日本という国で、私が持っているもの

こんにちは。大串綾です。

去年の11月にニュージーランドへ飛び立ち、10ヶ月の時間を過ごして、今月初旬に帰ってきました。その期間に体験した新しい環境、直面した出来事、出会った人々、そして感じたことはあまりにも多すぎて、大切にしたくて、言葉にしてひとつのストーリーとしてまとめることで、他の要素を切り捨てることが嫌でした。しかし、体験という形にならないものは、そのままとっておこうとすると霧のようにぼやけて消えてしまいそうです。それで、あきらめて、形のなかった私の体験に、言葉という形を与えたいと思います。

日本に帰国する途中で、タイに寄ったのですが、そこでふと帰ることが少し怖く感じました。旅が終わること、この1年とは違う生活が待っていること、日本という国に帰ることが。もしかして、今の自分のままでは日本で生きられない、生きにくいのではないかとふと怖くなったのです。
でも、そこで他国を美化して、日本を卑下したくはなかった。これから帰る、自分の生まれ育った国を、良いものだと思いたい、という気 持ちが働きました。ニュージーランド滞在が半年を過ぎたあたりの、日本が恋しかったとき、日本の良いところばかりが思い返されたこ とを忘れないでおきたいと思います。

 

そういう気持ちの働きもあって、今、日本にいる私達が持っているもの(得ているもの)に目を向けています。

母国というのは、いわば勝手知ったる我が家のようなもので、店でのやりとりや交通機関の乗り方ひとつを取っても、慣れ親しんだやり 方で、しかも母語で、行われている。その楽さ。
どうしたって、私はニュージーランドという新しい環境の中で、言葉の障がい者のようなものでした。ニュースを見ても、サービスを利 用しようとしても情報弱者だし、日常のやりとりをする上でわからなかったり、わかってもらえなかったりする。耳が遠くて、うまく舌 が動かない人に近いのかな、と思ったりしました。

しかも、住民でもないので、ニュージーランドという国にもあまり守られていない、ということもときどき感じた。ちょっと医療機関を 受診したくても住民なら格安のところが自費。それに、私は違う立場だったけれど、永住権をとろうとしている人の大変な労力をたくさん見ました。英語を勉強し、高いレベルのテスト結果を得て、ビザ指定の仕事をして、点数がたまったら、家族みんなで数十万円払ってやっと申請できる。そういうのを見ると、ここは他国であって、私がいつまでもいれる場所ではないんだな、ということをなんとなく感じました。いつかは出ていかなければならない、いさせてもらっている場所でした。これは、日本に帰ってきてから感じたことです。帰ってきて、自分と似た顔の人たちが、同じ言葉をしゃべっているのを見て、ここは、私はいつまででもいられる母国なんだ、と、なんだか大きな顔ができるような気持ちになりました。ニュージーランドでは、私は少し、地元の人が私のような 一時滞在者や移民の人を嫌がっているのではないかとなんとなく気にして、肩身が狭いような感じだったのです。

日本に帰ってくると、国や自分自身によって作られたセーフティネットがしっかりあります。長年培った思いのある友達や家族というサポートがすごく厚くて、ちょっと元気がないときには、会いに行ったり、なにか上げたりもらったりする。そういうのが、落ち着いて、その場所にいることをすごく支えていました。私が医療保険や年金や、そういったものを積み立てているのも、もちろん日本でなので、将来的にも(その制度の不安定さは置いておいて)サポート体制があります。

リスクを知っているというのもあります。たとえば、夜このあたりなら歩いていても大丈夫だろう、ひったくりが多いから気をつけよう、お釣りをごまかされることはまずないだろう、など、どんな状況でリ スクが高いかわかっています。そして、この国の交通機関や店やいろいろなものが、よく考えて便利なように作られていて、何も考えなくても割合安全に生活できる、という感じがします。

比較すると、NZにいるときには、何か困ったことに陥るリスクをもう少し高く感じていて、そういったときに頼れるものやシステムも少なかったので、私はもう少し、ぴりっとして生活していたような気がします。1人なので、少し殺伐とした感も含みながら、きびきびと、敏感に動いていたような気がします。
さらに、一時的な滞在だとわかっていたので、この瞬間は一度しかない、この人とこの会話ができるのは今しかないという感覚があって、ある意味気楽な関係でありながら、ひとつひとつの会話をいつもよりもしっかりと記憶しています。

遠く離れた地に行って、戻ってきたことで、今いる場所や環境で得られているものに自覚的でありたいという気持ちが出てきたことが、ひとつ大きな変化です。一方で、いる場所ややることは、自分で選べるのだという感覚も同時に持つようになりました。あんな遠く離れた、いろんなことが違う場所でも生活できたので、住み慣れた場所でなくとも生活できるんだという気持ちになりました。
日本の、大阪の、この家で過ごすことを選んでいるときは、ここで得ているものを自覚的に大切にしたいと思う。

本当にいろいろな新しい思いはあるのですが、そのうちのひとつを言葉にすると、こんな感じになりました。