カウンセラーはどのようにして自身の治療的会話の技術を向上させることができるのだろうか、といろいろと考えているところです。
治療的会話の技術を「治療的会話の術(すべ)」または「治療的会話の技」と言い換えた方が通じるかもしれません。
知識は、本を読んだり、講義を受けたりして、仕入れることができます。しかし、この「術」「技」は、そのようなものではないのです。それは、何度も何度も練習して身につけるものです。
これは、さまざまな領域において「当然」とされることです。たとえば、スポーツ、武術、料理、習字、歌など、「どのようするのか」を習っただけでは不十分で、①「熟達者が実際にするのを見て」、②「自分で実際に体を動かして体感していく」ことでしか身につかないと、当然のように考えます。
この当然さを、対人援助の場面においては、なぜか共有されていない、あるいは、市民権を得るにいたっていない気がしているのです。
上の「常識」を治療的会話のことに当てはめれば、①「熟達者のカウンセリングを見ることなし、カウンセリングが身につくわけがない」「実際にどのようにするのかわからないでできるようになるわけがない」と、②「何度も何度も練習することなしに、カウンセリングができるようにならない」と考えるのがいたって普通なことでしょう。
それがない。「ない」という全否定に反論したい人もいるかもしれませんが、あったとしても希少生物ぐらいしなない以上「ない」と理解すべきだと考えています。その単純かつシンプルなプロセスが不在なのです。
これをどのようにしたらいいのかを今考えているところです。
それは、私のワークショップに来ればできる、というような局所的な解決方法を提示したいのではないのです。そうではなく、どこでもできるような構造を提供できないのだろうかというところまで考えたいのです。
そのひとつの解を、「リフレクティング・プロセス」と「アウトサイダーウィットネス」にあるのではないかと思い付き、その可能性についていろいろと思考しています。
たぶん、実際に運用して試すところまで来ているような気がしています。これをどこで、どのように試すことができるのかについても考えるところまできたと言うことでしょうか。
時間があれば、この「リフレクティング・プロセス」と「アウトサイダーウィットネス」が、その解になり得るのかについても書いてみたいと思います。