社会構成主義者からの批判

以下の文章は、 「ナラティヴ・セラピー―社会構成主義の実践」からの引用です。

モダニスト(近代主義者)への批判

ポストモダニズムにおけるいろいろな学問から
「モダニスト(近代主義者)と呼ばれるこれまでの立場がさまざまな方面から批判されている。そして今日では、「問題」を突き止め「治療」を施すといった科 学的な改善方法への楽観的信頼はかなり揺らいでいる。(マクナミー&ガーゲン, 1997, p. 15)」
「批判的精神を持つセラピストたちは、現在支配的な治療論や実践方法の中に強い思想的偏向があることを見出した。精神医療の専門家が、政治的、道徳的、そ して判断基準において中立公平とはいえず、治療行為を通じてある種の価値観、政治形態、特権を維持するよう機能しているという。(p. 15)」
「家族療法家たちは、個人の内部に機能不全が存在するという見方に対して異論を唱えた。つまり、「個人の病理」とされるものは、その家族(同居であれ別居 であれ)の持つ何らかの機能上の問題が一人の家族成員に現れたものにすぎないことをさまざまな角度から示した。(後略)(p. 16)」
「コミュニティ心理学では、病気の背景要因を広く捉え、地域の教育制度、経済条件、労働条件、居住環境まで研究の範囲を拡大した。この観点に立つと「個人の病理」は社会生活のありようと無縁ではなくなる。(p. 16)」
「フェミニズムからは、今日の精神医療の実践が女性を抑圧し弱者の立場に追いやるものだという批判が出された。精神疾患の分類体系をはじめ、患者に対する 軽蔑的な扱い、そして、女性が置かれた不当な社会的立場よりもその女性個人に責任を見出そうとする専門家たちの傾向等、これらは全てが男性中心の家父長制 社会を支える結果になっているという。(p. 16)」
「現象学では、機能障害についての治療者の先入観(たとえば、専門知識)を取り払うことを試み、それによって患者の置かれた立場や行動を患者自身の言葉で理解しようとしている。(p. 16)」
「Constructivismをかかげる人たちは、<観察するものとされる者>(同, p. 17)という伝統的な区分に反論する。何が「現実」として見えるかはその生物有機体に備わった固有の器官の働きによって決定される。科学者といえども、決 して観察対象から独立した客観的存在ではない。(p. 17)」
「解釈学からは、<患者の精神状態を客観的に分析できる治療者>という従来の考え方は誤りであるだけでなく、無知な者を煙に巻くものだとういう議論が出さ れた。臨床の地検は、治療者自身が持っている想定によってほとんど覆い尽くされているという。(p. 17)」
「かつて精神科患者だった人々は、自分たちの組織を作って精神医療の専門家たちに対抗している。現在の疾患区分は患者を抑圧し、物のように扱い、人間とし ての品位を傷つけるものであり、専門家たちの職業的利益を守るためのものになっていると彼らは主張している。(p. 17)」

現代心理学における五つの聖なるものに対する批判

(1)客観的な社会調査研究

「何が「社会的現実」かを本当に知ることはできず、それゆえ、検定か統計や確率指数などを用いた伝統的な科学的研究は、もしそれが真っ赤な嘘でないとしても、ひとつの信仰であると彼らは述べる。(ホフマン, 1997, p. 27)」

(2)自己

「ケネス・ガーゲンは、自己を認知や感情といった言葉で表現される一種の還元不可能な内的現実として捉えるのではなく、「自己の社会的構成」[Gergen, 1985]として捉える説得力ある議論を展開した。(p. 29)」

(3)発達心理学

「人間のパーソナリティに内部や人間集団の内部にあらかじめ決定された最適の発達過程があり、その過程をたどるのに失敗すると悪い結果を招くといった議論を展開することは次第に難しくなってくる。(p. 31)」

(4)感情

「ロム・ハレー[Harre, 1986]は、感情が人間の内部にあって識別可能な特徴と状態を持ち、それらは世界共通だという考え方に疑問を投げかけた。多くの人々は、自分が従ってい る感情についての知識も記録も持っていない。感情という概念を歴史的に見て比較的新しいものである。社会個性主義は、感情とは人々のコミュニケーション複 雑な網の目の一部分にすぎず、内在的な特別の状態ではないと考える。(p. 32)」

(5)レベル

「私は、人間に関する自傷に構造的な階層性があるという考え方に疑問を抱くようになった。たとえば、表面的な症状に対してその奥底にある原因、明らかな内 容に対して隠された内容、顕在的コミュニケーションに対して潜在的コミュニケーションといったものである。(中略)もし、こうしたレベルや階層性や包含関 係などというものは存在せず、それは互いに影響しあう異なる要因のセットであり、全てお互いに同等のものであり、ただ、われわれがそれを取り出して記述し て階層的なものとみなしているだけだとしたら?(p. 33-34)」

ポストモダニズム・構成主義という視点

「われわれが日常「本当」だとか「良い」とか判断するときの基準は、社会や人間関係の中に埋め込まれている。(中略)われわれの現実感は、「われわれが用 いている言語体系によって導かれ、同時にそれによって制約されている」というものである。他者と自己、そして、世界をどう捉えるかは、人間の間で共有され ている言葉のやりとりや語り方の習慣によって決まってくる。したがってたとえば、ある人間やある国の歴史を「実際に起こったこと」に基づいて記述すること はできない。むしろ、ストーリーを物語る形式や物語の形式といった道具立てが先にあって、それが過去に当てはめられ形をなす。もし、物語るという昔ながら の方法を用いなければ、(たとえば成長や変化や失敗について、また、始まりと終りがあり独自の理論展開を持つ物語について)納得のゆく説明はできないだろ う。(マクナミー&ガーゲン, 1997, p. 19)」