fair/unfairの感覚

「 ナラティヴ・セラピー発祥の地 ニュージーランドで感じ、学ぶ ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2018」の振り返りが本日ありました。
その中で、参加者の一人がちょっと悩んでいることを出して、カウンセリング場面として、こうさんがナラティヴな会話で相談を受け、それをビデオに撮って振り返る、ということをしました。
そのセッションを見て、振り返る中で、また一つ感じたことができたので、書いてみます。

「今こういうことで悩んでいるんです」ということが、多くの場合のセラピーの始まりになると思います。最初に「問題」が示されるわけです。このことは、その後の会話が形作られていく過程にどのように影響していくのでしょうか。
今日のこうさんのセッションでも、そのクライエント役の人からは、もちろん最初に悩んでいることが示されました。個人的な感覚ですが、今日のナラティヴな会話においては、この問題は、扱われはするものの、作られていく会話それ自体は問題に引っ張られずに展開して、遠くまで旅することができたような、そんな感じを受けました。その感覚が、なぜ収穫になったのかについて思いを巡らせていると、「問題の引力」とでもいうべきものがイメージとして出てきました。それがキーワードな気がします。

・「問題の引力にしばられた(とらわれた)会話」
面接室にクライエントが来て、「これに困ってて」と問題を出した時、私たちの心の中にどんなものが浮かんでくるでしょうか。人情としては「あぁ、なんとか解決してあげたいな」という感じ。もし問題を特定―解決を専門性に置く人なら「問題を明らかにして、解決に向けてできることを提示しなければ」という感じだと思います。また、もちろんクライエントは、会話の出発地点が「問題」なので、思考や会話は「問題」と強く結びついてしまっている状態です。この条件の中で解決に向けて会話が展開されていくとすれば、セラピストの質問は、問題に紐づけられた質問になると感じます。当然、クライエントもそれに答えていけば、その会話は問題を中心としてその周囲をぐるぐるする、問題の引力に縛られた会話になっていく感じがします。そこで生まれる会話は、問題の物語からはあまり離れることはできませんし、話される出来事は、常に問題との関係に紐づけられてしまいます。

・「問題から出発して、世界を探索していく会話」
それに対して、今日見た会話は、そのような「問題の引力」からは自由なものに見えました。それは、「問題」について話さないという意味ではありません。「問題」について、それはどのようなものかも聞いていくし、その中でクライエントが感じることも聞いたりはしていきますが、その質問は「問題」以外の方向にも開かれていて、クライエントが幅広く自分のことを語るスペースが提供されるようなイメージです。そして、その際に出てくる「そういえば」という発言や比喩に誘われて、問題とは関係のないところへもどんどん進んでいきます。そして、問題から出発はするものの、会話を通してクライエントは自分の様々な物語を探索していきます。そして、最後のところで「今、改めて、問題がどう見えるか」と聞いたら、クライエント役の方の答えは「なんか、今は少しどうでもよくなった。むしろ今は~~」というようなものでした。
このような違いについて、自分なりに理解するために、またイメージの図を書いてみたので、載せておきます。(ボールペンを忘れてiPadでメモを取る機会があって、最初はしぶしぶでしたが、慣れてくるとこういうイメージを書き留めるのに、非常に使いやすいことに気付きました。)

 

・「問題にしばられた会話」「問題から出発し、世界を探索していく会話」

個人的には、後者のような会話に魅力を感じています。もちろん、このような会話が必ず問題の影響を弱体化させるわけではないと思います。もしかしたら、依然として問題は大きく感じられるかもしれないし、その時はやはり問題への対応方法を考えていくこともあるでしょう。逆に、前者の会話の中で目論見通り解決に至ることもあるでしょう。ただ、前者の会話は、セラピストが持っている解決策がうまく機能しなければ、問題の周辺に解決策が落ちていなければ手詰まりになってしまう気がします。後者の会話は、会話の展開の中で、クライエントとのやり取りの中で、様々なものに展開していく可能性を秘めているように思いますし、そのようなプロセスが非常に大事な気がしています。そして、どうして後者の方がいい気がしているかという理由は、それをどのようにして質問するセラピストが達成できるのか、ということと関わってくる気がします。そこには様々な要因がかかわっていそうですが、今回のプログラムで今一番頭に残っているものは、「fair/unfairへの感覚」と呼べそうなものについてです。

