「日本ってしんどい国なんだろうか」

先日、「日本ってしんどい国なんだろうか」というタイトルで、小さなグループで話し合うという形のセミナーをさせていただいた。
参加者から肯定的な感想をいただき、その後、「続き」を話す機会があったときに、ニュージーランドでも、日本人社会や日本のルールがあるという話になった。今日、私はまさにそのことを体験したような気がしている。

今日、知人のビザ申請が取れたということを、他の日本人に伝えたことで、当人から軽く注意を受けてしまった。「ほかの日本人に言わないで」。そのこと自体は大きなことではないのだけれど、私はそれを聞いて、勝手に話して悪かったと思うと同時に、なんだか小さなことを気にしなくてはいけないという空気を感じて息苦しいな、と感じた。これを書いている今も、なんだか首の後ろが緊張するような、そわそわするような感覚。
そして、一瞬その人を咎めたいような気持ちになったのだけれど、それはその人の望んで持っている空気感ではないことに気がついた。その人は、ほかの市の日本人グループの間で、ビザがとれた途端にいじめのようなものが始まることがあると言って、それを懸念していた。ビザ取得にまつわる葛藤の経験はないが、たとえるなら、入試に合格した人と、受験勉強中の人、不合格通知を受け取った人の摩擦のようなものだろうか。そういうとき、私たちは、周囲から打たれるような出る杭にならないよう、細心の注意を払うと思う。彼女が作った息苦しさではなく、日本からニュージーランドまで運ばれてきた息苦しさなのだ。

私は、ここで生活している人の半数以上は、平均的な日本人よりも柔軟で物事にこだわりのない人だと感じている。しかし、少数ながら、物事にこだわりのある人、そしてルールを盾に妬みなどの自分の感情を発散させようとする人がいる。そして、和を重んじる人たちは、それを止めにくいし、日本出身である以上、日本的ルールに従うことを求められる。だから、ほんの一部の人がこだわっている日本の息苦しさが遠く離れた地でも再現されうるのだ。うーん、まさに日本社会の縮図がここにある。
前述の知人が、日本人コミュニティから離れたいと思ったわけがよくわかる。しかし、離れていても、なお、こんな風に自分の言動に影響を与えられているのだ。

多くの人、少なくとも日本を離れた多くの人は、日本の暗黙のルールの再現をして行動を縛られたくないと感じていると思うのだが、日本人である以上、逃れることは難しいようだ。日本人と一切関わらず、日本人からどんなに批判されても気にしない、という状態にいたって、やっと自由になれるのかもしれない。あまり現実味はなさそうだ。日本人であるということは、なんてめんどくさいことだろうか。
改題して、「日本ってなんてめんどくさい国だろうか」にしたいような気持ちになった。

異国でも再現される日本社会の息苦しさを感じて、より日本人としての特徴を感じられたことは貴重な機会だった。もう少し、風通しのいいやり方を身につけて、日本の周囲の人と気持ちいい関係を作っていけたらいいなと思う。