冒険の旅へ

私は日本で6年間働いて、3月に仕事を辞め、つい先日NZにやってきました。NZジャーナルにいったい何を投稿すればいいのかしばらく悩んだ挙句、なんで悩んでいるのかを書いてしまおうと思いつきました。

私という人間にとってNZに来るというのはかなり大胆な行動で、慣れ親しんだ文脈の中からは現れることのなかった選択肢のように感じます。浩さんとの出会いに始まり、少しずつナラティブに魅かれ、導かれていたら、ふとこんなところまで来ていたような感覚です。なんというか、いい匂いをたどって来たらいつの間にか海を越えてしまっていたような。つまり、はっきりいって何の計画も見通しももたずに来てしまったのです。何を投稿するか悩ませられたわけの一つに、この明確な目的を持っていないことへの不安や気後れがあったようです。

私が日本で働いている間、とにかく問われたのは「目的・計画・成果の見通し(+予算)」でした。企画書も決して一度では通りません(そのうえ、係長に通ったら、次は課長の決裁が待っています…)。行動は常に、予め設定した目的の達成を狙っていなければならず、思わぬ結果は「失敗」に分類されます。そして「反省」が求められる。思った結果は(当然)なかなか出ないので、大体いつも「反省」することになるわけです。そんな風に仕事をするためには、私の場合、半分(かそれ以上)は思考を放棄して作業する必要がありました。ただ、対人援助の仕事で、特に相談支援をするときに、こうした文脈を持ち込まれるのはどうしても辛いことでした。対話の中から、もっといろいろな声を取り入れて語りながら、一緒に試行錯誤しながら進みたい。思ったようにいかなくても、何か得るものがあったらそれでいいじゃないか、むしろ予想外で面白いじゃないか、と言いたい。そんな私の小さな心の声を、ナラティブの考え方が支えてくれたように感じます。

今回の冒険(嗅覚?だけを頼りにNZへやって来たこと)は、もしかすると今までの働き方の反動かもしれません(笑)。けれど、ここで様々な人と出会って、交流して、何かしら思ってもみなかったところへたどり着けるかもしれません。「NZに来て、何かしたいことは?」と度々尋ねられます。今は「ナラティブに浸りたい(いろいろ略…)」ですが、これからまた増えたり減ったりして変わるかもしれません。その変化を観察するのも面白そうです。自分でも、度々問いかけていきたいと思います。

日本で私に強い影響を与えていた目的云々の文脈は、今でも私のところに臆病な気持ちを連れてきます。割としょっちゅうやってくるので、それをなだめながらのんびりと進むしかありません。けれど、そういうペースだからこそ見つけられるものも楽しみにしていこうと思います。こうした今の希望や期待もナラティブの考え方や、それを理解してもらえるコミュニティが支えてくれています。Just do やってみたら何か起こるかもしれない、という気持ちで、この文章もえい!と投稿してみることにします。