読了「社会正義のキャリア支援」下村英雄著

本を読むときに、この本は読んでおく必要あると思い手に取って、読み始めるときがあります。本書はそのような本でした。

キャリアの領域でそれほど多くを勉強しているわけではありませんし、それほど多くの本を読んでいるわけではありません。それでも、この領域における活動とはどのようなものであるのかについて、少しずつは考えてきました。

それは、キャリア支援に携わる人たちで、ナラティヴ・セラピーに興味を持ってくれる人たちが、ナラティヴ・セラピーのワークショップなどに参加してくれるようになったからです。そのため、キャリアについていろいろと尋ねるようにしてきました。

その中で、ナラティヴ・セラピー、あるいは、ポスト構造主義的な視点で扱ってきたようなことを、なかなか取り入れていないような印象を持ってしまっていました。

「社会正義のキャリア支援」では、そのことをしっかりと取り上げてくれています。この本で述べていることを、キャリアの領域で含めて良いのだということは、ナラティヴによるカウンセリングを実践する私にとって、実に気持ちがすっきりすることでした。これで、キャリアの領域でも、もう少し自信を持って、ナラティヴによるカウンセリングに取り組めます。

本書を読むと、社会正義の視点からキャリア支援について検討することは、欧州では、当たり前のトピックになっているように見受けられます。本書では、欧州のキャリアガイダンス論から取り上げていますので、欧州の方が、北米よりも先行している可能性がありそうです。

日本は、アメリカのものを最先端と思ってしまいがちですが、世界的に見れば、特に人を支援するということ、人の福祉を考えてるということにおいては、決してそんなことはないのです。(勢い余って書いてしまいますが、アメリカでうまいのは、いろいろな手法をパッケージ化して商品化し、営利に結びつけるということです。それは、その手法が優れているからではなく、売り方がうまいといううことになります(後で、削除したくなるかも))。

またキャリア支援の中で、多文化的視点も徐々に伝わってきたこともあるかと思います。しかし、ここでは、多文化という視点だけではなく、社会正義という視点で書いてもらうことのありがたさも感じました。多文化という視点では、相手の文化を尊重するという視点はでてくるものの、相手の文化に含まれる不正義、不条理さ、権力などをうまく扱うことができないのです。しかし、社会正義という視点であれば、扱えます。

これまでにも多くのキャリアガイダンスの実践者たちが社会正義に深く関わり、生徒やクライエントのために(中略)社会正義を訴えてきた。しかし、我々おのおのが社会正義に向けて一定の役割や責任を果たしてきたのだとしても、人々を抑圧し続ける構造的・社会的な障壁については立ち向かっていく必要がある。(25頁)

日本のキャリア支援の中で、人生100年になり、一生涯をかけて自分のキャリアについて取り組む必要があるということを読む機会が多くあります。しかし、世の中はもっと多様化しています。キャリアのあり方が多様化しているという意味だけでは、まったく持ってありません。

日本を見たら、日本人以外の人が多くいます。留学生もいます。仕事で来ている人もいます。その人たちの子供もいます。その家族もいます。そのような人たちと、パートナーになる日本人もいます。グローバル社会になって、いろいろな人がいるのです。このような人たちを疎外することなく、キャリア支援の論をすすめることが不可欠になっているということです。

また、いろいろな病気や障害を持っている人もいます。社会的に恵まれない人もいます。元受刑者もいます。元被害者もいます。

誰も疎外するとなくキャリア支援の論を進める必要性をこの本は私たちに伝えてくれます。

日本では、まずこの点ついて話をするところから始める必要がありそうです。そのためにも、まずは一読することをお薦めします。