「知の考古学」を読んでみて

「知の考古学」を読んでみて――言表分析、考古学的記述としての治療的会話の諸相の探索

年明けから、ちょうどここ3週間位かけてミシェル・フーコーの「知の考古学」(慎改康之訳、河出文庫)を読み進めていた。ナラティヴ・セラピーの初期の文献となる「物語としての家族」において、マイケル・ホワイトはフーコーの仕事に言及しながら、ナラティヴ・セラピーの理論的な土台と言える部分の言語化に取り組んでおり、ナラティヴ・セラピーにとって非常に存在感の大きい思想家だと思う。

1年ほど前に「狂気の歴史」に挑戦したときは完全に置いてきぼりになってしまったのが、今回は何とか追いつきながら読み進めることができた。それは、その周辺領域の理解が進んだからかもしれないし、個別領域に信じられない細かさに分け入っていく「狂気の歴史」よりも、少し大きな枠組みの話をしている本書の方がとっつきやすかったからかもしれない。とはいえ、曖昧な理解のまま進んでいた語の意味が途中でわかってきたりするので、一回でちゃんと読めたとはとても言えないし、この本自体が、それまでのフーコーの仕事を受けて位置づけられているので、この一冊をもって何か言うのもどうだろうという気もする。しかし、ナラティヴ・セラピーをベースにした言語実践について考えを進めるうえで、そこここに重要なことが書かれているという気がして、メモを書き留めながら読み進めて行って、なにがしか新しい理解に到達できそうな気がしているのも確かである。それに取り組まずに済ますのも居心地が悪い気がしているので、とてもではないが、整理してまとめて包括的な文章を書くところまでは来ていないが、少し挑戦をしてみる。

・ナラティヴ・セラピーにおけるフーコー、新しく見えてきたもの

ナラティヴ・セラピーが、自身の実践を考える、その土台を形作るにあたり、フーコーの仕事にかなり大きなものを受け継いでいることは、マイケル・ホワイト自身も、そしてその後のナラティヴの文献においても示されている所だと思う。例えば、ナラティヴ・セラピーが人を独立した個々人の心理学的な構成物とせずに、社会やディスコース(言説)との関係を視野に入れているのは、フーコーの仕事が関係しているだろう。また、それに関連して、ディスコースという視点、知と権力の関係、客体化実践、標準化や規律訓練、従順な身体、パノプティコンなど、そうしたものに対する解毒剤としての外在化の考えなど、ナラティヴ・セラピーが世界を理解する際の仕方、そこに自らの実践を位置づける背景として、フーコーはかなりの存在感を占めている。

さて、もちろん、「知の考古学」においても、こうした既にある理解について、その由来を目にしたような、そのような読書体験ももちろんあった。しかしながら、むしろ今回「知の考古学」を通して強く感じたのは、ナラティヴ・セラピーがある人の言葉を前にした時に、その言葉に向かい合う態度や、その言葉に対してどのような方向性の探索、記述をしようとしているのかといった、ナラティヴ・セラピーが持つ種別的な会話(探索/記述)の在り方が、フーコーが自身の仕事について言表分析・考古学的記述として説明したものの在り方とかなりダイレクトにつながっているような、そんな感覚であった。

ナラティヴ・セラピーにおけるフーコーの位置づけと言えば、具体的な会話の在り方に関わるものというよりは、先ほど述べたような社会とそこに生きる人々に対する視座のような部分が大きいように思う。逆に、会話における探索や記述(セラピーにおいては会話)の仕方については、そんなに直接的に触れられていたような印象がない。これから、ナラティヴ・セラピーのいくつか理論的なところを読み直してみるつもりだが、今思い出せる範囲ではあまりなかった気がする。だから、これから書くことで、ナラティヴ・セラピーとフーコーを重ねるのは、もしかしたら、個人的な精査されていない妄想に近いかもしれない。ただ、それでも、治療的会話をフーコーの言表分析、考古学的記述に遡って、あるいはそれを通して考えてみるのは、重要なものがあるのではないかと感じている。

「これとこれは、フーコーの言表分析とナラティヴ・セラピーに共通している」とか「このフーコーの影響をマイケル・ホワイトは受けたんだ」といった、あまりにも乱暴な物言いや、単線的な因果関係を描くようなことは、したくもないしできるとも思えないし、何より両者が試みたことから最も遠ざかる敬意の無い態度であるように思われる。むしろ、両者の記述を通して、そして個人的な(まだあまりにも乏しいものの)実践の経験を通して見出せそうな、言表分析と考古学的記述という試みから見える治療的会話の諸相についてなるべく豊かな記述をするような、記述することでつながるかもしれない2つの領域の(決して因果ではない)諸関係について記述するような、そのような仕方を心掛けて考察をしたい。

・「知の考古学」

 細かいところに入る前に、少し「知の考古学」全体について今理解している所も書いておくべきだと思う。「知の考古学」は、フーコーが「狂気の歴史」「臨床医学の誕生」「言葉と物」などで、いくつかの領域を定めて探求してきたものの後で、それを通して定められてきた自分や自分の仕事の位置を今一度言葉にして定めようとしているような、そんな位置づけにあるもののようだ。

 この本で一貫して貫かれている態度がある。それは、様々なことが起きている歴史を何か象徴的なテーマに全体化して記述するような試み、あるいは歴史の流れを何か心性や精神に貫かれた連続的なものとするような試み、普遍的な真理や法則に貫かれた知が前提にあるような思想、ある知識の構成をその内的なものの発露として捉えるような認識から離れるというような態度である。訳者(慎改康之さん)解説における表現は非常にわかりやすいのだが、いうなればこれは、人間学主義、主体や意識の至上権を拠り所とする思考に異を唱えるということであった。しかも、当時また別の形で、人間の意識の範囲外にある構造について議論を巻き起こしていた構造主義とも異なる方法で、それに取り組んだのである。(結局のところ、構造主義は、それまで「意識」に与えられていた至上権のポジションを「構造」に移したような、そのようなものだということなのではないか)

 では「そうではない」方法としてフーコーが試みたのはどんな方法かと言うと、訳者解説の言葉を借りるなら「語られたことの総体を語られたことそのもののレヴェルにおいて扱う」ということである。科学や思想や、あるいはそういった名前でくくられない様々な言説について、それを通して何か真理や法則や心理学的な主体や構造を見るのではなくて、その言説、言表の諸集合が、どのようにして形成されてきたのかを記述する、ということである。例えば、今「心理学」として語られているものについて、その心理学という領域の中で科学的な知を探索したり、あるいは少し離れたところから心理学の裏に隠された構造、真理を暴こうとしたりするのではなく、それが歴史的な変遷の中で、どのようにしてそのように語ることが可能になったのかを、今語られているものから出発して探っていくという、そういったことであるようだ。

 「知の考古学」では、そうした、フーコーが自身の取り組みを切り離そうとしてきた(している)別のものと、どのように異なるのか、なぜそういえるのかを通して、言表とは何か、言説とは何か、言表分析、考古学的記述とは何かを、丹念に練り上げていっている。とてもではないが、「結局こういうことでした」などと言うことはできず、すべきでもなく、この本ではこうしたフーコーの取り組みが厚く書かれていたと思う。

(話は逸れるが、ナラティヴ・セラピー含めて良い本を読んだ時よく思うのだが、このフーコーの「知の考古学」などはまさに、この一つ一つ思考を進めていく過程にこそ意味がある気がする。もちろん、膨大なすべての思想や哲学書を読むわけにはいかないので、誰かの到達地点から次の思考が始められる恩恵にいつも預かっていると思うが、「言いたいことはまとめて言うべき」といった結論過重視の言い様やら、マニュアル本や「〇分でわかる~~」みたいな本を見るにつけ、この過程の大事さをちゃんと持っておかないとなぁという気がする。)

 さて、次から少しずつ細かいところに入っていきたい。ただ、これからとり上げるのは、自分の中でナラティヴ・セラピーや、言表分析や考古学的記述として治療的会話を見たときに大切なことを示唆していると思うところをとり上げて考える文章なのであって、その際に「知の考古学」における思考の過程の一つだったり、何かを言わんとする前提のところに反応している所もあると思う。そういったところを、ある意味でつまみ食い的に取り上げてしまっている所もあるだろう。もし「知の考古学」についてレジュメをきれと言われたら、全く違う文章になる気がする。そんなところはご承知おきいただきたい。

・「語られたもの」をどう見なすかについての態度

 フーコーは自分の行おうとしたことに、特に序盤は言表分析、という言葉を与えている。この「言表」とは何でどんな特徴を持つのか、というそもそものことを言わんがために、かなりの紙幅を割いているのだが、一旦は議論のために、ここでは言表を、実際に「語られたもの」としておこう。

そして、この「語られたもの」をどう見なすかということについて、フーコーの態度は非常に印象的であった。以下にその印象的だった個所の一つを引用する。

『言表分析とは、語られたことを、それがまさしく語られた限りにおいて記述するものであるということだ。したがって、言表分析は一つの歴史的分析であるが、しかし、あらゆる解釈の外に自らを保っている。言表分析は、語られたことに対し、それが何を隠しているのか、そのなかでその意に反して何が語られたのか、それが覆い隠している語られざることとは何か、そこにはいかなる思考やイメージや幻想がひしめいているのか、などと問いはしない。言表分析の問いは、逆に、次のようなものである。語られたことはいかなる様式のもとで存在しているのか。語られたことにとって、それが表明されたということ、それが痕跡を残したということ、そしてそれがおそらくはその場所にとどまり場合によっては再使用されるということは、いったいどういうことなのか。語られたことにとって――他ならぬそれ自身の場所に――出現したということは、いったいどういうことなのか。この観点から言えば、潜在的な言表が認められることはない。というのも、ここで問題になっているのは、実質的な言語の顕在性であるからだ。』

(『知の考古学』、「Ⅲ 言表の記述」より)

