということになる」(p35)。口唇期、肛門期、男根期といった、例のあれである。またジャネも、こうした方向性のテーマを「社会学的な地平」で取り上げる(p39)。つまり、人間の行動と、それに伴う意識はだんだんと複雑なもの、「むつかしい」ものへと社会的進化を遂げていったので、精神病はその逆行として理解できるといった風に。
 フーコーはこの考えに、また批判的な視点を挿入する。「以上のような分析の地平には、恐らくすべての場合に、神話とすれすれなところに位する説明的な主題が存在すると思われる」(p44)と。ここには二つの神話(それ以上さかのぼれないような仮定)があって、その一つはフロイトの「リビドー」、ジャネの「心的エネルギー」のように、「ある種の心理的実質」を仮定してしまっているということ。ただ、これは科学的かという視点で「すみやかに放棄された」。そしてもう一つの神話が「病人と原始人と小児との間に同一性がある」とする仮定である。こちらは「倫理的であるがゆえに」存続しており、フーコーはこれに「しかし、病人の病的人格と、子供や原始人の正常な人格との間に、同一性を復権させることは、全然意味がない」と述べている(p45)。
 やはりフーコーは、ここでも、そのネガティヴな説明の形式に異を唱えているように見える。つまり、病的とされる人格を、何かが引かれたもの、消失したものという単純なとらえ方をしていいのか、ということである。つまり、病的な人格とは、子供の、あるいは原始人の性格のこれこれと一致する、という説明ではなく、それ自体を「厳密に独創的なもの」(p46)とみなすべきだということであろう。
 ただ、フーコーは、これまでの分析すべてを棄却するというわけではない。「病的人格において、以前の年齢または他の文化においてみられるような、断片的行為を示すということは正しい」としつつ、ただ「問題は、病的退行の分析を無効とすることになく、ただこれらの分析を、神話から解放すること」にあり、フロイトやジャネはそれを成しえなかったとフーコーは言う(p47)。そこでフーコーは、フロイトとジャネの指摘や分析の結果について、こうした神話を抜いて、ネガティヴな徴候(廃絶された構造)とポジティヴな徴候(解放された構造)の輪郭をあわせて記述してみていく。
 ただ、描いて見せた後で、フーコーはさらにそこに批判的な視点を加えていく。「以上のような分析では、病理的事象の全体をくみつくすことができない」ので不十分だというのである。不十分な点というのには二つの理由があり、一つは「病的人格の構成が無視されている」という点である(p49)。おそらくは、客観的に、外部から、失われた機能と励起された機能を分散的に描いてみてもしょうがないということのようだ。どんなにカオスに見えても、残る行動が低次のものに見えようと、その人物の意識と生きる体験の地平において、その者の生きる宇宙、生きられた統一があるはずで、それを描かなければならないということ。
 不十分な点のもう一つは、「退行的分析は、病が向かう方向を記述するが、その出発点を明らかにしない」ということ(p50)。つまり、人が病むというとき、なぜある時期に、ある特定の症状を、しかもそれぞれの内容の固有性をもってそう現れるのか、ということについて、この方向では記述することができないということだ。フーコーはそれをいったんここで、「患者の個人的生活史に求められるべき」と述べる(p51)。したがって次の次元の分析が必要となる。「病を必然的なもの、意味あるもの、歴史性のあるものとする次元」(p51)。

・ある現実に対する逃避・防衛としての病
 フーコーは次に個人的生活史の領域から、次の次元の分析の検討に入ろうとするのだが、その際に、進化発達と生活史を分けるところから始める。この二つにおいて、現在と過去の関係は異なるのである。進化発達においては、過去の積み重ねの先に現在があり、その意味で「過去が現在を動かし、現在を可能ならしめる」(p53)。しかし、生活史においては、現在が過去に意味を与え、過去を了解可能ならしめる」(p53)のである。フーコーによれば、心理的生成についてはこの二つの次元から考える必要があるのだが、「精神分析の根源的なあやまり、そしてその後の大部分の発達心理学のあやまりは、恐らく、心理的生成の統一において、進化と歴史という二つの次元を互いに還元しえないものとして把握しなかったところにあったと思われる」(p54)と述べる。とはいえ、一方でフーコーは「フロイトの天才的な業績は」「発達論的地平をのりこえ、人間の心の歴史的次元に到達しえたところにある」(p54)とも述べており、まず精神分析の見方を借りて、精神の病を個人の生活史という観点か見てみようと試みる。
 そしてフロイトの女性患者の症例を参照しつつ、フーコーは、退行的なものが、生活史という面からどう考えられるかを記述する。そこで見えてくるのは、退行とは、単に自然現象というよりも、今ある現実から逃れるための意図的な逃走であり、そこには現在に対しての自己防衛という欲求がある」ということ。「患者が、自己の置かれた状況に対して示す逃避と防衛の総体――これが病の内容なのである」(p63)。この視点を持つことで、具体的な症例がどうしてそのようにその時期に固有の内容を持って現れるか(例えば、少年ハンスの馬への恐怖症は、なぜその時期に生じ、それはなぜ恐怖症という形態で、その対象はなぜ馬でなければならないのか)の記述の可能性を見いだすのである。なお、この際、フーコーは、フロイトが「死への本能」とかいったものを持ち出した説明をしていることに対して、結局、そうした仮説や神話を持ち出して説明しようとする態度を「いろいろな事実に一つの名称を与えて結びつけるだけで、じっさいには、いかなる形の説明をも拒否する」と述べているのは印象的である。それ以上還元しえない設定を持ち出して何かを説明しようとする態度に対してフーコーは厳しい。逆にそれは、フーコーが目指そうとしている一つの態度を表している様にも感じる。

