ナラティヴ・アプローチと組織開発

2019年11月25日大阪で、組織開発に携わっている人たちの団体「ODNJ関西支部」主催で、ナラティヴ・セラピーについてのワークショップをしてきました。講話、カウンセリングのデモンストレーション、そして簡単なワークをしてました。

組織開発は、私の専門領域ではありません。しかし、数年前から私のワークショップの場に、組織開発に携わっている人たちが参加するようになり、その取り組みがあることを知るようになりました。

ナラティヴ・セラピーのセラピーの部分については、まあ知っています。ところが、それが組織開発においてどのように活用できるのかについて、あてがない状態にあるのは、あまり居心地がいいものではありません。ですので、いろいろと考えてはいるのですが、実際の経験がないので、なかなか見えないといったところです。

そのような中で、考えて見たことを少し綴ってみます。そのことの経験がない人が語っていることを承知して読んでください。


私個人の好みからスタートします。私は、仲良しグループになることを目的に「取り組まされること」(受動態です)は嫌いです。人と一緒にいることは嫌いではありません。一緒に取り組むことも嫌いではありません。人をフォローするものいといません。人からの助けをもらうことにもためらいはありません。

人間関係がギクシャクした場所では、仕事がやりにくいので、仕事がはかどらないは容易に想像できます。そして、人間関係が良好であれば、仕事がはかどりそうです。

しかし、それを目的にすべきことなのかどうかについて、大いに疑問を持っています。それは、関係性が良好であるかどうかに焦点をあててを見続けることは、不健全なだと思うし、そこにあまり労力を持って行かれることが、仕事に対して能率的だとは思えないのです。

それは、言いたいことをいうべきだというような、他者を顧みないような場所でいいということではありません。それを、目標にしないということです。これが分かるかな・・・

いいチームワークがあったと言うことを、ある作業に取り組んで、しっかりと遂行できたときに振り返ると、あったことを認識できるようなものに置いておきたいのかもしれません。つまり、それは「常に」存在することを狙うのではなく、目前の作業にみなで取り組むときに生まれるようなもの、仕事をする上でのリワードとして感じることができるようなものに置いておきたいのかもしれません。


さて、ナラティヴ・セラピーを組織開発の場でどのように活用できるのかと言うことについて、今、一点可能性ととして思い描くことがありますので、それについて書いてみます。これは包括的な論旨ではないということを断っておきます。

ナラティヴ・セラピーによるインタビューによって、人が大切にしていること、価値を置いていること、将来に向けた夢や希望を、その人なりの言葉によって語る機会を提供できます。

そのような語りは、その人の人となりをより豊かに物語っていきます。時に、有名人がインタビューを受けて自身のことを語り、その語りによって、われわれが勇気づけられたり、希望を持つことができることがあります。そのような類いの語りが、身近な人にも見いだすことができるということです。

そのような語りは、日常の語りの中で語ることができるようにはなっていません。人自ら語ることはあまりないでしょう。他の人が興味を持ってくれると思えないだろうし、恥ずかしいとも感じます。

ここで、このような語りが場に出てくることの意義を考えています。このような語りがみんなに聞かれ、それぞれがそのことをめぐって個人的に共鳴されたストーリーが、さらに語られる場のことを考えています。

そのような場は、価値観、仕事に取り組むことの意義、将来への思いが共有されることになります。このような場に身を置いて一緒に仕事に取り組むこと、私は個人としては、やり甲斐や前向きさにつながると思うのです。

このような場のことを何と呼ぶのでしょうか? 今、思いついている言葉ですが、「アプリシエイティブ」な場であると呼びたい気がしています。それは、みんなが他の人を、より豊かに理解しようと努めるような場を目指すということなのだと思います。

一つですが、ナラティヴ・セラピーから利用できるのでないかというものを考えて見ました。これは、自分で試して、検証することはできないようなもの(仮説)ですが、もう少し思いを巡らしてみます。