フーコーがやろうとしたことは、まさに、「語られたことを、それがまさしく語られた限りにおいて記述する」という言葉で、ここでは集約されている気がする。それは、語られたことに対して、それが何を隠しているかとか、語られたことを勝手に超えて、それ以上のことを探そうとする態度ではない。それは例えば、「太陽は東からのぼる」という文章について、「これは真である/偽である」と探求することではない。あるいは、「文法的に正しい/誤りである」とか、この語は「SVO構文を基礎に持つ」とか述べることでもない。それらは、前者で言えば論理学を、後者であれば一般文法を持ち出して、この文章を解釈する行為である。しかし言表のレヴェルにおいて、ここにあるのはあくまでも「太陽は東からのぼる」という、そこに顕在している言表そのものなのである。

治療的会話に近い場面でもう少し広げよう。例えば、「うちの子どもが荒れてるんです」という言葉があったとする。「語られたことを、まさしく語られた限りについて記述する」とはどういうことなのだろうか。それは、「これは反抗挑戦性障害に当てはまる/当てはまらない」といった方向の反応をすることではないだろう。あるいは、「家族の構造に問題があるのではないか」とか、「本人が心理学的、生物学的問題を抱えている可能性がある」といった反応を返すことでもないだろう。「大変だ」「他のご家族も心配しているだろう」といった素朴な反応とも異なる仕方に関わる。もちろん、「それは一大事だ」とか「それはけしからん」という方向に進むことでもないはずだ。(これから何度もこのことを書かなければいけない気がするが、決してそのような反応を持ってはいけない、とか、間違っている、というわけではない。しかし今は、言表分析、考古学的記述、という所から治療的会話を見たとき、どのような探索や会話の方向性が見えてくるのかを考える為に、こうした例との差異化が意味を持つと思い引き合いに出している)。これらは、いわば「語られたこと」の向こうにそれ以上のものを見出す解釈と言える。それは、診断的定義の引用かもしれないし(もちろん、この短い一文では定義できないなどと言っているのではない。もし、外的基準に沿って診断可能とされる一続きの言表がそろっていたとしても、結局それを通してそれ以上のものを見出そうとしていることは変わりない)、心理学的な諸理論かもしれないし、道徳的規範からの判断かもしれない。そうではなくて、ここで語られたものは、あくまでも「うちの子どもが荒れてるんです」ということなのだ。

ある種の心理療法言説においては、それがどのような理論であれ、語られたものを、それ以上のものが潜むものとして理解する方向性を持つだろう。ある発話に対して、診断的アセスメントは、語られたことを通して、その背後に持つ生物学的異常に接近しようとしていると言える。心理学理論の適用は、人間に普遍的な(とその理論がしている)心性や原理の現れを見ようとするだろう。数々の心理テストや診断ツールなどはまさに「語られたこと」を通して、人の心理的状態や心性にアクセスしようとする。しかし、「言表」というレベルで「語られたこと」に向かい合おうとするとき、そのようなスタンスは取られない。それは、「語られたこと」から、「語られたこと」以上のものを見出そうとする、解釈をともなう行為であるからだ。言表分析において目指される探求は、それとは異なるレヴェルのものなのだという(繰り返しになるが、言表分析と異なるレヴェルの反応が間違いだ、すべきでないとか言っているわけではない。もちろん、そこへの批判的態度も含まれてはいるだろう。ただ、それよりも、フーコーはそれとは違う、これとは異なると言いながら、言表分析という、これまでになかった新しい探索の仕方、レヴェルの空間をなんとか定めようとした)。

もちろん、言表分析、考古学的な分析もまた、ここから出発して言表のレヴェルにおける空間を探索していくわけで、その際、まさに進行している言葉の生成に関わる治療的会話と、実際に何らかの形で残っている語られた言表をたどっていくフーコーの言表分析との間には大きな違いがある気がする。カウンセラーがあれこれ思案しながら質問をしていく治療的会話では、目の前の言葉にカウンセラー自身がどうしたって反応しなければならないという時点で、厳密に「語られたこと」のみにとどまることは難しいかもしれないし、そうすべきでもないのかもしれない。この辺りはこれからもっと考えていく余地がある。しかしながら、まずその出発点ともいえるこの地点、「語られたことを、それがまさしく語られた限りにおいて記述する」という態度、語られたことを反応的に解釈、判断してしまうことに少なくとも省察的であろうとすること、「私は悲しい」と言われたとき、まず【私は悲しい】という言表のレヴェルにおいて記述するような受け止め方を認識しておくことは、その後に、カウンセラーが自身の反応を通した関わりをしていくのだとしても、ナラティヴ・セラピーの会話、あるいは言表分析として治療的会話を捉えるのだとしたら、非常に大事なポイントになるのではないかという、そんな気がするのである。

なおわかりにくさは残るだろうと思うのでもう少し続ける。「私は悲しい」という語られたことを、言表のレヴェルで受け取るということは、感情のレヴェルで受け取るということとも区別されなければならないと思う。「この人は悲しいという感情状態にあるんだ」という受け取りは、言表のレヴェルで受け取るということとは異なる気がする。それははやり、感情という解釈枠をもって、語られたことの裏にある感情体験を見出そうとすることなのだろうと思う(何度も言うが、感情体験が重要でないとか言っているわけではない)。そうではなくて、「私は悲しい」と語られたなら、【私は悲しい】という言表のレヴェルで受け取るという、受け取り方がそこにはあるのではないかということだ。そしてそれは、フーコーが従来の分析と引き離す形で言表分析や考古学的分析を進める新しい空間を切り開いたように、治療的会話におけるこれまでの諸理論にはなかったレヴェルでの会話のレイヤーを定めることにつながるのではないかと感じるのである。

ナラティヴ・セラピーにおいては、相手の表現をそのままに受け取ろうとする態度の大切さがよく述べられる。例えば、「また失敗するんじゃないかと思うと、落ち着かなくて」という言葉を、安易に「不安」「神経質になっている」とかいう言葉に置き換えたりしないということ。もちろん、「神経症傾向」とか「極端な認知」とか専門的なタームに置き換えることもである。これは、相手や相手の表現に敬意を払う倫理的な態度、クライアントを中心に置こうとすること、言語に対して注意深くあることとしてすでに十分に理解できるが、言表分析という観点からこの理解にもう一つ説明の相を加えることが可能な気がする。それは、「語られたことを、それがまさしく語られた限りにおいて記述する」という、出発点における反応の形として、言表分析と響き合うかもしれない。それは、「語られたこと」からそれ以上のことに勝手に先走ってしまわないような在り方である。聞いたことを言い換えるという行為は、語られていない心理や法則、規範を中心に置き、語られたものをその表出系の一つに過ぎないとみなす態度である。つまり、語られたことが、ある生物学的異常、あるいは心理学的な状態の発露とみなすこと、より素朴なレベルでは、「イライラしている」「イラついている」「irritate」といった表現を同一の感情状態に帰属する表現として同一視すること。それらは言表のレヴェルで会話を進めようとする態度ではなく、ある(専門的ないし素朴な)理論、規範のレイヤーで会話、記述を進めようとすることである。そうではなく、言表のレヴェルで探索、記述をしていこうとするなら、そうした言い換えをすることはできない。その表現、その言葉から出発することになるのだ。それは『語られたことにとって――他ならぬそれ自身の場所に――出現したということは、いったいどういうことなのか』と問う姿勢である。後でまた言表の「稀少性」についての節でもう少しちゃんと触れるが、ある語られた言表は、他にありえた無際限の可能性のなかから、実際にはたった一つその形で出現することが許された表現なのである。その表現をその表現として受け取ること、言表分析というものから治療的会話に光を当てたとき、そのことの大切さに色を加えることができる気がする。

また、これは言表というレベルから出発して「物語」という形で捉えたとき、さらにわかりやすいものとなるだろう。ある人が自身の物語を語った時、それを簡単にまとめてしまわないこと、よくある話と括らないこと、より抽象的な物語の分類に当てはめないこと。そうではなく、語られ、表現された物語をまずはその語られた限りの形で記述するという態度から出発すること。実際には、治療的会話において、時間的な制約や記憶力、取り組めることの範囲にどうしたって限りがあるとしても、語られた物語をそのままの形で受け取ろうとするところから出発しようとすることは、大切な態度として、フーコーが言表に向き合おうとした態度と響き合うのではないか。

・「語られたこと」の稀少性

 「知の考古学」の中で、フーコーが「稀少性」という言葉を使って述べようとしたことは、「語られたこと」言表というものに向かい合う態度について、また別の角度から光を当ててくれるだろう。(稀少性という言葉はなんだか、その少なさゆえに高い価値がある、という意味を含むような気がするが、おそらくそういうことは単純に言ってはいないと思われる。逆に、価値がないというわけでもない。ある言表が占める位置は、それ自体がその限りにおいて占めるものであり、固有のものであり、その限りにおける固有の価値を持つという気がする。)

『言表および言説形成に関する分析は、これと完全に対立する一つの方向を開く。すなわち、この分析が明らかにしようとするのは、どのような原理に従って、実際に言表された有意的(シニフィアン)集合のみが出現可能となったかということなのである。この分析は、稀少性の法則を打ち立てようと努めるのだ。この任務にはいくつかの側面が含まれる。

  ――この任務は、決してすべてが語られることはない、という原理に依拠している。自然言語(ラング)において言表されえたかもしれないことに対し、言語学的諸要素の無制限の組み合わせに対して、言表は(それがいかに多数であるとしても)常に不足している。ある一つの時代において使用することのできる文法や語彙の財宝から出発して、結局、比較的わずかのことが語られるにすぎないということだ。したがって、稀少化の原理が、あるいは少なくとも、言語体系(ラング)によって開かれる可能な言述の領野が満たされることはないという原理が、探求されることになるだろう。』