・「葛藤」「不安」から見る病的メカニズム
 さて、ここまで論を進めつつ、フーコーはまだ「結合点にある問題は依然のこる」(p67)と述べる。人が自己を逃避したり防衛したりする際の「危険」とはいったい何なのか。ここで、フーコーは別の症例から、「葛藤」について考え始める。ある「葛藤を克服する一つの方法」「ある葛藤に対する防御」「葛藤がひきおこす矛盾に面しての防衛」が「病的なメカニズム」なのではないかと(p68)。しかし、全ての葛藤が病的な反応を引き起こすわけでもない。
 フーコーは述べる。「病的矛盾は正常の葛藤ではない。正常の葛藤は外側から患者の情緒的生活を引き裂く」が、「病的不条理とは、内部からひきおこされている」もので、その際の対処手段は「克服しようとする矛盾を深めてるから不条理なものである」(p68)。フーコーはこのように葛藤を二つに分けてみる。
 そしてここで「不安」というワードが出てくる。それは、こうした内的な矛盾の体験の情緒的次元に「不安」があると。「不安こそもろもろの病的意味の中心にある」(p71)。「彼は生活史的に不安にむすびついている機制によって、自己の不安から身をまもろうとするのだが、まさにこのことのために、これらの規制はかえって不安を最も強め、たえず不安を明るみに持ち出すことをおびやかす。正常な個人の生活史とちがって、この循環的な単調さこそ、病的生活史の特徴なのである」(p73)。
 さて、ここまでの試みで、「発達の分析は病を一つの可能性として位置づけた。個人的生活史は、心理的生成上の一事実として、病を考察することを可能ならしめる。しかし今や不安というものを、その実存的必然性に置いて理解しなくてはならない」(p75)。心理学的次元における病の探究において、フーコーは最後に、実存という所へ向かう。

・病的体験についての現象学的考察へ
 フーコーは「不安」という、余りにも我々にもなじみのある情緒的体験を「終局的な病的要素」「病の中枢」として取り出した。しかし、それでもなお残るものがあるという。「不安を理解するためには、新しい様式の分析が必要となる」のである(p77)。なぜなら、「今やわれわれはこの体験の中心に身を置かなくてはなら」ず、それを「内部から理解する」(p78)という、その次元が残されているのである。これは、「自然主義的分析」のように「患者を、自然的客体としての、遠のきにおいて眺める」(p79)ことによっては達成されない。また、生活史的な考察も、役に立つがこの体験の理解を可能にはしない。
 だからフーコーはこの点に接近するために、直感と了解によって間主観性の理解に手を伸ばす、現象学的考察を持ち出すのである。「直観は病的意識の内部にとびこみ、病的世界を患者自身の眼で見ようとする。直観が求める真実は、客観性のカテゴリーには属さず、間主観性のカテゴリーに属すのである」(p79)。「病的意識を了解すること。その病的宇宙を再構成すること。以上の二つが、精神疾患の現象学的課題なのである」(p81)。
 フーコーは現象学的考察から、「精神疾患は、どんな形のものであろうとも、またそれに伴う意識混濁の程度がどんなものであろうとも、つねに病の意識を含む」と述べるに至る。例えば、心気症や心因性の麻痺症状といった、つまり身体症状という本人には客観性を持って現れる症状において、患者はこの身体症状をもって病を把握している。また、強迫的障害やパラノイア等において、当人は自身の病やその病がどう発生したかについて把握している。妄想や幻覚のような、病的な体験が現実性をもって現れるとき、確かに、患者はその世界を明証的に体験している。しかし一方で現実の世界も同時に知覚しており、患者はそこに世界の二重の現われを認める。この際、この「二つの世界を認め、双方に適応することによって、自分の行為の背景に、自己の病についての特殊な意識を示」している(p86)。そして、統合失調症の最終形態や痴呆状態において、つまり、完全に自己の病の世界に患者が埋没してしまうようなとき。このような時でさえ、患者は自己の病の意識を持ち続けていように見える、とフーコーは言う。それは、治癒した患者たちの物語によって推察される。

・病的世界の構造の体験
 さて、ここで、患者が病の意識、つまりこの世界において病的なものを知覚し続けていることが示されたわけだが、今度は病の意識ではなく、彼らが体験する病的世界の「構造をも研究しなくてはならない」とフーコーはいう。病的な意識において世界はどう現れているのか。そこでフーコーはまた現象学的な考察を通して分析を進める。まず、時間性や空間性における特殊な世界の構造(流れない過去の蓄積のような時間性/別の場所の人物をここにいるように感じる空間性)。また、「共同世界」「社会的・文化的宇宙」においての病蹄な世界の構造。例えば、他者が社会的意味の消失した「異邦人」としてしか感じられなくなったり、他者の言葉や表情が現実性を喪失して現れたり、あるいは逆に、自分を殺そうとしているといったような過度な意味を伴って現れるといったような社会や対人関係における世界の構造。また、自己の身体、という世界の構造についての特殊な体験。
