今年のゴールデンウイークにニュージーランドに行った際,強く印象に残った言葉があります。それは「とにかく対話を続けよう」という言葉です。
日中の研修は午前も午後も充実感にあふれるものでした。でも,最初のうちは自分で自分を縛っていたと思います。3日くらい経った時,もっと他の人に自分の考えを出してもいいのかなと思うようになりました。そこで,研修後にナラティヴ・セラピーの学習方法に関してディスカッションする時間を設けてもらいました。自分では二人程度で話し合うようなイメージだったのですが,いつの間にか5~6人が集まりました。
そこで,自分なりの学習の仕方を紹介したのですが,話を聞いていた人たちはかなり困惑したようでした。というのも,その学習方法というのは,ナラティヴ・セラピーの本に出てくる用語をマインドマップという分類手法で理路整然と分類したものでした。そもそも分類するということは多くの豊かな可能性を切り捨てるものでもあり,偏った固定概念を植え付ける可能性が高いものです。そうしたデメリットは承知の上で,メリットもあるのではないかと考え,あえて取り組んだものでした。しかし,やはりというか,否定的な意見が多く出ました。もしかすると,この時,発言した人たちは否定する意図はなかったのかもしれません。でも,少なくとも私自身には否定的意見として届いたのです。
こうして,なんとも微妙な雰囲気になった時,「とにかく対話を続けよう」という言葉が出てきました。これを聞き,すごく楽になれました。
帰国してから,この「とにかく対話を続けよう」という言葉を何度も思い返しました。そのうち,この言葉はナラティヴ・セラピーの大事な考え方を象徴しているのではないかとすら思うようになりました。これは,「対話を続けないようにするにはどうしたらいいのか」を考えてみると分かりやすいと思うのです。人と人との対話を続けさせないものとして,たとえば相手の話を一方的に否定したり,けなしたり,無視するということが考えられます。それ以外に上下関係などを前提とした権力者の発言や,いわゆる「正論」もそうでしょう。さらに,科学的に証明された「事実・真実」などを主張されると,人は口をつぐんでしまうと思います。このような形でも対話を続けさせないようにできます。
これ以来,私自身は日々ナラティヴ・セラピーを実践しているわけではないのですが「相手の口をつぐませてはいないか」を頻繁に意識するようになりました。
そして,つい最近のことですが,NHKの「太陽を愛したひと」というドラマを見ました。日本で最初にパラリンピックを実現した時の中心人物である中村医師のストーリーです。中村医師は障害者のリハビリテーションを学ぶためにイギリスに行きました。そこで「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」という言葉に出会いました。そして「私はこの言葉に出会うためにイギリスに来たのかもしれない」と感じたそうです。このドラマを見て,私は「とにかく対話を続けよう」という言葉に出会うためにニュージーランドに行ったのかもしれないと,自分のことを重ねていました。