 (『知の考古学』、「Ⅳ 稀少性、外在性、累積」より)

私たちが言葉にして表現可能なものは、原理的には無際限に広がっている。しかし、実際に私たちが言葉にすることができるものは限られている。例えば、私たちが自身の感情を表現する仕方は、原理的には無際限ではあろうが、非常に限られたパターンしか手元には残っていない。今私たちは「ヤバい」という言葉で自分の状態を記述できるが、一昔前にはそれは不可能だった。逆に、時間的、地理的に局所的な場所にいる私たちは、潜在的には可能でありながら、別の場所の言葉、別の時代に固有の言葉で、(もしかしたら未来に可能になる言葉でも)自分たちのことを語ることはできない。私たちが自分自身を説明する仕方、社会について語る仕方、ある領域や法則について語る仕方、人について語る仕方、世界について語る仕方も同様であろう。

また、言説のレヴェルにおいてはなおそうであろう。「心理学」の領域においては、「心理学」という言説が許す範囲の語彙、言葉遣いが求められるし、これはもちろん他の学問領域や政治的な場でもそうだろう。また、私たちが置かれるシチュエーションやコンテクストによっても、私たちが発することのできる言葉は限られる。

このような極端な例でなくとも、もっと素朴な例においてすらそうであるし、自分の母語の範囲内においてもやはり私たちは限られた範囲内の言葉から、いくつかを選んで語ることしかできない。例えば、「ムカつく」という言葉が発せられた時、それは他の何ものでもない「ムカつく」という言葉で立ち現れた言葉である。その後で、例え「イラつく」とか「やってられない」という別の言葉がさらに出現するとしても、あるいは後にそのような別の表現に訂正される可能性があるとしても、その時その場所において出現した表現は「ムカつく」という表現であり、それ以外のものではなかったのだ。目の前に実際に出現した「語られたもの」は、無際限の可能性のなかから現れた稀少なものなのである。

『言表は、それを語られざることから分離する限界地点において、他のあらゆる言表を排除してその言表を出現させる審級において検討される。問題は、言表を取り巻く無言に語らせることでもなければ、言表のうちでそして言表の傍らで口をつぐんだり沈黙に追いやられたりしていたことのすべてを見出すことでもない。問題はまた、どのような障害が、しかじかの発見を妨げ、しかじかの言述を押しとどめ、しかじかの形態の言表行為やしかじかの無意識的意味作用や生成しつつあるしかじかの合理性を抑圧したのかを検討することでもない。そうではなくて、問題は、限定された現前のシステムを明らかにすることである。』

『知の考古学』、「Ⅳ 稀少性、外在性、累積」より)

 この稀少性という点からも、先ほどの「語られたもの」に対する態度と通じるスタンスがとられている。フーコーの試みにおいては、言表、語られたものについて、なにが語られなかったか、とか、どうして他のものが語られなかったかを解釈するような方向には進まない。そうではなくて、今目の前においてそのような仕方で現れた言表が帰属する、現前するシステムについて明らかにしていくことなのである。(なお、余談かもしれないが、どうもこれまでの理解と併せて今回「知の考古学」を読んで感じたのは、フーコーの試みはいつも不在よりも現前に、ネガティヴな形式よりもポジティヴな形式に向かっているような気がする(もちろん、良い悪いという意味のネガティヴ、ポジティヴではない)。この、なにが語られなかったか、なにが抑圧されたのかではなく、今現前しているものについて明らかにするという方向性もそうだし、ディスコースによる支配について、人が上からの抑圧的な支配を受けているという単純な理解ではなく、人がおのずから従うような形で支配を引き受けているという、つまり構成的な方向で理解するという、そんな方向性を感じるような気がする。)

 こんなことも述べられている。

『つまり、一つの言表は、一つの実質、一つの支え、一つの場所と一つの日付を持たねばならないということだ。そして、それらの要件が変容するとき、言表そのものの同一性が変化するのである。』

『言表行為は、反復されることのない一つの出来事である。言表行為は、位置と日付を持つ還元不可能な特異性を備えているのだ。』

(『知の考古学』、「Ⅲ 言表機能」より)

何かが語られるという時、その言表とその行為は、それ自身が固有の位置を占めるものなのである。フーコーはこれらを論理学や文法が言述を見つめる仕方と比較している。例えば、「私は生きています」という発話について、それが異なる人、異なる場所、異なる時間において発せられたとしても、この語の連なりが同一であれば、文法的には同一のものとみなされる。あるいは、論理学においては、多少この表現に差異があったとしても、それが真であるか偽であるかという点に還元されることで、それらは固有の位置を占める必要がなくなる。

 しかし、言表行為、言表においては、例え文法や論理学的に同一とみなされる語の連なりであったとしても、ある言表はそれ固有のものとみなされる。「私は生きています」という同じ語の連なりが発せられたとしても、その言表、言表行為はその位置と日付によって、固有の位置を占める(とはいえ、この後も言表と言表行為の議論が続いて様々な補足が加えられていくので、このように単純に言い切るのも微妙だが、しかし、言表というものにこのような方向性の眼差しを向けていたことはおそらく外れてはいないと思われる)。

 このことは、私たちが会話に臨むときのスタンスについて何を伝えるだろうか。例えば、私たちは、ある種のストーリーや表現について「よくある話」という位置を与えることがある。特定の相談事を、ティピカルなものとみなしてしまうかもしれない。もしくは、それこそ、述べられたことから診断的基準によって生物学的状態に還元したり、特定の理論に基づいて心理学的な機能や状態を見出したり、語られたことを語られていないことに還元してしまうかもしれない。こうしたことは、その言表の固有性を、そして同時にそれが持つ種別的な複雑さを排して、より一般的で筋の通ったシンプルなものに還元してしまう。おそらくフーコーが定めようとした言表の特徴や言表に向かい合うというスタンスにおいて、そしてナラティヴ・セラピーが人の話や会話に向ける姿勢は、そうしたものとは異なる。もし、この視点が述べている大事さを治療的会話に持ち込もうと試みるならば、「語られたもの」は、その固有の位置をそのような形で占める固有のものとみなされるだろう。それは、語られたものを何か別の表現に変換可能なものとみなしたり、別のレヴェルにおいてシンプルな形に還元可能なものとみなす仕方を拒否するのである。

 この部分を書きながら、一つまた、自分の中で感じているものでクリアになったものがある。それは、ナラティヴ・セラピーの用語の使われ方についてのことである。これについてなんとなくいつも思うのは、ナラティヴ・セラピーが説明のために導入したいくつかの用語、例えばドミナントストーリーとかオルタナティヴストーリーとか、エイジェンシーとか、そういった用語を、「語られたこと」を還元するために使ってはいけないのではないか、という感覚である。不思議なもので、ナラティヴ・セラピーがだんだんとなじんでくるほどに、自分の関わる、あるいは人の話す個別的な事例、ケースについて検討するとき、こういった概念を使うことが少なくなるように感じている。そのような概念が指し示すような見方は保持しているとしても、「これはドミナントストーリーの力が強いね」とか「これはこの人のエイジェンシーの現れだね」とか、そのような単線的な言い方は居心地が悪い。また、自分のケースで受けたSVについても、あるいはワイカト大学で受けたカウンセリングの具体的な事例に関する会話を思い出しても、やはり、こうした用語は使われなくなっていった気がする。ナラティヴ・セラピーの実践を、それが依拠するこうした思想のレヴェルから思考しようとするとき、こうした用語で安易に人の語りや経験を還元してしまうことへの忌避感のようなものは、いつも持っているのではないかと思う。また、ナラティヴ・セラピーの多くの文献において、こうした用語が一対一対応のように定義されないこと、また、実際の語りについて言及しようとする文章においては、希望とか意図とか価値観とか力強さとか、そういった言葉の方が用いられるのは、専門知の側にある言葉ではなく人々の生活の側にある言葉(ブルーナーのいう所のフォークサイコロジーだろうか)を使い、差異や固有性を消し去って包括してしまう専門的なタームを使いたくないからではないだろうか、というそんな気も今している。

・言表分析

では、こうした「語れたもの」をその限りにおいて、という見方から出発して、言表分析とは何をするのか、と言われても答えられる気がしない。「言表のレヴェルで分析をしていくのだ」という、苦し紛れの言い方をしてもトートロジーでしかない。むしろ、フーコー自身が「知の考古学」という本を通して言表分析とは何で何をしようとするのかを慎重に定めていっているのだから、一対一対応で言えるようなものではない。だが、フーコー自身がそうしているように、言表分析がどのようなものかはまた、他の分析との比較によって少し明らかになるだろう。

ある言表が語られたとする。「太陽は西に沈む」という言表があった時、言表分析は、そこに何かの理論からくる解釈や、規範的な判断を持ち込もうとはしない。例えば、論理学的にこの命題が正しいかどうか、文法的に成立しているかどうか、天文学的ないし地理的な理論と照らし合わせてどうだろうかという解釈はしない。あるいは、こうした言表をもって、それを発した主体の心性に接近しようとするわけでもない。こうした言表の集合を通して、なんらかの構造や無意識へのアクセスを試みるのでもない。

先ほどの引用の中で、「したがって、言表分析は一つの歴史的分析であるが、しかし、あらゆる解釈の外に自らを保っている。」という言明があったのを思い出したい。言表分析は、そうしたあらゆる解釈の外に自らを保とうとする。そうではなくて、そこで目指されるのは「一つの歴史的分析」なのである。この一言ではまとめきれないが、そこにある方向性と言うのは「その言表は、どのようにしてそこに出現することが可能となったのか」について歴史的に記述していく、という方向性があると思う。つまり、「太陽は西に沈む」という言表を、その内側や、その構造に眼差しを向けて何が言えるかを問うのではなく、この言表が他でもないこの形でここに出現したという所から出発し、まさにこの言表がここに出現することが許されるに至った歴史的な流れを明らかにしようとする。言表を、言説として考えた方が分かりやすいかもしれない。言説というのは、ある領野において種別的(フーコーが使っている言葉。おそらく、他とは区別されるそれ固有の、みたいな意味ではないかと理解している)な諸規則に基づく諸言表の集合のことである。例えば、「心理学」という言説は、ある領野において、様々な心理学の概念や言葉、その使い方、それらの諸関係が、ある規則的な仕方で集合しているものだと理解できる。そして、言表分析、考古学的な分析によって取り組まれるのは、「心理学」として今まとまっているその領野に種別的な言表の集合が、どのようにしてそのような位置を占めるに至ったか、それが可能になった言説形成についての記述をするのだ。