 こうした「病的世界」という概念について、それは正常人のそれとの区別を次に自問する必要があると、フーコーは言う。現象学は、こうした「正常と異常との間に、ア・プリオリな区別をつけることを拒否する」が、フーコーはこの点をもう一度議題に挙げる。フーコーは、世界との関係という形で、心理学的地平において、この問いがどこまで到達できるかを考える。「一つの私的世界と、世界の非真実性への自己委譲と。この二つの逆説的統一の中に、病の中心がある。べつなことばでいえば、病とは、もっとも極端な主観性の中にしりぞくことであると同時に、もっとも極端な客観性への転落なのである」(p99)。ここにあるのは、自分なりの理解で言うならば、自己の私的な世界と知覚される公共の世界の間で、自己との関係が極端になるというのが、病の体験なのだ、ということであろうか。
 さて、第一部、心理学的次元において、病をどう見ることができるかの最終地点がここである。けっこう長い道のりをかけてここまで来たのに、フーコーはここにはとどまらず急ぎ足であるのが印象的だ。この結論自体も、最後に2ページくらいで結論付けてしまっていて、本来なら、この結論をもっと検証してもよいようなものである。
 しかし、ここでフーコーは、問いを一気にぐるりと転換させる。読んでいてやや強引に思えるほどに。「精神病者のこの主観性が、世界への志向性でもあると同時に、世界への自己放棄であるとするならば、彼の謎に満ちた地位の秘密は、世界そのものに問うべきではなかろうか。病の中にはたくさんの意味を含む中核があり、それは病があらわれた領域に関係するものではなかろうか。――とくにまず第一に、そこで病が病として区別されているという、簡単な事実に関係しているのではなかろうか」(p100)。
 このように言っていると考えるのは深読みのしすぎであろうか。『心理学的な地平において、精神病理がどうとらえられるか、どこまでの議論ができるのかは、もういったん行くところまで行った。このあたりで、心理学的次元の内側にとどまるのはもうやめにしよう。それよりも、なぜこの世界との関係の中で、病がそのように現れるのはなぜなのか、どうして病が病として今このように区別されているのか、その点をより広く問うべきではないだろうか』と。そして広まる第二部では、まさに、狂気がいかにして病として今この地位を占めるに至ったかの、歴史的過程へと分析が進んでいく。

第二部 狂気と文化
・『集団からの逸脱が病的なものとみなされる』という考え自体が西欧近代の発想ではないか
 第一部において、心理学的な次元において、病的事象を様々に位置づけ、記述してきた。しかしフーコーは、それでも、「病の出現形態が示されたとしても、その出現の条件を明らかにすることはできなかった」(p105)と述べる。もちろん、生活史や葛藤と不安や、現象学的分析によって、病の様態や表現形態の方について考えたり述べることは可能だが、それでもフーコーは「病的逸脱それ自体としての根は、べつなところにあると言わねばならない」(p105)と述べる。まずこの問いはどういう意味だろうか?
 フーコーはまず、「社会学と精神病理学の領域で、決まり文句となった事実」として「病とは、それを病としてみとめる文化の内部においてのみ、現実性と価値を持つ」という点を述べる(p105)。すでにわれわれが知っているように、ある行動や思考が、文化によって病とみなされることもあれば、価値あるものとされることもある。この点をまずフーコーは検討していく。
 まずデュルケムは、進化論と統計的な考えによってこれを説明した。それは、ある社会において平均が健康基準とされ、そこからの逸脱が病的現象となるという考えである。ルース・ベネディクトという米国の心理学者も、人類学的関連を持ちながらも似たような考察を行っている。ここで共通しておかれているのは、「病というものが、ネガティヴであると同時に可能的なものと考えられている点である」(p108)。ネガティヴとは、病を、ある平均、規範、パターンからの逸脱に病が定義されるということ。可能的というのは、文化内の様々な可能性によって病の内容が規定されるということである。
 一見、妥当にも見えるが、フーコーはこの考えを、「以上のような見方は、病がある社会に現れる姿の中に、ポジティヴなもの、現実的なもののあることを、みのがすことになろう」(p109)と批判する。それは、逸脱が時に、文化内で、病としてみなされつつもそれ以上の価値あるものとして位置を持つことがあるからだ(ズールー族のシャーマンの例 p109)。つまり、逸脱なものを異常とし、病として排除するというその図式自体が、そもそも普遍的なものなどではないのである。
