OW&Rチーム・ワークショップを終えて

10+

こうさん

おはようございます。昨日までの「OW&Rチーム」ワークショップを終えて、今考えていることをこうさんにお伝えする形で言葉にしておきたいと思い、書いています。ワークショップに出て、自分の中で整理がついたことがいくつかありました。その中でも、特に思っていることです。

人に働きかけるスタイル・姿勢として、4つの形があるように感じています。アウトプット・コンサルティング・フィードバック・そしてアウトサイダー・ウイットネスです。

アウトプットは、文字通り、自分の中にあるものをそのまま表出するもの。そこには伝える相手がいますが、自分の気持ちや考えを相手に伝える(分かってもらおうとする)ことによって相手に働きかけるありようで、その目的は自分を相手に理解してもらうことです。時にそれは相手の存在が目に入らなくなることがあり、ただその場の自分を表出することだけが目的となったり(あるいはそのことに突き動かされる、という感じでしょうか)、逆に、自分の考えを受け取ってもらえるよう、そしてその方向で変化してもらえるように説得する形になったりすることがあるでしょう。

コンサルティングは、相手のニーズに沿う形で自分の中にあるものを提供します。あくまで相手の利益が前提ですので、相手の存在を無視することはないでしょうが、そこでなされる働きかけは、コンサルタント(あるいは心理職・教員)個人ではなく「専門家」の立場から、「専門家」役割として情報やアドバイスが提供されます。

フィードバックは、自分の認知のスクリーンに映ったことを、そのまま相手に返すものです。このことをする時、前提として相手に対する情報提供(データ提供)ということがありながらも、自分の認知をわかってもらおうとする、自分のニーズも含まれることがあると思います。でもそこで大事にされるのは、それはあくまでも「自分の認知枠組みに映ったものである」という点が認識されており、できるだけ「主観」を排除し、相手にも、そしてそこに関わっていた他者にも了解可能な客観的データを提供することにあると思います。これは体験学習でグループや他者へのフィードバックを行う時に大事にされてきた姿勢でもあるのですが、「主観」と」「客観」をできるだけ区別し、ニュートラルな形で情報を提供するやり方です。たとえば、「私が話しかけたとき、あなたは下を向いていた」「AさんはBさんの発言の後、それに付け加えて自分の考えを述べている」などです。もちろん、何をもって「客観的データ」と言えるのかという疑問はありますが、「実験室でデータを収集するような科学的姿勢」で解釈や分析を保留し、情報提供しようとします。そこには提供先の相手がいますが、このフィードバックを受け取るかどうか、そしてどのように使うかは、相手に任されています。つまり、相手に直接的に働きかけることや、あるいは自分を表出することが目的ではなく、他者と共に、そこに起こっていたことをできるだけ広い視野で見ていこうとすることを大切にしようとする姿勢がそこにはあります。

そしてアウトサイダー・ウイットネスです。ここでOW&Rとしないのは、アンデルセンのリフレクションとホワイトのアウトサイダー・ウイットネスはちょっと違うなと感じているからです。(アンデルセンのリフレクションは、セラピーの中で専門家が行っていることによるものだからでしょうが、専門家の立場に立たないとは言っても「このようにも見えるし、このようにも考えられる」という解釈が提供されるところに、フィードバックの要素が多分にあると思えます)

ここでアウトサイダー・ウイットネスとはこうあるべきもの、という定義をしたいわけではありません。こうさんも何度も言われていたように、それはもっと自由なものであって良いのだろうと思っています。でも他の3つの働きかけとは大きく異なるものがあると思うのです。

アウトサイダー・ウイットネスが他の3つの形と大きく異なる部分は、そこに「我」と「汝」が存在するところにあると感じています。相手に対する「敬意」や「配慮」の形として、4つの質問がガイドラインとして示されていますが(実際、これはとても役に立ちます。役に立ちすぎて、これさえやればいいと思えるほどです)、私の中の感覚では、アウトサイダー・ウイットネスでは、「他者のために自分を提供する」、という感じです。4つの質問の中にある「人として」どう感じたか、という部分です。

考えてみると、私たちは日常生活において、純粋に「人として」他者と関わることがどれほどあるかと考えると、ほとんどないのではないかと思います。そこにはつねに「役割・立場」が存在し、それを無視していきなり「人として」出会うことはとても稀有なことだと思います。だからこそ、時間をかけ、信頼を培い、相互理解をし、やっと「立場や役割・利害関係」を超えた人として付き合える他者と出会った時、かけがえのないものになるのだと思います。

ロジャーズはクライエント中心療法の有名な「パーソナリティ変化の必要にして十分な条件」の中で、クライエントを「第一の人」、セラピストを「第二の人」と呼び、人として対等であることを示しています。でもその関係の中でも、「第一の人は不一致の状態にあり」、「第二の人はこの関係の中で一致している」としています。そしてセラピストの3条件(受容・共感・自己一致)を示し、そこに「専門性」があるとしています。

アウトサイダー・ウイットネスの専門性とは、このようなトレーニングされた「専門性」ではなく、「役割・立場を脱ぎ捨て、人として他者に自分を提供すること」のように感じます。

と、ここまで書いて、マイケル・ホワイトのアウトサイダー・ウイットネスとOW&Rチームとの違いもあるのかな、と思いつきました。ホワイトのアウトサイダー・ウイットネスチームには、クライエントとの関係者が招かれ、それまでの役割や立場を引きずったまま、あるいは利用されて(だからこそ、オルタナティヴ・ストーリーを生きていくことが支えられるのでしょうね)いることを考えると、やはりOW&Rチームの存在、その専門性は、通常、役割や立場を持って出会わざるを得ない我々が、それを取っ払って、「人として」他者のためにその場に居ようとするところにあるように思います。そして私がそうなるためには、越えなければならない壁(?)のようなものがあることを感じています。

そういう存在としてその場にいるためには、自分のよりどころにしているディスコースに敏感であること。ロジャーズが述べる「gennuine」であること。あいまいなことや不明確な未来に耐えられること。もっとゆっくり考えたら、もっと出てきそうな感じがします…。

でもその一方で、OW&Rチームでは、アウトプットも、フィードバックもありだな、という感じも持っています。そうしたくなるのが人ですし、役割や立場から全く自由になんてなれないのも人ですから。

長々と読んでいただき、ありがとうございます。そろそろ仕事に戻ります。今回のワークショップで感じたことを書きとめたくて、とにかく思いつくまま文字にしました。これはアウトプットです。語る相手がいると思うと、アウトプットが可能になります。参加者の声とするならば、こうさんへのフィードバックにもなりうるかな?

また何か思いついたらアウトプットしたくなるかもしれません。お付き合いください。

2019年7月8日
大塚弥生

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