これは、ナラティヴ・セラピーが会話において持つ非常に固有の在り方につながる気がする。多くの心理療法言説においては、「語られたこと」を通して、その人の心性に接近しようとするだろう。これは、いわば解釈という関与の仕方である。「語られたこと」の解釈を通して、そこに隠されているものや、それが表象するもの、深層にある構造に接近しようと試みる仕方である。しかし、ナラティヴ・セラピーにおいては、会話においてそのような方向に意図的に向かおうとすることはほとんどないし、むしろ向かおうとするのは、その歴史や物語である。また、同じ社会構成主義的なセラピーと位置付けられながら対比させられるところとして、ソリューションフォーカストセラピーは未来に向かうが、ナラティヴ・セラピーは過去に向かう、といった理解がある。ナラティヴ・セラピーは、あることが語られている時、それを通して語り手の心性を明らかにしようとするのではなく、未来へとフォーカスするのでもなく、その言葉がここで語られるに至った、歴史的な探求に向かおうとする方向性を持っている気がする。実際、ナラティヴ・セラピーが自身の取り組みをたびたび考古学に例えるのは、このフーコーの考古学的分析を受けてなのだろう。

・不連続、分散、固有の複雑さへ向かう分析

歴史的な分析という時、やはりフーコーが繰り返し、自身の取り組みを差異化しようと述べていることがある。

『言説に関する歴史的分析を、あらゆる歴史的決定から逃れる一つの起源の探索および反復として定める第一のテーマ。言説に関する歴史的分析を、すでに語られたことであると同時に語られざることでもあるものの解釈ないし聴取として定める第二のテーマ。言説の無限の連続性と、絶えず更新される不在の作用のなかでの言説の自己へのひそかな現前とを保証するために役立つこれら二つのテーマを、ともに放棄しなければならない。言説の一つひとつの契機を、出来事の闖入として迎え入れる用意ができていなければならないということ。つまり、言説が現れる時間的一回性のなかで、また、言説が反復され、知られ、忘却され、変換され、跡形もなく消し去られ、あらゆる視線から遠く離れた書物の塵のなかに埋められることを可能とするような時間的分散の中で、言説を扱う必要があるということだ。言説を、起源のはるか遠い現前へと送り返すのではなく、具体的事件としてその作用のなかで扱わねばならないのである。』

(『知の考古学』、「Ⅰ 言説の統一性」より)

歴史を何か一つの起源へと送り返すような分析、歴史を語られざるものへの解釈という方向へ向ける分析から、フーコーは自身の試みを引き離そうとしている。例えば歴史を未成熟から成熟への一連の連続体とみなしたり、ある時代に起こることの背後に象徴や構造が控えているようなものとして説明に取り組むことから、フーコーは自身の取り組みを解き放とうとしている。いうなればそうした歴史は、いわば矛盾の無い、整合的で、複雑さをよりシンプルなものに還元して説明を試みるような歴史認識であり、それに基づく取り組みであろう。そうではなく、フーコーが捉える歴史とは、そのような整合的な枠に含み切ることなど到底できないような、様々な出来事の闖入や不連続性、分散が広がっているようなものであり、そうしたものの諸関係の中で、決して何かに還元されるようなことのできない一回性の固有な言説を、その具体的な出現そのものを、その諸関係の中で捉えようとしているのである。歴史がそのようなものとして見えたとき、シンプルな形に還元しようとする記述の試みは、そこに含み切らない言表や言説を、時に解釈し、あるいはなかったものとし、整合的で矛盾の無いきれいな形に整えてしまうものとして見えてくる。「知の考古学」におけるフーコーの記述には、この「不連続」「分散」といった言葉が繰り返し出てくる。「分散」とは何か。以下にいくつかの言葉を引用してみる。

『包括的記述は、全ての現象を、唯一の中心のもとに――原理、意味作用、精神、世界観、総体的形態のもとに――収斂させる。これに対し、一般的歴史は逆に、分散の空間を繰り広げることになるであろう。』

(『知の考古学』、「Ⅰ 序論」より)

(伝統や影響、発達や進化、心性や精神といった観念を引き合いに出し)『以上のような、できあいの総合、通常あらゆる検討以前に認められているグループ化、最初からすでにその有効性が認められている結びつきを、問い直さねばならない。人間の諸言説を互いに結びつけるために用いられるのが習慣となっているそうした漠とした形態や力を、追い立てなければならない。それらの形態や力が勢力をふるっている物陰から、それらを狩り出さなければならない。そして、それらの価値を無反省的に認める代わりに、方法上の配慮によって、まずは一群の分散した出来事しか扱わないことを受け入れなければならない。』

(『知の考古学』、「Ⅰ 言説の統一性」より)

私たちが生きているこの世界において起こる現象や諸言表は、何か大きな統一体に回収できるようなものではない。この世界の時間的流れの中で、生じたり、変換をこうむったり、消滅したりしていく諸言表や出来事、現象たちを、何か唯一の中心のもとに収斂させるような、そのような歴史認識からフーコーは自身の取り組みを引き離す。そうではなく、それは時間的空間的広がりの中で、決して何かの中心に収斂しきることなどできようもない様々な言表、言説、出来事が分散的に繰り広げられ続けている、そのような世界なのである。だから、言表というレヴェルにおいて取り組むとき、私たちはまず、そのような「分散した出来事しか扱わないということを受け入れなければならない」のだ。

「非連続」についてはどうだろうか。

『その古典的形態における歴史学にとって、非連続的なものは、所与であると同時に思考不可能なものであった。すなわちそれは、分散した出来事のかたちで――決定、偶然事、主導性、発見といったかたちで――与えられるものであったということ、そして、出来事の連続性が現れるようにするために分析が迂回し、縮減し、消去すべきものであったということだ。』

(『知の考古学』、「Ⅰ 序論」より)

『問題は、思考の歴史を、いかなる目的論によっても前もって縮減されることのない一つの非連続性のなかで分析し、いかなるあらかじめの地平によっても閉じられることのない一つの分散のなかで標定し、いかなる超越論的構成によっても主体の形式を課されることのない一つの匿名性のなかで展開させ、いかなる曙光の回帰も約束しない一つの時間性へと開くことであった。』

(『知の考古学』、「Ⅴ 結論」より)

ある統一体のもとに、大きな目的論に沿って歴史を説明しようとすれば、そこではある現象や出来事が整合的な仕方で結びつけられていく、そんな連続性にもとづいた記述になるだろう。しかし、歴史に、何か偶然事や発見を認めるとするならば、あるいは統一体に回収されない時空間的な分散に彩られたものとして歴史を認識するならば、そこには確実に非連続的なものが現れる。連続性を前提とする歴史認識においては、非連続的なものはある種の障害として現れ、迂回し、縮減し、消去すべきものとして現れる。もちろんそこから進んで、さらに包括的な歴史認識に至ったとしても、目的論や連続性の過程といったテーゼがある限り、常に非連続性がそこに現れるだろう。そして、フーコーの取り組みにおいては、むしろ「非連続性のなかで分析」すること、「いかなるあらかじめの地平によっても閉じられることのない一つの分散のなかで標定」されることが前提となる。ここでは詳しくは論じることはしないが、非連続性というものが「探求の道具であると同時に対象」であるもの、そして「歴史的解読の対象を決定してその分析に有効性を与えるポジティヴな要素となる」ものとして現れてくるのである。

では、「分散」と「非連続」を前提とした歴史認識において、考古学的分析によって得られる記述とはどのようなものとなるのだろうか。

『ここで問題となっているのは、言説を中立化し、言説を別のものの記号とみなしつつ、言説の手前に沈黙のうちにとどまっているものに辿り着くために言説の厚みを貫くことではなく、逆に、言説をその堅固さのうちに維持することであり、言説をそれに固有の複雑さにおいて出現させることである。』

『一つの言説の諸対象の形成を記述する際に行われるのは、一つの言説実践を特徴づける関係設定を標定しようという試みであり』

『言説の手前に──まだ何も語られておらず、物が灰色の光のなかに現れ始めたばかりの場所に──立ち戻るのではない。かといって、言説が配置し自身の背後に残した諸形式を見いだすべく、言説の彼方へと赴くのでもない。そうではなくて、言説そのもののレヴェルに自らを維持すること、そこに自らを維持しようと試みることが問題なのだ。』

(『知の考古学』、「Ⅲ 対象の形成」より)

当然ながらそれは、ある言説をその根源へと送り返すような分析ではない。その背後にある構造へ向かって言説を超えていくことでもない。それは、言説そのもののレヴェルにおいて、そこにある言表や言説が、言説実践や非言説的な実践、他の言説、制度や政治といったものとの関連で、歴史的に出現してきたその形成における諸関係について記述するのだ。そしてなによりもここで重要に感じられるのは、「言説をそれに固有の複雑さにおいて出現させる」ということであろう。何かの統一体や目的論や構造といった、より整合的でシンプルな記述へと向かうのではなく、その言表、言説が出現したという所から出発して、それが出現した空間を、歴史的な分散や非連続との諸関係のなかで、「それ固有の複雑さ」を記述しようという試みなのだ。