 そしてフーコーは、デュルケムやアメリカの心理学者が、逸脱や偏差を病の本性と見ようとしたことを「彼らに共通の文化的錯覚のためであろう」(p110)と述べる。つまり、フーコーによれば、我々の社会自体が、病人を逸脱者とみなし、病的なものの起源を異常な者の中に求めるという社会であるからこそ、逸脱を病とみなすという発想が生まれるのだという。普遍的に逸脱が病とされるという構造があるのではない。逸脱を病とみなす社会にわれわれが住んでいるからそのように見えるのである。だからフーコーは次のように問い直す。「われわれの文化は、病に逸脱の意味を与え、排除されるべきものとしての地位を、病人に与えるようになったのであろうか。それにもかかわらず、社会が自らの姿をそこにみとめようとしない病のかたちの中に、じつは社会がかえって自らを表現しているというのは、どういういきさつによるのであろうか」(p111)と。

・狂気に対する医学的視点の闖入と当時の狂気体験の多様性
 フーコーはそもそも、「西欧において、狂気というものに精神疾患としての地位が与えられたのは、比較的さいきんのことである」と述べる(p113)。さて、この事実に対して、精神医学史が示そうとするある解釈をまずフーコーは批判する。その解釈とは、中世期とルネサンスにおいて狂人は宗教的、魔術的な網目の中で「憑かれたもの」という超自然的な形として見られていたが、しかし医学の発展によってそれが自然の損傷であると客観的に発見できるようになり、病人として認識されるに至った、というものである。「この解釈は不正確な先入見にもとづく」(p114)。
 それは、歴史をたどりなおすことで明らかとなる。19世紀以前、時の宗教的権力は、それぞれに都合の悪い憑依、神秘体験を、神秘体験ではなく単なる身体的な作用として説明するために、医師を招集したことがあった。フーコーによれば、これが、狂気への医学的な視線の挿入の始まりであり、それは決して、十分に客観性が高まった医学の発達の結果に精神疾患が見いだされた、などというものではないのである。
 もちろん、古くからの精神病への医学的なアプローチがなかったわけではない。ギリシャ医学以来、医学は狂気の領域の一部に対しての実践を含んできた。しかし、19世紀以前には、狂気に関する経験は精神病以外のかたちでも、きわめて多様にされていたのであり、精神疾患が狂気の全域を覆いつくそうとするような事態はなかったのである。フーコーは、「死の舞踏」「阿呆船」「狂女マルゴ」「痴愚礼賛」といった、絵画や文学や演劇を通して、「狂気は、本質的には、自由な状態で体験されていた。狂気はあたりを歩きまわり、一般の背景や言語の一部をなしていた。それは各人にとって日常的な体験であって、それを抑制するよりは、むしろ大切にしたのである」(p118)ことを明らかにする。

・狂気の疎外の時代
 フーコーによれば、17世紀半ばに、突如として、狂気の世界が疎外の世界となった。大きな収容施設がヨーロッパ全土に作られ、狂人のみならず、「われわれの知覚基準からみて、ひどく異なった人びと」(p119)を閉じ込め始めるのである。それは「肢体不自由の貧困者、困窮老人、乞食、頑固な怠け者、性病患者、各種の風俗壊乱者、家族の意向または王権により、公の罰を加えるわけにはいかない人々、浪費家の父親、破目をはずしてさわぎまわる聖職者など。要するに、すべて理性、道徳、および社会の秩序に関して、「変調」の兆候を示す人たちが閉じこめられた」のだ(p119)。
 さて、こうした人々のために各大都市に「一般病院」が建てられるが、「これらの施設には、医学的な使命は全くない。ひとは医療を受けるためにそこにいるわけではなく、もはや社会の一員としてやって行けなくなったか、または、やって行ってはいけないからはいるのである」(p120)。さて、狂人はほかの多くの人と一緒に隔離収容されるに至ったわけだが、フーコーはここで以下のように述べる。「この時の問題として浮かびあがるのは狂気と病の関係ではなく、社会が自らに対してどのような関係を持ったか、ということである。つまり、社会が個人の行為のうち、何をみとめ、何をみとめないか、そのこととの関係が問題なのである」(p120)社会が己の社会をどう切り分けたかということ。つまり、かつて多様な仕方で存在をみとめられていた狂気が、突如閉じこめられたこの時、それは決して医学によって病と認められたために狂気に対する人々の認識が変わったといったことではなく、それ以前に、社会や道徳、規範的な領域の中で個人の行為についての認識の転換があったということである。
 この認識の転換とはどのようなものか。フーコーは当時の労働観の変化に触れ「当時、形成されつつあった市民社会では、商業の世界における最大の悪徳、特別の罪ではなんであるかが定義されたばかりであった」とし、それは「怠惰にほかならなかった」と述べる(p120)。「収容施設に住むすべての人を一括する共通なカテゴリーとは(彼らの責任のためであろうと事故のためであろうと)、富の生産、流通および蓄積に参加できない、ということであった」(p121)。労働と怠惰が、道徳的基準としていきわたり始める。
 フーコーによれば、この転換は狂気にとって二重の意味で重要だったという。まず、狂気は社会から姿を消し、沈黙させられ、「狂気が自らについて語ること」を不可能にしてしまった。そしてもう一つ、狂気は収容施設内で風俗壊乱者や犯罪者と同居する中で、「道徳的・社会的に有罪なものと狂気とは、親類としての縁をむすぶ」(p122)こととなってしまったのである。だから、これ以降の時代時代で社会的に有罪とみなされるものの中に、狂気が「発見」されていくのであるが、それは自然の発見ではなく、この時代に狂気が有罪性と結びつけられてしまったが故なのである。「狂気の本性がなんであるか、ということが漸進的に発見された結果ではなく、ただ西欧史が三百年来、狂気に対して行ってきたことの沈殿物にすぎない。狂気とは、ふつう考えられているよりも、はるかに歴史的なものであり、同時に、はるかに若いものなのでもある」(p122)。

