ワークショップを企画するにあたって(その2)

前回、ニュージーランドにまでくることの理由として、ナラティヴ・セラピーとはこのようなものだということを、ナラティヴ・セラピーを実践している人はこのような人たちである、ということを感じることによって(のみ)、可能であるからかもしれないということを書きました。
今回の視点は、自らの文化的実践の場を離れることの重要性です。

2.ハミルトン市内での研修

ナラティヴ・セラピーの研修を企画するときに、ホテルのカンファレンス会場を確保し、そのホテルに宿泊し、そのホテルで食事をするようなタイプの研修にはしたくありませんでした。
モダンなホテルの構造は、日本であろうと、NZであろうとさほど変わらないと思います。確かに、レセプション、講師、食事などは、ニュージーランドのもの・ひとでしょうが、NZにわざわざきた実感を持つまでにはならないでしょう。
海外にきて、ひとつの場所に缶詰になることに価値を見いだせなかったのです。
そこで、YWCA Hamiltonという会場を確保し、その近辺に宿を確保し、食事は街の中心部にいき食べるというような構造を考えました。これは、ハミルトンという大変小さな街であるからこそ実現できるようなことだと思います。YWCA Hamiltonから宿泊ホテルまで、歩いて5分程度、スーパーまで5分程度、レストラン街まで10分程度の距離にすべてがあるのです。
これによって、研修中にもかかわらず、参加者をNZの街の中で研修しているような、一週間でも生活しているような感覚を覚えるでしょう。そこで、NZの文化、人々に触れる機会があるのです。
また、YWCA Hamiltonは、女性を支援してるNPO法人です。私たちがYWCAの施設を借りて得られる収益は、経営者の懐に入るのではなく、女性を支援するために使われます。近代的な研修会場ではありませんが、ハミルトン市内でもっとも古いチャペルで、マオリの彫刻に囲まれて研修することは、大変趣があると思います。
ナラティヴ・セラピーの研修にくると、ナラティヴの研修内容、講師、運営スタッフによってだけでなく、NZの文化、ハミルトンという街などにもてなされることができるのだと思います。
さて、このような空間に身を置いておくと、今まで日本の文化の中に晒されていたからこそ、信じていた(思い込んでいた)常識を、意識することができ、その常識の正当性について、考える機会ができるのです。
当然とは、日本の中で(それも一部において)当然であるだけであるのであれば、それはもはや「当然」という位置づけを維持できなくなります。「当然」でなくなれば、私たちを拘束する力も弱くなるのです。このような変更は、セラピーの中でどのように提供できるのかということが、ナラティヴ・セラピーの焦点なのですが、そのことの大切さを自ら体験することは、NZにきてみてできることなのかもしれません。

次は、休み時間、昼食の時間、研修後の非構造化された語りの重要性についてすこし考えてみたいと思います。
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