この一連の議論は、ナラティヴ・セラピーの、あるいは言表分析、考古学的分析として治療的会話を探求しようとしたとき、やはり重要なものを含んでいるように思われる。それは、目の前にいる人を、あるいはその人の語ったものや経験、物語を、何かの統一体や背後の構造、目的論的にみる仕方とは異なる見方を提供する。それは、語られたものや経験に何か整合的なもののうちに統一的な説明を加えようとしたりするのとは異なる仕方について伝えてくれる。また、その人の経験について、その歴史的な側面に接近するのだとしても、やはり分散や不連続にそれ固有の居場所を与えながらそれ固有の複雑さに開かれようとする態度と、むしろ整合性や連続性に収斂させるような聞き方をするのとでは、会話へ向かう態度も、実際の展開も異なったものとなるだろう。もちろん、これは、何の因果関係も、整合性も拒絶し、混沌に向かおうと言っているのではない。そうではなく、人の表現も経験も物語も、何かの統一体に収斂させるのではなく、かといって、ただの拡散的な記述のカオスに向かうのではなく、その経験や言説が、言説というレヴェルにおいてそれ固有にもっている諸関係の複雑さを描き出すことを試みるのである。

・矛盾に対する態度

 フーコーは「知の考古学」において、「矛盾」というものについても取り上げている。特に思想史について取り上げる中で、思想史というものが、言説の整合性を保つように、つまり『可能な限り矛盾を取り除くこと』、矛盾を乗り越えるような方向性で作動してきたことを述べる。それは、ある矛盾が発見されるたびに、それが乗り越えられ、さらに深いレベルで言説を組織化し、統一性をもたらそうとする方向性である。

 しかし、フーコーが考古学的記述において試みるのはそのような方向ではない。そもそも、思想史のなかでは、矛盾を解消するために多様な手段が多数活用されており、そこには『いくつもの整合性が見いだされることがありうる』と考える。つまり、様々な矛盾の解消の仕方に彩られた分散がもうすでに思想史のなかにあるとみているのだろう。では、考古学的分析は矛盾に対してどのような態度をとるのか。

『これに対し、考古学的分析にとって、矛盾は、乗り越えるべき外観でもなければ、抽出すべき秘密の原理でもなく、そのものとして記述すべき対象である。』

『記述すべき対象として矛盾をとり上げることによって、考古学的分析が試みるのは、矛盾に代えて共通の形式ないし共通のテーマ系を発見することではなく、矛盾の隔たりの大きさとその形態を決定することである。思想史が、矛盾を、一つの包括的形象の薄暗い統一性のなかに溶かし込もうとしたり、解釈ないし説明の一般的で抽象的かつ一様な原理へと転換させようとしたりするのに対し、考古学は、さまざまに異なる衝突の空間を記述するのである。』

(『知の考古学』、「Ⅲ 矛盾」より)

 言表の分散として現れる世界において、矛盾はそこここで生じるものであろう。そうした矛盾を解消し、溶かし込み、ある種の統一性をもたらそうとする分析においては、おそらく矛盾は整合性を破壊するものとして位置づけられるが、考古学的分析にとって、矛盾はむしろ矛盾として取り上げられ、そこにある隔たりや、互いに矛盾する言説が衝突する空間を、その差異を、その分岐点を明らかにしていく対象として位置づけられる。つまり、矛盾を解消したりイレギュラーなものとして無視しようとするのではなく、矛盾を矛盾のまま関係性のなかで記述しようとする試みであろう。

 この態度は、治療的会話においても重要なものを含むような気がする。カウンセリングの会話に取り組んでいる時、「あれ、なんか今までと違う話が出てきた」という瞬間は、会話の大事な分岐点となることがしばしばある。もし人が複雑な世界を生きているのだとしたら、逆に整合性の取れた矛盾の無い一本のストーリーラインに沿うものが語られるとき、そこには単線的な単純な世界が広がっていることになるはずである。何かこれまでの話の筋と整合性の取れないものが出てくるということは、ある言説とは異なる領野に属する、別の領野が見いだされていくということである。もちろん、こういうからと言って、矛盾が解消されたり、矛盾していると感じたものが事後的に何かテーマを与えるということが会話の中で起きることを拒絶したり、価値がないと言いたいわけではない。そのようなことは、探索の結果として当然ながら起こり得るだろう。矛盾を探索した結果そのようなことが起こるということと、矛盾を解消しようと会話を進めることの間には大きな隔たりがある。

また、「差異」というものの重要性も、ここで明らかとなってくる。

『考古学はただ、差異を真剣に受け止めようと努めているだけである。諸々の差異のもつれを解きほぐし、それらがどのように配分されているのか、それらがどのようにして互いに含み合い、制御し合い、従属し合っているのか、それらが互いに区別されるどのようなカテゴリーに属しているのかを明らかにすること。要するに、問題は、それらの差異を記述することであり、さらにそれらの差異のあいだに差異のシステムを打ち立てることである』

『考古学は逆に、通常は障害とみなされているものを自らの記述の対象とする。すなわち、考古学の企図は、諸々の差異を乗り越えることではなく、それらを分析し、それらが正確にはいかなるものであるかを語り、それらを差異化することなのだ』

(『知の考古学』、「Ⅴ 変化と変換」より)

 差異、矛盾、分散、不連続、それぞれの言表や言説の種別性や固有性、「語られたこと」たちが占めているそれ独自の位置、それらを理路整然と矛盾なく説明する論理へ向けて進むことも、あるいはそれらを包括してその差異に全体的な意味を与える象徴的な記述を求めることも、ここで行いたいことではない。それは、仮に最後にそうしたものと重なり合うものがあろうとも、むしろその差異、分散、固有性、「語られたこと」それ自体を真剣に受け止め、それがどのような関係性の綾の中にあるのかを明らかにしていくこと、その複雑さをなるべくそのまま複雑な形で描き出そうとすることなのである。分散や差異は、無理くりに整合的な方向性を与えられることなく、それ自体の位置を与えられ、のびのびとしはじめるだろう。

 そして、そこにある複雑さの束が描き出されたとき、そこにはその限界がまた姿を現すだろうし、その関連領域や、政治的な実践との関係も明らかになるだろう。さらに、その複雑性は、まさに矛盾する言表や領域、関連するもののそれに与しない異なる領域への裂け目をも明らかにするかもしれない。ナラティヴが、外在化する会話法を通して何事かに取り組もうとする時、そこにはこの多数多様化、差異化、分散、複雑さという側面が含まれているような気がする。また、この差異を、人々の表現や経験、出来事についてのものとして見たとき、やはりそこにはその差異を「真剣に受け止めようと努める」ことの意味が見えてくる。それは、その人がせっかく発した表現、経験について、そこにある差異を真剣に受け止めるということである。人の経験や表現を何かに還元してしまわないこと、変換してしまわないこと、「語られたもの」としてそれが持つ差異に真剣に取り組もうとすることは、何よりも倫理的に重要な態度であろうし、またそのようにして扱われた表現や経験は、もし還元されてしまい、別の表現に括られたり言い換えられてしまっていたら語ることのなかったであろうことを提供してくれる可能性を持つという意味で、実質的にも重要であろう。

・象徴的分析ではなく、因果的分析でもない、考古学的分析

 また少し別の個所から、フーコーが考古学的分析について説明しているものについて考えたい。

『考古学はまた、言説形成と非言説的領域(制度、政治的出来事、経済的実践およびプロセス)とのあいだの諸関係も明るみに出す。そうした関連付けが目的とするのは、大いなる文化的連続性を明らかにしたり、因果性のメカニズムを他から切り離して考察したりすることではない。言表的事実の一つの集合を前にして、考古学は、なにがそれをもたらしえたのかと問うのではない(これは言述のコンテクストに関する探究である)。考古学はまた、それらの言表的事実のうちで何が表現されているのかを見いだそうとするのでもない(これは解釈学の任務である)。そうではなくて、考古学が試みるのは、言表的事実の集合が帰属するものとしての――そしてその集合が属するポジティヴィテを特徴づけるものとしての――形成の諸規則が、どのようにして非言説的な諸々のシステムに結び付けられうるのかを明らかにすることである。考古学は、連接の種別的な形態を明らかにしようとするのだ。』

(『知の考古学』、「Ⅳ 比較にもとづく事実」より)

 このあたりの議論において、フーコーは考古学的分析を、「象徴的分析」「因果的分析」と差異化する形で定めようとしている。それは、諸言表や言説形成について、そこにある統一的なテーマ、文化的連続性を明らかにしたりすることでもなければ、因果関係のレヴェルに説明づけることでもない。それは、そこに具体的な形で現前している諸言表が帰属する、その言説形成に関わる諸規則や非言説的な諸々のシステムとの関連についての、種別的な形態を明らかにしようとするのだ。

この「因果」という言葉もまた、心理学、ないし心理療法的言説においては、様々な変遷を経てきた言葉であろう。当初は、病ないし症状の原因を探る、直線的な因果関係が素朴に求められた。それは医学的に求められることもあれば、心理学的に概念化されることもあったろう。しかしあまりにも単線的で、個人主義的なこの理解に対し、家族療法の流れは、クライアントをIPと言い換え、円環的因果律という言葉で因果律を編み直そうとしたり、あるいは家族という構造からそれを明らかにしようとした(と個人的には理解している)。あるいは、解決志向という言葉は、問題がはらむ因果が会話に混ざることを厭って、問題や問題の周辺の関係性、過去的なものを会話から退けた(と、これもそのように理解している)。そして、ナラティヴ・セラピーは、会話において、この考古学的分析・言表分析的な仕方によって歴史を、因果関係とは異なるレイヤーの中で探索しようとする側面がある。それは因果関係に直接言及するものではなく、原因を何らかの構造に帰属させるでもなく、しかしそうした問題とされるものを分析の俎上から退けることはせず、むしろ、それらとは違う形で、そこにある言説、言表レヴェルにおける諸関係の束を描き出すことに向かう。