・狂気が医学、心理学の領域に入れられる(ただし道徳的に扱われる)
 さて、狂気を封じ込め、沈黙させた隔離収容施設だが、それは一世紀以上も維持されなかった。当時の慈善意識の高まりもあって、それは解放される。つまり、狂人がまた社会の中に姿を現すわけだが、とはいえ社会は、もうかつてのような存在の仕方を狂人に許しはしなかった。「狂人は自由な身にもどされると、周囲の家族や集団にとって、危険な存在になりうる、という特徴がある。彼らを拘束しておく必要と、「狂人や危険な動物」を放浪させておく者に対する刑罰は、ここから生じる」(p124)。結果として、また収容施設が、それも「狂人専用」のものがたてられる。
 さて、この新しい隔離収容にあって、それは医学的性格を帯びた措置となるのだが、しかし、医学はむしろ「隔離収容という古い習慣の鎖」をさらに狂人の周りに締め付けていくこととなる。というのも、結局そこで行われたのは、「おどかし、罰、食事制限、恥辱」『行動の監視』「その主張はおとしめられ」「逸脱には、間髪入れずに制裁」という、治療行為というより「社会的、道徳的な管理」であった(p125)。そればかりではない。かつて行われた狂気への医学的実践に、例えばシャワーや水浴び、新鮮な血液の注入があった。これらは、心理学的でもなければ、身体的でもないが、一応当時の生理学の考えに基づいていた。あるいは「回転椅子」や「可動性の籠」など。しかし、「ピネルとその後継者たちは、これを単に抑圧的、道徳的な文脈において再びとりあげたのである」(p126)。例えば、それらは患者が過ちを犯したときの罰、自身の過ちの告白の強制のような。それは、決して厳密に医学的なものではなく、道徳的体制の内部における技術となっていた。
 さて、西欧世界ではこの時はじめて、狂気に心理的な地位と構造と意味が賦与されることになる。しかし、これは表面的な結果で、もっと深いレベルでは「狂気は価値体系や道徳的抑圧体系の中にくみこまれてしまう。つまり、狂気は刑罰体系の中にとじこめられ、そこでは狂人は未成年者として扱われるから、当然子供と同類のものとされ、また狂気は罪あるものとみなされるから、根源的にあやまちと結びつけられる」(p128)。
 さて、西欧世界の精神病理学において、狂気がどのような位置に置かれてきたかが今見えてきた。そのため、この精神病理学という領域で、狂気の心理が発見されるとき、次の三つのテーマに支配されていることも、フーコーは当然のものとしてみなす。それは、「自由と自動症との関係。行為の退行現象と幼児的構造。攻撃と有罪性の三つ」(p129)である。社会が狂気をそのようなところに包囲したのだから、狂気がそのようなものとして発見されるのも当然ということであろうか。

・狂気が成立の条件となった心理学
 フーコーはこの点から、ひるがえって心理学というものに目を向け、皮肉といえばいいのか、自己矛盾的といえばいいのか、フーコーの言葉を借りて言えば「笑うべきものでしかありえない」(p131)ものとして狂気の心理学というものを記述していく。まずフーコーは、狂気に対する認識こそが、心理学を可能にしたと述べる。例えば、二重人格が人格の心理学を、自動症や無意識が意識の心理学を、「欠陥の分析」によって知能の心理学が始まったということ。心理は、「人間対狂気の関係」において可能となった学問なのである。そして、すでにその歴史を見てきたように、人間対狂気の関係は、「疎外と刑罰という外的次元。及び道徳への帰属と有罪性という内的次元」によって成り立っているのだから、心理学もまたこの範疇のうちにある。
 だから「「心理学」とは、倫理的世界の表面の薄い皮に過ぎない」(p130)。そこには、対象を客観的に還元して把握しようという自然主義的な方向性がある一方で、その認識は道徳性という次元に常に包囲されており、「現代の人間はそこに自己の真相を探し求め――それを見失うのである」(p131)。
 だからフーコーは「狂気の心理学は笑うべきものでしかありえない」というのだ。心理学は自己の知によって狂気を対象にしているようでいて、しかし、狂気を通して心理という己を見出してきたのであり、不毛な閉じた発見しかできないのである。その先にあるのは「人間が自己と関係を持ち、自己を心理学的人間 homo psychologicusたらしめる、かの疎外のかたちをつくり出す領域である」(p131)。

・本書の全体構造の中での最終節
 さて、この後「総体的構造としての狂気」という最後の考察が始まるのだが、この部分をどうまとめるべきか少し迷う。なぜなら、この第二部の最後において、第一部で行った分析をすべて批判的にひっくり返し直していくような、そんな向きが見られるからである。つまり、ただこの箇所だけに書かれていることをまとめるだけでは、本書の全体的な構造においてこの箇所でフーコーがしたかった最後の試みを取り逃がしてしまうような気がするのだ(本人は文中でそんなことは明示していないので、勝手な受取かもしれないが)。
