アウトサイダーウィットネスとして、言葉を発する際に

アウトサイダーウィットネス・チームは、マイケル・ホワイトがリフレクティング・チームの実践からヒントを得て作り上げたものです。

アウトサイダーウィットネスでは、人の語りを次のような4つのカテゴリに分けて、反応を言葉にしていきます。

  • 1.人々の表現に焦点を当てること (あなたが聞いた中で一番あなたの興味を惹いたことを同定し、話してもらいたい)
  • 2.イメージに焦点を当てること (会話を聞いていたときにあなたの頭に浮かんだイメージ、つまりあなたが最も惹かれた表現によって喚起されたイメージを描写してもらいたい)
  • 3.個人的な共鳴(Resonance)である (ここでは、あなたの自分史において先の表現が共振したことについて具体的に焦点を当てた上で、なぜあなたがそのような表現に惹かれたのかを説明してもらう)
  • 4.どこに運ばれたのか?(Transport) (その場にいたことであなたが心を動かされたその仕方を同定し、それについて話してもらいたい。何らかの形で心を動かされ得ることなしに、他の人々の圧倒的な人生ドラマの聴衆になることは、めったにない)

アウトサイダーウィットネスとして、その場にいることは、専門家という服を身にまとった者ではなく、一人の人としてそこにいて欲しいと言うことです。ですので、まことに個人的な反応を示すように求められてます。

さて、ここで、専門的な視点からしかものが言えない人にとって、一人の人として反応することは、時に難しいと感じることがあるようです。しかし、上のような4つのカテゴリに反応するためには、自分の中に生じた感覚に頼るしかありません。ですので、一人の人として反応せざるを得ないのです。

このハードルを越えて、人として反応できるようになると、次の課題が見えてきます。それは、アウトサイダーウィットネスで発言する人の体験が中心化されるのではなく、あくまでも、クライアントの人生の物語が中心に据えたまま、自分の体験を共有するということです。抽象的な表現になりますが、相手の人生のストーリーのために、自分の体験を捧げると表現できるかも知れません。

しかし、どれほど考慮しようとも、この部分、つまり、どのように自分の体験を語ったり、どのような自分の体験をシェアすればいいのかは、不透明なままに置かれます。つまり、シェアしてみなければ分からないというところがあるのです。

そこで、上の4つのカテゴリの順番が意味を持ちます。まずは、①と②で相手の話を聴いたところ、そしてイメージとして喚起されたところをシェアすることが肝要になります。つまり、クライアントにとって、自分の話がしっかりと受領されているという感覚を持ってもらえることにつながるのです。

もし③にいきなり行ったとすると、クライアントは、アウトサイダーウィットネスが自分の話を聴いていないで、勝手に個人の話をしたと受け取ってしまう可能性が生じます。自分の語りと、アウトサイダーウィットネスの語りのつながりが不透明になってしまう可能性があるということです。

特に①については、ナラティヴ・セラピーにおける「言われたことを救出する」実践につながります。

ギアーツ(1973)にとって、エスノグラフィとは、解釈であるものの中心へと私たちを誘い込む類いの解釈によって到達される、厚い記述である。エスノグラフィは、わかりやすく記述された出来事に関するものであり、出来事をわかりやすく記述する解釈のことであるが、それは、対話が消滅してしまわないうちに、その「言われたこと」を救出しようとすることであり、それを読めるようにすることである(p. 20)。

マイケル・ホワイト「セラピストの人生のという物語」/邦訳41-42頁

アウトサイダーウィットネスとして、ともすれば一瞬で消え去ってしまうような発語を、拾い上げていくことに注意を向けていくことは、非常に大切な実践として憶えておく必要があるでしょう。

さて、次に③について、すこし検討を進めてみたいと思います。

③において、自分個人として「もっとも興味を惹いたところ」を共有すれば事足りると言うことではない、と考えています。私は、自分の感覚、受け取り方を、あまり信用してないところがあります。どういうことかというと、自分の感覚が、多くの人の感覚とずれていると思っているので、自分の感覚を「素直に」出すことがいいことだと思えないです。そこで、常に、私の中にある体験、思い、考え方において、この人にとって、どれが大切なものとなるだろうかということを考えながら、発語しています。

これは、「素直に」発言するのではなく、「意図を持って」発言してしまっていることになり、ともすれば「操作的」となってしまう危険性が含まれていくことになります。

そうであっても、次の点を避けることの方が大切であると思うのです。時に、③の実践において、アウトサイダーウィットネスのメンバーが、自分の物語の語りがあまりに重要になり、自分の物語を語ることに没頭してしまうことがあります。

アウトサイダーウィットネスは、次の目的の為に集められたと言うことを、常に念頭に置いておく必要があるのです。

諸文化が断片化していたり深刻な混乱にあると、適切な聴衆というものは見出しにくくなる。もしも自然状態で見つからないのであれば、人為的に作り出さなければならない。私はこうした上演を「定義的祝祭(定義された儀式)」と呼んでいるが、それは、さもなくば得られなかった聴衆を前にして、ひとつの解釈をはっきりと示すよう特別に意図された集合的自己定義だと理解している。そのような聴衆は、必要ないかなる手段をもってしてでも集めあれ、その集団の歴史の真実をそのメンバーが理解するように目のあたりにすべきである。社会的に周縁化された人々や、軽蔑され、軽視された集団、つまりアーヴィン・ゴフマンが「はみ出したアイデンティティ」と呼ぶところの個人は定期的に、内的に与えられた彼ら自身の解釈の光の下、他者の前に登場する機会を求めるのである。

マイケル・ホワイト「ナラティヴ実践地図」邦訳154頁

ナラティヴ実践協働研究センターでは、リフレクティング・チームとアウトサイダーウィットネス・チームの実践に敬意を払い、OW&Rチームと呼んでいます。この実践は、その都度、プロセスが異なるので、どこに到達できるのかを予測することが難しいものですが、私たちの予測を越えたところまでたどり着くことができる可能性を秘めたものです。

このアイデア自体が発表されてから、相当な年月が経ちますが、実践に基づく検討はまだされていません。そのことに取り組むと同時に、このOW&Rチームをより安全に実践していく方法を模索していきたいと考えています。

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