因果関係ではなく、その言説形成、言表の出現に関わる諸要素、出来事の諸関係を描き出す、というものの違いは、イメージとしてなかなかわかりづらい気がする。因果的分析や象徴的分析が、その分析によって、今起きていることについての集束的な理解を与えようとするのに対し、おそらく考古学的記述においては、分散する言表や言説、出来事といった諸要素の関係性の束が描き出されることになる。治療的会話においても、ある心理学的な、あるいは素朴な理論に基づいて、そこにある全体的な意味を探そうとしたり、問題の因果関係に接近しようとする会話と、その言表から出発してそれに関わる多くの物事との諸関係を描きそうとする会話では、(そうして記述されたものに、例え最後に、やはり象徴的な意味や因果関係としての理解がクライアントに与えられる結果になったとしても)そこに生じる会話の質や展開は大きく異なっていくだろう。

よく、ナラティヴ・セラピーの質問は特徴的だと言われる。例えば、「うつっぽくて、不安なんです」といった言葉に出会った時、どのような質問があるだろうか。これは、実際の文脈から切り離されているのでいつもそのような質問をするわけではないにせよ、「それについてもう少し話してもらえますか」とか、「そのことが生活に入り込んできた時期やきっかけというのはあるんですか」とか、「そのことはあなたに対してどんな影響を持っているものなんですか」とか、そういった質問がとりあえず浮かんでくる。今話されたことから出発して、そのようなことの形成に関わる歴史や、それが持っている影響力、その人自身との諸関係を明らかにしていくような探求が、ひとつ考えられる。それは、以下のような方向性とはやはり区別されるだろう。例えば、「なぜ」という因果を探る方向性。もちろん、ナラティヴ・セラピーに限った話ではなく、Whyを突きつけるような質問への慎重さはカウンセリングの文脈でもよく見かける。けれど、形式的にWhyを使わなかったからと言って、この方向性に進んでいかないとも言い切れない。例えば、ある理論に基づいてその人の認知や行動の枠組みを探っていくことで、クライアントの意識上ではないにしても因果関係が探られることがあるだろう。あるいは、それは何らかの構造や環境との相互作用が求められることもあるかもしれない。あるいはそこに見出された感情体験や意味作用に深く潜っていくような方向性もあるかもしれない。不安の正体についてもっと味わうことで明らかにするような方向性とか、自分が不安を感じているのはなぜかを突き詰めていくような方向性とか。これらは因果関係やテーマ、構造という目的に向けて収斂させていくような会話となるだろう。また、質問をしていくという点でソクラテス式問答法というアプローチをたまに聞くが、この方法についての記述を読んでいると、やはりこの点で大きな違いがあると感じる。ソクラテス式問答法で目指されるのは、質問を通してより根源的なレベルにおける不協和についての気づきに到達することであるように感じる。これは、収斂する方向性をもつ会話であろう。

ただ、こういうからと言って、今述べてきたようなやり方と重なるような方向に会話が向かうことを、考古学的記述が拒絶するわけではないだろう。また、特に治療的会話として考えるならば、記述の結果として因果や象徴的なテーマなどが見いだされることを拒絶しているわけでもない。むしろ、そうした領域もまた、言表分析や考古学的分析として治療的会話を考える際も、探索される領域として含まれうるだろう。ただし、それは分散されたものの諸関係を同定していこうとする試みがそれを包含しうるのであって、やはりそれは因果的分析や象徴的分析が目指すような探求、分析とは異なる。それらは、全く異なるレイヤーにおいて展開されるものである。それに、ある方向性に収斂する会話と、分散を探索していこうとする会話では、例え部分的な重なりがあったとしても、その会話が含みうる可能性の領域が異なっている気がする。

・言表に与えられる価値の分配

 フーコーは『Ⅱ独創的なものと規則的なもの』という節で、思想史が言説の領野を価値づける仕方と、考古学が言説の領野を価値づける仕方との違いについて言及している。

『一般的に思想史は、言説の領野を、二つの価値を持つ領域として扱う。そこで標定される要素のすべては、古いものもしくは新しいものとして、かつてないものもしくは反復されたものとして、伝統的なものもしくは独創的なものとして、標準タイプに合致したものもしくは逸脱したものとして、特徴づけられうるということだ』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より) 

そして、思想史は、前者に対しては「高い価値」が与えられ、後者には「凡庸で日常的な大量の言述」という地位が与えられるとしている。フーコーはこの後、何かを独創的なものと凡庸で日常的なものとに分ける絶対的な境界がないことを示すことで、このような分類と価値づけについて『独創性と凡庸さとの対立は、考古学的記述が身を置くレヴェルにとっては関与的なものではない』と述べるに至る。この視点から、なにをすることが可能となるのだろうか。

 『したがって、一つの言表の規則性を、もう一つの別の言表の不規則性(より予想外で、より特異で、より革新に富んだ言表の不規則性)に対立させるのではなく、他の諸言表を特徴づける他の諸々の規則性に対立させなければならない。』

『考古学がやろうとしているのは、神聖なる創始者たちのリストを作成することではなく、一つの言説実践の規則性を明るみに出すことである。』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より)

 フーコーの描いて見せる世界は、分散、多様性、複雑性をもった世界である。それは、例えばある時代区分について象徴的な一つテーマを見つけ出せるような世界でも、因果論によって説明しつくされる世界でも、非理性から理性へといった特定の方向へ通時的に発展していくような世界でもない。そのような、統一性に向かう世界ではなく、様々な言説領野が入り乱れ、関係しあいながら、政治や制度、力関係を含む非言説的実践とも関係しながら、言説領野の変換や出現や消滅が生じていくような、そんな複雑な世界である。

 独創性と凡庸さが対比される世界においては、おそらく、日常にあふれ繰り返される凡庸なる多くの諸言表は、独創的なるものと対比され、低く価値づけられてしまう。ある種の統一性のもとで、一方の極は古いもの、新しくないものとして位置づけられてしまう。しかし、考古学、言表の記述というレヴェルにおいて、それら思想史が二つの方向性に分けたものは、そのようなあらかじめ与えられたヒエラルキーのもとではなく、ただ言表がどのようにしてそこに出現することを許され、機能が作動するのか、その諸々の規則性という、いわば同じ地平で明らかにされていくものとなる。こうなった時、これまで独創的なものとして上位に位置づけられてきたものはその特権的な立ち位置を失い、そして、これまで凡庸なものとして位置づけられてしまっていたものは、別の形で存在を認められるようになる。

 ナラティヴ・セラピーがこのフーコーの仕事に負っているだろう理解の一つとして、中心と周縁という捉え方がある。それは、今まで上位―下位、正統なるもの―そうでないものとして位置づけられたものを、別の形で捉え直そうとしたものであろうと思われる。それは、社会の中で中心に位置づけられ、存在し語る権利を十分に認められていたものと、そのような位置から周縁に追いやられてしまったものがあるという見方。そして、周縁に追いやられてしまったものを、そのような不当な位置ではなく、この言表という領域において、もう一度しっかりと立場を取り戻せるようにすることが、一つあるのではないか。とはいえ、これらはナラティヴ・セラピーにおいても、非常に大切で、結構明確に語られている所なので、そんなに取り上げ直さなくてもいいだろう。なので、もうひとつの理解として見えてきたものについて記述を試みたい。こちらの方が、今回の「知の考古学」を通してまた少しクリアになったところである。以下にまたフーコーの言葉を引用してみる。

『最も取るに足らぬ言表でさえも――最も目立たぬあるいは最も凡庸な言表でさえも――その対象、その様態、それが使用する諸概念、それが帰属する戦略が形成される際に従う諸規則の作用を実現しているのである。それらの諸規則が、一つの言述のなかに与えられることは決してない。それらは、諸々の言述を貫き、諸々の言述のための共存空間を構成する。』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より)

 以前、何かの研究会で思想に詳しい人と話していた時、その人がフーコーについて(正確には覚えていないが)「あの人は、当時の人ですら誰も知らないような、田舎の教会においてある書物とか絵とか、そういうものを膨大に持ち出して話をする」みたいなことを言っていて、僕にとってフーコーはそういうイメージがまずあったりする。このうろ覚えの言葉からくるイメージが正確かどうかはわからないが、しかしこの引用においても、やはり僕は似たようなイメージを抱く。「最も取るに足らぬ言表でさえも」「最も目立たぬあるいは最も凡庸な言表でさえも」、そこにはその言表が占める位置があり、それが持つ確かな作用があり、他の諸々の言述と共に、一つの空間を構成しているのだということ。それがどんな些細で小さな、片隅にある言表であったとしても、他の(ある尺度において一見もっと正統だったり独創的だったりするような)言表と同じ地平で、それが固有に占める位置をしっかり定めようとするのである。

 このことは、ナラティヴ・セラピーの会話におけるあるイメージと繋がる。先ほど「語られたもの」を語られた限りのものとして向き合う態度について話したが、それはさらに、そうした態度を語られたもの一つ一つの全てに向けていくような態度へとつながっていく。それは、何かこちらがあらかじめ持っている基準や尺度によって表現をより分けながら聞くのではなく、会話において、例え些細で一見凡庸だったり、当たり前のこと、よくあることを言っているようなものに対してさえ、その表現をそのようなものとしてしっかりと聞き届け、取り扱おうとするという、そんな態度である。