 「超病理学」の仮定、退行としての病の特徴の認識、葛藤としての病、病的世界の構造、こうしたものは第一部で、むしろ心理学的地平の内部から、段階的に批判的検討を試みつつある程度妥当な到達したものとして描かれた。しかし今度は、こういった心理学的地平の内部において切り開かれ、発見されてきた主題の数々を、第二部の主題である、心理学の成立した狂気との関係における歴史的過程という外部から光を当てなおすことで、ことごとくその到達地点を普遍的発見としては不毛なものとして暴くような、そんな記述に見えるのである(以前、「監獄の誕生」を群像劇のような印象を持って読んだことを述べたが、今回は最後にどんでん返しのあるミステリー小説。例えば、前半が被害者視点で、後半が加害者視点で物語を追い直し、最後に前半の物語の意味が一気に反転させられるような、そんな感じかもしれない)。

・最終節「総体的構造としての狂気」
 話を戻す。ここまでの結論を踏まえ、フーコーは次のように述べる。
 「上で述べたことは、狂気の諸現象の輪郭を描こうとする試みや、治療のための戦術をあみ出そうとする試みを、何もかもア・プリオリに批判しようとするものではない。ただ、次のことを示そうとしたにすぎないのである。それは、心理学と狂気との間に存在する関係と、そこにある根本的な不均衡とが、狂気の本質や性質など、狂気のすべてを心理学の立場から扱おうとする努力を、ことごとく徒労にしてしまう、ということである。この努力が、初めからむなしいものであることは、「精神疾患」“maladie mentale”という概念がよく表現している。「精神疾患」とよばれているものは、たんに疎外された狂気にすぎない。ほかならぬ狂気が可能ならしめた心理学の中に、狂気が疎外されているわけである」(p133)。そしてこう続ける「将来、総体的構造としての狂気の研究を、試みるべきであろう」(p133)。
 フーコーは、こうした研究が、「どの文化も、人間の行動や言語における或る種の現象に対して必ず敏感であり、これに対して社会が特殊な態度をとる」(p134)ことが明らかになるだろうと述べる。自分なりの言葉でこのことをまとめてみる。この時フーコーは、社会の中で、どこか違ったものを持ち、「ふつうの人として扱われない」人々がいることを認める。しかし、それが科学的精神の発達によって正体が明かされていくようなものとしては見ない。つまり、二つの世界が出会うわけだが、一方の世界の持ち手はそこにある種の侵襲、危険を感じる。それはいつの間にか受容や拒否という具体的な形に結びつき、「疎外のためのあらゆる儀式が組織される」(p136)。この疎外の形式が文化によって異なってくるのである(隔離の仕方)。
 こうした「区分の施策は、狂気に対する知覚の枠組みの役割をする」(p137)。社会における価値評価と疎外の仕組みによって、人々が狂気を判断する、感受性の閾値に影響する(医学的な判断も、それじたいというよりむしろこの閾値に沿って敷かれたものとなる)。この閾値が文化ごとに異なっている。また、閾値とは別に、「耐容度」も文化によって異なる。狂気を判別する閾値が同じでも、社会がそれを受け入れる度合いもまた社会毎に異なるわけである。「以上の四つのレベルによって構成された土地の上に、狂気に対する医学的意識がついに発達できるのである」(p138、ここで四つのレベルが何を指すのかはっきりとはわからない。文化ごとの疎外の形式、知覚の枠組み、閾値、耐容度、だろうか?)。
 さて、ここで、身体病理と精神病理を含み込む「超病理学」にたいしての、考察が改めて行われる。第一部では、その内的な理論からの批判的検討が加えられた。つまり、これこれの理由から、身体病理と精神病理を同じアナロジーに捉えようとすることに無理があるのではないかと。しかしここでは、「超病理学」の存在そのものに歴史的な考察が加えられる。西欧の歴史的な流れの中で、「狂気に対する知覚は、病に対する判定」となったのである。つまり、狂気をどう判定するかにおいて、他の可能性を押しのけて、病という形式が採用されたのである。ゆえに、その当初においては、そもそも身体疾患と精神疾患の区別じたいがない。その後の、多くの過程を経て精神病理が身体病理と区別を可能にしていくが、他方で「超病理学」の抽象的なレベルでの支配も土台として残るのである。(フーコーはそこまで明言していないが、要するに、超病理学自体が、内的必然性を持つものではなく、歴史的過程の中で生じたものにすぎない、ということだろう)
 さて、次にフーコーは、精神疾患が発達過程の障害、退行的側面によって理解されることについて述べる。これもまた、人間本来の自然の性質によってそうなるという理解は棄却される。フーコーは、退行という形態で病が現れるその条件を、この社会・文化が自分たちの内部にある狂気をどう切り分けたかという側面に見出す。かつての西欧では子どもと大人は明確には分けられていなかったというのは聞いたことがある話だが、フーコーによれば18世紀、「子どもの尺度に応じた世界」がつくりだされていったのである。つまり「非現実的な、抽象的な、原始的な環境」「大人の葛藤から子供をまもろうという」世界(p141)。これは今でも想像できる。『みんな仲良く』『努力すれば報われる』『純粋さが大切』、こうした言説が大切なものを含んでいるとしても、大人に対する態度とは違う形で、こうした理想的なものをわれわれの社会が子供の世界に形作ろうとしていることは誰もが頷けるところだろう。しかし、大人の世界と子どもの世界がこの意味で解離するほどに、子供が、あるいはその後に経験する矛盾は大きくなる。「子どもにいろいろな葛藤を避けさせてやるために、かえって彼をこの大きな葛藤に出会う危険にさらしてしまうことになる」(p141)というわけだ。だから「こうした神経症という病の背景となっているのは、一つの社会に内在する葛藤であって、それは幼児教育のかたちと、大人たちに与えられる生活条件との間の矛盾である。社会は幼児教育のなかに自己の夢をひそかにしておくが、大人の生活の中には、社会の現実とそのみじめさが読みとられるのである」(p142)。
