ナラティヴ・セラピーは意地悪なのかもしれない

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大学生や社会人のキャリア支援をしているキャリアカウンセラーの「たく」です。
「市井の人のナラティヴ・セラピー」の、日々のちょっとした奮闘をリアルにつづります。
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ナラティヴ・セラピーで、大学生の就活支援の話を聴かせてもらっていると、よくよく黙ることがあります。
それはナラティヴ・セラピー前と後(ニュージーランドで学ぶ前と後)で、雲泥の差があります。

視点は自分に注がれていなく、どこか一点を見つめている。
あるいは、眼球がきょろきょろと左右に細かく動いていきます。
(これはきっと真剣に、こちらの問いかけに応えようとしてくれているから…)

その人の中で、今まで考えもしなかった問いかけから、初めて話す物語を探してくれている。
その人の人生を探索してくれているから起こる沈黙なのだとわかります。

これは思い込み、ではなく、きっとそうなのだろうと思います。
相手の様子を見て、どちらが話す番かお互い困っているだんまりではなく、その人の中で「初めて話す」豊かな物語を見つけるための時間。
それが、相手の沈黙を生み出しているように思います。

話してくれる人は、今まで話したことがないから、うまく話すこともできない。
「果たして何だろうか」と必死になって思い出したり、考えたりしなければいけない。
そういった意味では、ナラティヴ・セラピーは意地悪なのかもしれないな、と思ったりします。

その意地悪は決して悪意のある意地悪ではなく、話した後は「話してよかった」というすっきり感(実際に沿う言葉に出す人も多いです)を生んでいるから、これがまた興味深いです。

以前よりも相手が沈黙する時間が多く、長くなっている。
それを喜んでいる自分も、少し意地悪なのかもしれません。
ただ、その時の自分は「どんな話が出てくるのだろう」と、冒険を夢見る少年のようなきらきらした目で待っているようにも思います。

そして、「市井の人のナラティヴ」は続いていく・・・。

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2年前にニュージーランドにナラティヴ・セラピーを学んで「これは身近なものにしてみたい!」と、日々のちょっとした等身大の奮闘などをリアルにお伝えできれば。
目標は「日常にナラティヴ・セラピーを」「市井の人のナラティヴ・セラピー」を目指して、週1回のペースで書いていくこの内容が、誰かの「ナラティヴやってみようかな・・・」という第一歩につながることを願って。
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