いくつかの事態は容易に想像できる。ある種の診断やアセスメントが持つ基準が念頭に来ることで、いくつかの言表や表現はその場で言葉にされたり、しっかりと聞かれる権利が失われるような事態が想像できる。あるいは、ある筋道だった理論を念頭に話が聞かれるとき、理論に沿わない非連続的なものは無視されたり、あるいは理論に沿う形に変形されたり、それ自体が占める固有の位置を追われて聞かれることになるかもしれない。こうした行為を妥当であるとみなすか、正当であるとみなすかは、当然置かれるコンテクストによって異なってくるだろうが、少なくとも言表というレヴェル、考古学的記述という試みにおいても、ナラティヴ・セラピーが試みる治療的会話においてもそのような方向は目指されない。もちろん、治療的会話という現実の場面では、全ての表現に平等に反応することなど現実的に不可能だし、むしろそこで生じる選択こそが会話を方向づける決定的な要素として真剣に検討されなければならないだろう。しかしながら、所与の基準や尺度や理論を念頭に表現のより分けを行うのと、そのようなことへの内省を持ちながら、その場に現れる固有の表現、固有の物語において、どのような方向性で会話を進めることが助けとなるのかを手探りしていくのとでは、大きく会話の在り方は異なるだろう。実際、ナラティヴ・セラピーにおいて提案されている会話の方向性は、このような前提の上で理解していくことに意味があるものだという気がする。

 また、このような態度は、実際に会話の可能性を広げるものとしていくつかのケースを想定させてくれる。例えば、特定の基準や尺度や理論が念頭にあることで除外されている表現をも俎上に載せる機会が広がるかもしれない。これは単純に会話の射程や領域がより広がることに寄与するだろう。例えば、こうした端々の表現を捉えることができたら、さもなければ見逃してしまったかもしれない表現を助け出すことにつながるだろう。また、こうした表現がそれぞれ、別の会話の入り口を提供する可能性を持っているとすれば、ある方向性で行き詰った会話に対して、別の方向へ舵をきる機会を提供するかもしれない。あるいは、もしカウンセラー側のふるいにかけきる前の表現をクライアントに差し戻し、クライアント自身に会話の方向性を開いてもらうような機会を提供したとしたら、カウンセラーの側ではキャッチできなかった探索の方向性を得るかもしれない。

 ある外的基準や理論に価値づけられた表現から離れ、一見凡庸だったり、些細だったり、片隅にひっそりと存在しているような表現も同様の可能性を持つ価値あるものとして扱うような、フーコーの言表、言説というレヴェルでの考え方は、このような治療的会話の相に光を当ててくれるような気がする。

 (ちなみに、今ふと沸いたイメージだが、このようなたとえはどうだろうか。森の中に木があるとする。「語られたもの」をその限りにおいて見る、というのは、目の前に現れた一本の木そのものを見るということである。それは、「この木は杉の木だね」とか「この木は病に侵されている」とか「同じ木が向こうにもあったよ」とか、その木が語る前に想像、判断してしまうことに言及するものではない。そうではなく、そこにそのような木が生えて今のように現れている、その諸関係を記述していくのである。

 そして、ある尺度において凡庸とされるものをも固有に見ていくこと。それは、森において、珍しい木、ひと際大きい木、象徴的な意味のある木など、特定の基準において突出した木を探すのではなく、そこにある、例えありふれた凡庸な同じ種類の木であろうとも、もしくは片隅の小さな、あるいは枯れかけの、もしくは一見して特徴のない木であろうとも、それ自身が固有に占める位置、歴史、この森の構成に関わる仕方を、突出した木と同じように、同じ地平で記述していくことを試みるのである。)

・言表的派生の樹形図

 このように、一つの尺度に価値づけられたものではなく、そこにある言表にその固有の位置と関係性を探索しようとする視線を分配し、記述していくいことによって何が得られるのか。フーコーの述べる表現の一つに「言表的派生の樹形図」というものがある。

『こうして、言表的派生の樹形図を描くことができる。その基底にあるのは、形成の諸規則をその最も大きな拡がりにおいて作動させる諸言表である。そして、いくつかの枝分かれの後、その頂点に現れるのは、同じ規則性を、ただしその拡がりのなかでより細かく分節化され、よりはっきりと境界確定され、より明確に局在化されたものとして実現する諸言表である。』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より)

この樹形図という表現によってフーコーが述べていることについては、まだしっかりと分かってはいない気がする。樹形図というからには、根本と枝葉の先端があるはずである。それは、何の力関係も持たずに広がっていくアメーバ構造とは異なるだろうか。しかし、アメーバ構造であったとしても、そして例え描かれるたびにその中心に据えられるものが変わったとしても、やはり、その位置関係は決して均質ではない。また、現実の世界において言表の諸関係が均質であるわけがない。それは、言表のレヴェルにおいて探索され記述された言表の諸関係においても、ある種の現れ方を持つだろう。言表やそれが属する言説領野、その周辺の言説領野、その言説の形成に関わる時間的に分散した諸言表、制度や政治的出来事、経済的実践やプロセスと言った非言説的領域、そういった諸要素の諸関係や、それを結び付ける種別的な諸規則についての、派生の樹形図がそこにはあるのだろうか。

 ともかく、例え根と枝葉といった関係がそこにあったとしても、この派生の樹形図は、何かの核を持ち、そこからの因果によって諸言表が据えられていくようなものでもなければ、特定の象徴的なテーマのもとに演繹的に配置されていくようなものではない。

『舵取り的言表を出発点とするこうした派生を、公理から出発して行われる演繹と混同してはならない。また、この派生を、一つの一般観念ないし一つの哲学的な核が発生し、経験もしくは明確な概念化の中でその意味作用を少しずつ展開していくことと、同一視してもならない。最後に、この派生を、出発点にある一つの発見がその帰結を少しずつ発展させてその可能性を開花させるような、心理学的発生であるとみなしてもならない。この派生は、それらの行程すべてと異なるものであり、その自律性において記述されるべきものなのだ。』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より)

このことを言う時、フーコーは、言表分析において描き出される諸関係の派生のたどる順序が、そうではない基準を持つ順序と全く別の形をとらなければならないとか、重ならないと言っているわけではない。『その考古学的順序がシステム的順序とさほど異ならないような言説形成もおそらくあるだろうし、考古学的順序が年代学的継起の流れをたどるケースもおそらくあるだろう』としたうえで、それでもフーコーは以下のように述べる。

『いずれにしても重要なのは、これらの異なる順序を混同しないようにすること、最初の「発見」もしくは一つの言述の独創性のなかに、すべてをそこから演繹し派生させることのできるような原理を探し求めないようにすることである。言表的規則性もしくは個別的発明が従う法則を、一つの一般的原理のなかに探し求めようとしないこと。考古学的派生に対し、時間の順序を再現したり演繹的図式を明るみに出したりするよう求めないことが肝要なのだ。』

(『知の考古学』、「Ⅱ 独創的なものと規則的なもの」より)

 もしかしたら、描き出したものがここで区別しようとしている演繹的なものと重なることもあるだろう。しかし、言表のレヴェルにおける分析、考古学的な記述というものが、一つの核や発見、独創性、公理から演繹的に派生するものとはみなさず、そのようなものを探し求めようとしないことが「肝要」なのだ(これは、先ほ、象徴的分析や因果的分析との差異化において、重なることはあっても探求の領域の可能性、レイヤーが違うということで述べたのとも通じることであろう)。

 言表分析、考古学的記述として治療的会話を見る時、このことはなにを映すだろうか。一つは、ここまでの流れで見てきたようなものとして言表を見なしたとき、その関連領野として見えてくる樹形図を描き出すものとしての会話の意味ではないか。それは、語られた問題に何か象徴的な意味を与えようとすることでも、因果関係を確立しようとすることでもない、それらとは別の、言表のレヴェルでそこにある諸規則や関係性を描き出していく樹形図である。そして、この取り組みには、ある種の態度が求められるということ。それは因果関係や演繹的図式に則ったような、整った図を明るみに出そうとすることではない。たとえ結果としてそれに重なるものが描かれるのだとしても、そのようなものとしては求めないことが「肝要」なのだ。

 これは、複雑性について述べたことともつながるだろう。治療的会話において、その人の生きる人生の複雑さをそのままに描き出そうとすること。それはある因果関係や演繹的な仕方で、見た目には整った、けれどその固有性や複雑さを反映しないものを描き出すことではない。カウンセラーが依って立つ理論に沿って話を聞くことでも、聞き手であるカウンセラーが(同様に語り手であるクライアントもまた)取り込まれているような言説の、内的な諸規則にもとづいて描き出される派生図でもないということである。それは記述という過程を通して、むしろその外に立つことを導く。

 また、フーコーが「舵取り言表」から出発したとしても、それは、何か演繹や因果の中心となる核ではないのだと注意深く述べている所も見逃してはいけない。このことはいくつかのことを伝えてくれる。まず、その樹形図が、根と枝葉があったとしても、それは核とその表出面のような関係ではないということだ。もしあるものを核と定めてしまえば、言表分析、考古学的記述としての治療的会話は、結局因果関係を描き出すものになるだろう。それは、その人の経験の固有性、多様性を失わせるだろうし、結局のところ、その核と沿わない枝葉が存在する余地を残さないものとなる。この核というのは、もしかしたら、感情とか認知とか無意識とか心理学において重要とされている中心概念かもしれないし、生物学的な診断かもしれないし、あるいはその人が依拠するディスコースとかカウンセラーの側が持ち込んでしまうものかもしれないし、時にはクライアントの側が持ち込むそうしたものかもしれない(もちろん、クライアントにそれを持ち込むなということもない)。核と表面の関係においては、つまりある価値基準が定められてしまっては、無視され、声を失うものが生まれ、そこにある複雑さや分散が十分に描き出される余地はなくなるだろう。

もちろん、何の出発点も方向性もなければ、どのような探求も出発することはできないだろう。だから、探求の出発点でもあり、ひとまずの方向性をもって進んでいくための舵取りがそこにはあるのだ。しかし、それが核ではないのだと述べることで、その会話の探究は大きな自由度を得る。例えば、ある言説的な理論に沿って進められる会話においては、探求の幅はその理論内にとどめられるだろうし、中心に置かれる概念や言表の重心が変わったり動く余地はあまりないだろう。しかし、「舵取り言表」は核ではないという時、ある一つの言表に一時舵取りを託したとしても、それはまた別の言表に取って代わる余地がある。ナラティヴ・セラピーの会話において、ある筋で進めてきた会話が急に別の筋道に跳躍することがある。これは、時にクライアントにとっても跳躍であることもあれば、クライアントからしたら跳躍ではないこともある。いずれにせよ、会話における、舵取りの言表や言説、経験や物語の交代ということが可能であるということは、言表のレヴェルで多くの可能性を探索していくうえで、重要な意味を持つのではないだろうか。