 フーコーは、狂気が次第に疾患となり、精神疾患となっていく過程に対し、その「反対方向の動き」を提示すべきとし、「一つの文化が、自己が拒絶する諸現象の中において、自己をポジティヴに表現するに至る動き」があるという。つまり、この社会においてなぜ「退行」という形で病が発現するのか。それは、単なる個人の発達という内的原理から説明されるものではなく、この社会が抱える葛藤を社会が子供と大人の世界を分離するという形で表現するがゆえに、そのような発現形態が許されるのである。
 本書からは外れるが、「クレイジー・ライク・アメリカ」という医療人類学の本で、香港における拒食症の変化を描いている部分がある。それは、もともと香港で見られていた拒食症と、現代において急激に増加している拒食症の発言の仕方が大きく異なっており、前者が後者を圧倒していく時代的な変化について記述していた。つまり、ある種の心理的な病がどう表現されるかは、その文化や社会が内にはらんでいるものというわけである。社会や文化は病の表現を可能にする仕方、その可能性に関わっているといえばいいだろうか。ここでフーコーも、そのようなことを論じているのだと思われる。そして、心理学が発見した「退行」というテーマが、またしても歴史的、文化的な条件に支えられたものであることを、そこに普遍的、内在的な原理において説明などしきらないことをフーコーは示す。
 さて、葛藤についてもフーコーは再度とり上げる。そして、心理学、とくに精神分析などが、人々の精神の中に、「葛藤の起源」を見いだすことについて論じる。それは、「生の本能と死の本能」とか「快楽と反復」とか「愛(エロス)と死(タナトス)」とかの、「「超心理学的」な抗争」である(p143)。そうした、深層にある葛藤構造の表出として、様々な心理的問題を説明することについて、フーコーは厳しい批判的視線を入れる。「このように説くことは、問題の中で単に対立し合っているものを、解決のかたちに昇格させてしまうことになる」(p143)。かなり卑近な言い方をすると、そのような超心理学的な概念を持ち出して説明してしまうことは、一見説明したように見えるが、結局は何も説明していないのと同じではないか、ということだろう。フーコーは、病気の表現様式として、確かに「矛盾した行為のからみあい」というのはよく見られるが、それは、無意識の中で、矛盾する概念が並置させられているからとかではなくて「それはただ、人間が人間について、矛盾した経験をするからなのである」と述べる(p144)。「競争。搾取。集団の敵対。階級闘争。このようなさまざまなかたちで、ある文化が社会的関係を規制するとすれば、人間的環境についての経験は、たえず矛盾につきまとわれたものとして、人間に提供されることになる」(p145)。ここでフーコーは、矛盾や葛藤を、私たちの中に根源的に内在した矛盾があるといった還元的な説明を行わず、この文化や社会において、人々が矛盾を体験するような様々な規範、規制の中に人が生きているのだ、あるいは社会や文化がその時代において体験する矛盾として説明するのである。「心理学者たちは、この体験に両義性という名を与え、そこにいろいろな本能の葛藤をみた。これは、たくさんの死んだ神話の上に、さらに神話を重ねるに過ぎない」(p146)。
 そしてまた、現象学的考察によって検討してきた、病的世界に独自な構造があるような、あの点についても取り上げ直す。人が、私的世界と公的な世界、主観性と客観性の間で世界との極端な関係に身を置く、ということに病を見るあの説明である。フーコーは、そうした個人的なレベルで説明される、個人の世界に対する身の置き方というのは、二次的なものにすぎないという。「この病を支える決定因子は」「或る世界がいろいろな矛盾を生んでおきながら、自分ではこれらに対する解決法を提供できない、という事態による現実の因果律なのである」(p146)。「病的意識が妄想世界に自らを開くとき、それは想像上の拘束によって、しばられるわけではなく、現実での拘束をうけるからこそ、病的な世界へ逃げていく」(p147)。「人間が自己の言語の中に伝わることに対して、異邦人であり続ける場合。自己の活動による生産物の中に、人間的な、生きた意味を認めることができない場合。経済的・社会的決定条件に拘束され、この世界に自己の祖国を発見することができない場合。こうした場合には、この人間は分裂病のような病気のかたちを可能にする文化の中に住んでいるわけである」(p148)。