・問題の引力を相殺し、バランスをとる、fair/unfairの感覚
今日のセッションをめぐって、面白いやり取りがありました。クライエント役の方が、他の人にうまく自分の考えを受け取ってもらえなかったときの自分の感覚を「その人とつながっていた糸が一本切れてしまうような感覚。でも、切れていない糸もあるんだけど」と表現しました。この比喩を捕まえて、カウンセラー役は「糸が一本切れてしまう感じなんですね。ただ、依然として切れないでいる糸もある。そのことっていうのは、あなたにどんなことを物語っているんでしょうか」といったことを返しました。自分としては、この質問の仕方がとてもfairなものに感じられました。それは、クライエント・カウンセラー、双方が持つ問題への引力を相殺するような感じです。
カウンセラーが問題の引力の影響を受け、もし問題を解決したいと思ったら、つまり問題の引力に引っ張られてしまえば、この時の質問は、もっと「糸が切れたこと」にフィーチャーされると思います。逆に、問題の引力が嫌で、そこから離れようと思ったら「つながっている糸」の方を捕まえてしまう気がします。例えば、一部の心理療法では、問題について話すこと自体が問題を強化してしまうから、しないようにする、というのを聞いた覚えがあったので、そういう聞き方もあるんだと思います。ただ、それは結局、問題の引力の外まで逃げてはいるものの、問題自体は引力を持った状態で依然として放置されている気がします。どちらの立場も、カウンセラーが問題の引力に巻き込まれ、そのような考えに端を発する質問を通して、クライエントのとれる立ち位置を、質問への回答をかなり限定してしまいます。どちらも問題の影響をもろに受けたunfairな状態です。
また、クライエントは多くの場合、最初は問題の物語を持ってきていて、それについて話すモードになっていると思います。これは、もろに問題の引力に引っ張られている状態です。ナラティヴ・セラピーで言えば、「問題のしみ込んだ物語」の中にいる状態であり、問題の影響を受けた状態で発話をしなければならない、やはりunfairな状態です。上記の「その人とつながっていた糸が一本切れてしまうような感覚。でも、切れていない糸もあるんだけど」という発言の重心は、やはり糸が切れていることがフィーチャーされていると感じます(ニュアンスですが)。
しかし、「糸が一本切れてしまう感じなんですね。ただ、依然として切れないでいる糸もある。そのことっていうのは、あなたにどんなことを物語っているんでしょうか」という質問は、そうしたunfairな状態を、一度fairな状態にバランスを取り、問題の影響を(少なくとも質問が持つニュアンスのレベルでは)相殺し、物語のスペースを広げてくれるしてくれるようなものだと感じます。それは、セラピストがニュートラルなポジションにいるという感じではありません。この質問は、「糸が切れる感覚がある。ただ、切れないのもある」と、どちらかという切れない方のニュアンスがやや強調されています。クライエントは切れる感覚を話していたのですから、ここで、切れることと切れないことのunfairは解消される気がします。つまり、問題の引力が相殺される感じです。そのうえで、改めて「それ(2つの糸)があることは、どのようなことを物語るか」という、非常に広く答えられるかたちで、クライエントが自分のことを物語るスペースを提供しています。問題を、fairな状態で見られる可能性が増します。当然ここで、切れる糸の影響が強ければ「いや、やっぱり切れると寂しいです」とか、逆に切れない方が強ければ「そういえば、別にそれで全部切れるわけじゃないんですね」となるかもしれません。クライエントは、それをfairな状態で、物語ることができます。
また、今回のセッションでは、会話は最終的に当初の問題からかなり離れた場所へと移っていきました。ただ、最後には、「いま改めて問題を見たら、どんな感じでしょう」といったことを聞いていました。これは、問題から離れた場所を、以前よりfairな形で探索したあとで、問題がどう見えるかを問うということになります。

繰り返し言うと、これはあくまで、今回の会話では、そのような場所にたどり着いたということだと思います。問題の影響範囲がもっと広ければ、別の会話に進んでいくと思います。問題の引力を相殺しても、依然として問題が大きいことだって十分あり得ます。具体的な解決策に会話が展開していったりもするかもしれません。
ただ、問題の引力にからめとられたunfairな状態を感じ取り、そこでバランスをとれるようなスペースを提供できるということは、非常に意義のあるものだと感じます。
4日目の講師であるGayleは「問題を解決したい気持ちが出てきたときは、『問題を解決しようとするな、問題を探索しなさい』と自分に言い聞かせる」と言っていました。セラピストが問題の引力にからめとられてしまったら、なにか別の可能性につながるかもしれない、遠くの範囲まで探索することはできません。だから、問題が力を持っている、今のunfairな状態を感じ取り、質問を通してそこのバランスをとって、クライエントに十分に自分の物語を展開していけるようなスペースを提供することが、大事なのではないかと感じました。
問題の「影響相対化質問法」というホワイトとエプストンの言葉には、もしかしたらこのニュアンスもあるのかもしれないと思いました。

※追記 これも一種の問題の影響の相対化、と呼べると思いますが、「影響相対化質問法」という言葉で言わんとしていることには、今回かいたようなことは別に含んでいないなと、久しぶりに読んで思いました。ので、追記しておきます。(2019/9/16)