ドナルドの「ふたつの島とボート」

ナラティヴセラピーワークショップ in NZが無事に終わり(私は何もしてないのですが、無事終わったなという感じがします)、今、そこでお会いした Dr.Donaldの話を聞きにタウランガというところに来ています。

ここで、先週のワークショップの全体の感想をまとめるつもりだったのですが、既に細部や生々しさは失われていてもう書けそうにありません。それよりも、ワークショップと今日のDonaldのセミナーに参加した、今の自分の中に何があるか、をまとめておきたいと思います。

まず、今日のセミナーが終わって、浜辺を散歩したり、夕飯を買いに出たりして思ったことは、知らない場所でカウンセリングの勉強するということに意味があるなぁということでした。誰も自分のことを知らないという場所で、解放感の中で新鮮な気持ちで、ナラティヴセラピーを味わうことができました。浩さんもいつか言っていましたが、遠くの、しかも海外の町で地元のカウンセラーから勉強する、というその状況自体も大切なものだったんだなぁと改めて実感しました。

あと、今日のDonaldの話の中で。

二つ目の島(好ましいもの)の話をする、絵にする、絵本にする、ClThで読み上げる、誰か聞き手に読み聞かせる、と何度も繰り返し体験することに意味がある、ということを覚えておきたいと思います。カウンセリングが終わった後に、10分で毎回手紙(メールで)を書くそうですが、そこにも、例外であった、好ましいオルタナティブストーリーを強めるというねらいがある。聞き手を招待したり、手紙を書いたり、というカウンセリングの外と内で分ける「枠」はあまり問題にされず、むしろ家族や学校と一緒に変えていく姿勢を重視しているな、と改めて感じました。(ここが、私はいつも新鮮に感じる部分なので、よほどほかの心理療法と違うところなんだと思います)。社会構成主義がもとにあるから、当然だとも言えますが。

「2つの島」の内容自体は、ワークショップと重なる部分でもあり、本に掲載されている部分ですので、本を見るとしっかり整理されていると思いますのでまとめは割愛します。 Donald個人の印象も、強いです。とても遊び心があって、じゃあこうしよう、と柔軟で、家族や大事な人を紹介してからはじめるなど、とてもオープンな人、いつでもどんな質問でも来ても大丈夫、という風に見えます。でも、ポジティブなことだけ装って言っているわけではなく、なんかわからなくなっちゃった、とか、疲れたとかも言う。誰でも、装っている部分はあって、 彼だってありますが、それが少なくて、素直でうそをついていない人だと感じます。今日は、学校で「悪い子」と言われるような子どもたちを例に出すことが多く、私は、その子どもたちには彼のそういう姿勢で信頼することができたんだろうな、と思いました。真似をできるものではないのですが、ワークショップに来てくれたカウンセラーは、みんな個性はばらばらだけれど、素直で取り繕っていないという感じだけは共通していたことを思い出しました。 今後について少し考えること。

私がニュージーランドで何をしているかというと、アルバイトをしたり、いろいろな国の人に日本語を教えたり、日本の血が入っている子どもに教えたり、難民や移民のためのボランティアをしたり、日本人コミュニティの出店があれば手伝ったり、そして、カウンセリングの勉強会やセミナーに参加して勉強をしている状態です。なので、カウンセリングの勉強をしても、還元する場所を持っていないので、勉強してどうなることを目指しているんだろうな、と考えているところです。

日本に帰ったら、この経験を生かせるような移民と関係したカウンセリング現場を探すと思います。でも今のところ、今の私はただ勉強したいからしているように思います。それはそれで、贅沢に時間を使っていると思うのですが、早くカウンセリングの仕事をしたいなとも思います。カウンセリングを勉強をしているときは、理屈と感情の動きを頭で追っている、ということをしていますが、カウンセリングをしているときは、相手が体験したことを想像力を働かせて体験したような状態にして、自分の中に動く感情を感じて言葉にしたり、少し客観的に見ようとして離れたり、ということをしていて、頭の使い方が全然違います。(でもカウンセリングをしているときの状態というのも、きっと人それぞれで話してみてもおもしろそうです)

ワークショップの参加者も、今日のセミナーの参加者も、実践の場を持っている人たちばかりなので、今、実践がない私は、自分の中に少し物足りなさを感じて、早くカウンセリングを仕事にする場所に行きたいなと思いました。 そうは言っても、ここにいる間は勉強して、帰ったら仕事をすることに変わりはないので、帰ったときのことを想定して、どんなことを経験したり、勉強したりしたらいいかなということを考えます。\r\n→日本以外の文脈で、カウンセリングを実践している人の話を聞く。せっかくナラティヴセラピーに関心があって集まっている臨床心理士がいるので話をする。リフティング練習をしあう。 ナラティヴセラピーを理解するために話し合ってみたいポイント;
・「枠」はあまり問題にされず、むしろ家族や学校と一緒に変えていく姿勢を重視しているけれど、「枠」は何か?必要ないものか、ある程度必要か?
・カウンセリングをしているときの体験を、カウンセラーとして、どう捉えているか?(例、私は「相手が体験したことを想像力を働かせて体験したような状態にして、自分の中に動く感情を感じて言葉にしたり、少し客観的に見ようとして離れたり、ということをしている」)ナラティヴの考え方でカウンセリングをすると、上記の私の例とは少し違う気がします。PCAは相手の感情の動くところを探るところがありますが、ナラティヴは、見えていない視点を言葉にすることを重視しているように思います。 克貴さん、葉子さん、よかったら浩さん紫さんも、議論につきあってください。笑

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