 例えば、言語もまた文化的なものだが、言語は私たちの世界の構成に強くかかわっている。例えば、『中動態の世界』という本では、現代で私たちが馴染んでいる言語においては、我々の行為は能動か受動のどちらかという形で、表現する余地をかなり制限されているという。ある言語はある世界や体験を表現することを可能にするが、同時にそうではない世界や体験を表現することを制限してもいる。もし、自分の体験が自分の持っている言語が描くことを許す世界観と齟齬を起こすとき、それは異邦人のような体験となるだろうし(このような経験はおそらく想像を絶するものがあろうが)、その時、人はもう「私的世界」に逃げ込む道しかなく、それがある種の精神病となりうるということだと思う。そして、こうした世界や体験を可能にする文化的要素は言語以外にもあるだろう。
 そこには、「現実世界における拘束」との関係があるはずなのである。「現代の世界が分裂病を可能ならしめているのは、そこに起こる諸事件がこの世界を非人間的で抽象的なものにしているからではない。原因はわれわれの文化の、世界に対する読みにある。つまり、人間がもはや、そこに自己を認めることができないような、そういう読みとりかたが行われているからなのである。分裂病世界の、もろもろの矛盾に対して、構造論的モデルとして役立ちうるものは、ただ実際の生存条件の、現実の葛藤だけである」(p148)。
 つまり、病的世界の構造はこんな特殊性があるとしてそれを明らかにしていくことも意味はあるかもしれないが、しかしその病的世界の構造さえも、この社会や文化が、世界の体験の仕方として可能ならしめているもの、同時に、世界の体験の仕方として不可能ならしめているもの、制限しているものとの関係の中において、理解されるものだということであろう。

・閉じた円環の中にある心理学
 第一部において、フーコーは、心理学的次元において、そこで述べられてきた内的論理に沿いつつも批判検討を行い、心理学的次元の考察に置いてどこまで到達できるかを追っていった。しかし、より広く、心理学が、この特定の社会の歴史においてどのように成立したか、その成立条件について、狂気との入れ子的な関係を追っていった時、フーコーは「要するに、病の心理学的諸次元は、なんらかの詭弁なしでは、自律的なものとは考えられない」というに至る(p148)。心理学は、もちろん病の諸々の形態や分類や発生について説明してきたが、そこにはそれ以上還元しえないような「神話的説明の助け」が準備されなければできないものである。この点をフーコーは「詭弁」というのだろう。そのために、その神話や発見されるものもまた、歴史的分析を追うのであれば、心理学の成立の条件となったテーマや、その心理学が位置づくより広い社会・文化との関連において発見可能なものを発見しているにすぎないのである。社会が砂場の中に埋めて行ったものを、心理学があとから掘り起こしているような、そんなイメージだろうか。
 西欧の心理学においては、「自己対自己という関係」を設定し「心理学的人間」をつくりだした。この認識は人間を内的真理を担うものとして設定するが「この真理たるや、何の肉づけもなく、皮肉なもので、自己に関するあらゆる意識や、あらゆる可能な認識について、断乎たる確信を抱いている真理である」(p152)という。ここで「自己対自己という関係」とはどういうことだろうか。おそらくはこういうことではないか。人は自分とは異なるものとして疎外した狂気を客体化し、それを通して心理的知識を増大させ、人間を心理学的に把握できるとする認識を持つにいたった。しかし、この疎外された狂気がそもそもこの社会・文化と関連する、あるいはそこで生きる人間の体験の可能と制限に関わるものであり、狂気を対象にするということは自己を対象にすることと重なる。そこには常に、狂気を疎外し、客体化しているように見えて、自己を客体化すると同時に疎外するような、閉鎖的な二重性に包囲されてしまっている。そんなところだろうか。正確でもなければ厳密な理解でもないが、方向性としてはそんな感じな気がする。
 またフーコーは、心理学と狂気の関係についてこう締めくくる。「心理学が狂気を支配することは決してできないだろう、と考えるだけの十分な理由がある。というのは、われわれの世界では、狂気がひとたび支配され、すでにドラマから排除された上で初めて、心理学が可能となったからである」(p154)。つまり、歴史的に心理学は狂気が一度社会から疎外され、沈黙されたことを契機に、疎外され客体化された狂気をのぞき込むようにして生まれてきたのであり、常に、心理学は狂気を対象化するばかりで、狂気の方が声を上げる余地を持たないのである。「狂気がいなずまや叫び声によって、再び姿をあらわすときには、心理学のほうが、語るべきことばもなく、黙ってしまう。狂人たちのことばの意味は、かの悲劇的な分裂と、かの自由に根ざすものだからである。現代人がこの分裂と自由に対する重い忘却を意識せずにいられるのは、ひとえに「心理学者たち」の存在が、それを承認しているからにほかならない」。
 だから、心理学は、狂気が自らの声で語り始めるとき、対話のテーブルにはつけない。それは、離れた場所から、一方的に記述する言葉しか持っていないということだろうか。思い出したのは「監獄の誕生」においてフーコーが引用した、疎外する権力の側の代表たる裁判長と、疎外されたもう一方の世界に身を置く被告人ベアスの、どこまでもすれ違うやり取りである(「監獄の誕生」p331)。ベアスの語る言葉に対して、裁判長は、自身の側の論理秩序を持ち出す以外に応答する術を持っておらず、ベアスの生き生きとした力強い論理に応えることができない。そこに、自身の声を上げた狂気と対話することのできない心理学の姿が重なって見える気がする。