 そしてもう一つ、この言明は、後にフーコーが、そのようにして描き出された考古学的記述は、数多ある記述の可能性の一つに過ぎないと言うことと併せて、新たな可能性を教えてくれる。ある時に、ある舵取りの方向性に託して進めた会話の結果見えてきたものが、時に見慣れたもの、その人にとって新たな意味を持たないものになってしまったとしても、また、そこには別の樹形図が描かれる可能性がいつでもあるのである。それは、ある論理に基づいて明確な図が描かれた後、その乗り越えに向かわなければならなくなるような熱い関与に向かうものとは異なる方向を指し示し、より自由度やスペースが別の方向の可能性を包含する会話が持ちうる希望についても何事かを述べてくれる気がする。

・多数多様化を前提として向かう記述/会話

 これは「知の考古学」のなかでも言及されているし、フーコーの広く普及した理解においてもそうだと思うが、フーコーは、真理や因果や象徴に沿って何かを記述しようとするものを、解釈の一つに過ぎないものとして理解する。では、フーコー自身はどのような立ち位置に立っているのだろうか。次のような記述がある。

『特権など、何もない。私が記述したのは、記述可能な諸々の集合のうちの一つにすぎない』

『考古学が自らを差し向ける地平、それは、したがって、一つの科学でも、一つの合理性でも、一つの心性でも、一つの文化でもなく、その限界とその交叉地点を一挙に定めることができないような諸々の間のポジティヴィテの錯綜である。考古学、それは、諸言説の多様性を縮減したり、諸言説を全体化する統一性を描き出したりすることを目指すのではなく、諸言説の多様性をさまざまに異なる形象のなかに配分することを目指すような、一つの比較分析なのだ。考古学的な比較は、統一化をもたらすものではなく、多数多様化をもたらすものなのである。』

(『知の考古学』、「Ⅳ 比較にもとづく事実」より)

 フーコーは自分もまた特権的な位置からものを言っているわけではないと述べる。また、自分自身のこれまでの仕事も、記述可能なもののうちの一つに過ぎないと述べる。自身の立ち位置にまで言及し、また自分自身をもこの分散に彩られた世界に投げ入れるような姿勢はすがすがしくもある。それと同時に、ここで述べられている、ある記述は記述可能なもののうちの一つに過ぎないということ、そして考古学的記述は統一化をもたらすのではなく、多数多様化をもたらすとするこの言葉は非常に印象的である。もちろんこれは、何でもあり、などということを言っているのでは当然ないだろう。そのような解釈は、「語られたもの」をその限りにおいて記述するのだというあのスタンスを忘れているし、実際に語られた具体的な言表の諸関係の中で言説が領野を成していることを無視し、空虚な理論的空想に羽ばたいてしまうような乱暴な理解だと思う(ポストモダンを何でもありとしてしまうようなやり方はこのあたりの慎重さがないのだと思う)。ともかくも、言表分析、考古学的記述によって得られた一つの記述もまた、可能な記述の一つであるということ、それは統一体をもたらすのではなく多数多様化をもたらすのだというこのフーコーの言葉は、ナラティヴ・セラピーにおいても重要な視点を励起させる気がする。今度は、マイケル・ホワイトを引用する。

 『ナラティヴ・リソースの創成に貢献し、それゆえ人生がよく読まれるようにするのは、人生の複数の文脈化である。ギアーツを引用しよう。「テクストはよく読まれるために、複数の文脈化を必要とする」(1983)。このようなナラティヴ・リソースは、諸個人が世界を経験するのに与える意味の幅や、世界における行為選択の幅を拡げる上でおおいに貢献する。』(『セラピストの人生という物語』訳pp.43)

 唯一の正しい見方、究極的な知、統一的な見方から解放された世界において、記述の可能性が複数あると認められること、その多数多様化をもたらすということには、どのような意味があるだろうか。マイケル・ホワイトの言葉を借りれば、文脈の複数化はナラティヴ・リソースの創成に貢献する。それは、人生がより多様な読み方がされることに開かれるリソースとなり、経験に与える意味の幅や、行為選択の幅を広げることに貢献する。ナラティヴ・セラピーが「オルタナティヴ・ストーリー」とか、「好ましい物語」という言葉を使って何かを語るとき、それを「本当のオルタナティヴ・ストーリー」とか、「そこにたどり着かなければいけない好ましい物語」として用いるとしたら、大事なものが見落とされていると感じる。また、そのような理解にもとづいてしまうと、会話はやはり、なんとか「オルタナティヴ」や「好ましい」ものを見つけ出すことに向かうような収斂する方向に向かうだろう。もちろん、問題の理解やドミナント・ストーリーといった概念も同様である。そうではなく、ある言表、表現、経験から出発して、その人の人生に関わる出来事や理解、考え、言説(ディスコース)、人々との諸関係の分散を探索していくこと、そうして描き出された一つの可能性としての「派生の樹形図」を通して、それが複数の文脈や、多数多様な理解を開くこと、オルタナティヴやドミナント、好ましい何かといったものは、この樹形図が豊かで助けとなるものとなるような数あるガイドラインの一つとして、あるいは探索の結果として見えてきた分散のなかにあるかもしれないものとしてあるのだろう。そして、そのような多数多様化によって、人生や経験の理解の幅、行為選択の幅、アイデンティティ結論の幅をもたらすものとして貢献していくのではないか。そして、この樹形図もまた一つの可能性に過ぎないということは、別の樹形図、さらに多くの多数多様化への可能性が残されているということでもある。このことは一つの希望について伝える。それが何かはわからなくとも、今は見えなくとも、別の領野や別の関係性、別の分散を包含した、別の樹形図を描くことは、さらに豊かなナラティヴ・リソースがそこにあり得ることにつながるだろう。フーコーは「知の考古学」の中で、『言表を認め、言表そのものを考察するためには、視線と態度のある種の転換が必要なのである。』(『知の考古学』、「Ⅲ 言表の記述」より)と述べているのだが、このような世界観の転換は、社会構成主義やポスト構造主義的な治療的会話に取り組むうえで、非常に重要なものを提供するように思う。

・言表分析、考古学的分析を通して光を当て直す:absent but implicit

 実は、割と最初のうちに脳裏によぎったものの、この時点まで宙づりにしていた問いがある。それは、absent but implicit(潜―在、不在だが暗に示されているもの)というナラティヴ・セラピーにおける重要な言葉についての問いである。なぜなら、こうした語が指し示すものは、本稿で最初のうちに示した、語られたものを語られた限りにおいて記述するということ、語られていないものを勝手に志向しないという、言表分析の態度と相反するように見えるからだ。

 まぁそもそも、absent but implicitといった概念は、デリダやベイトソンの思想を受けたものだとマイケル・ホワイトも言っているので、別の潮流から来たものだと考えればそこまで神経質になる必要もないかもしれない。しかしながら、ここまで言表分析や考古学的分析について詳しく見て、改めてこの語に目を向けると、むしろマイケル・ホワイトがこの語を通してやろうとしたことは、言表分析や考古学的記述と非常に響き合うものであることが見えてくる。そして、言表分析や考古学的記述を通してみることで、absent but implicitという言葉で切り開こうとしている取り組みがどのようなものであるのかが、むしろよりしっかりと見えてくるような気がしている。

absent but implicitという語が指し示すものもまた、一言で言い切ることはできない。それでもあえて今の自分の理解を言葉にするなら、クライアントによって何かが語られたとき、その語られたものは、クライアントにそのような表現や認識を可能にしたものについても暗に知らせている、ということではないかと思う。それは例えば、絶望についての語りは、絶望と希望をより分ける認識をクライアントが持っていること、そしてそのような認識を可能にした歴史がそこにあり、それを探求する可能性があることを知らせてくれる。この概念を「語られたことを暗に含んでいるもの」という字面の表面的な理解によって理解する時、それは確かに、フーコーが言表に隠されたものを分析するわけではない、という言葉で述べた態度と矛盾するだろう。しかし、むしろabsent but implicitについて、マイケル・ホワイトの文献をよく読む中でわかるのは、それが、フーコーがしようとしたのと同じような、語られた言表・表現が可能となる言説や言表の形成の歴史に関わるものだということだ。

実際、マイケル・ホワイトがabsent but implicitについて記した論文のタイトルは「Re-engaging with history: The absent but implicit」(White, 2000)であり、この概念が歴史に取り組むことを指し示していることがタイトルからも読み取れる。また、この論文において、マイケル・ホワイトは、この歴史の再取組みが、歴史のリフレーミング(reframe)や歴史の改訂(revision)ではないということをかなり強調して書いている。リフレーミングや改訂は人々の人生や経験をsingle-storiedのうちに操作するものであり、歴史の再取組み(re-engaging)はmulti-storiedに関わるものだと述べている。マイケルがこの論文のなかであげている事例はどれも、歴史を解釈し直したり、修正を強いたりするのではなく、カウンセリングの会話で語られたものから出発して、自身の歴史についてまだ明らかになってはいないものを様々な仕方で探索するということ、そうする中で、また現象に対する理解の幅や、自身のアイデンティティ結論についての幅、行為選択の幅が広がっていく、そのような様子として描かれている。これは、単線的な因果や、整合の取れた統一的な歴史を更新していくことではなく、多様多数化のもとに種別的な言説の歴史の複雑性を描き出そうとしたフーコーの試みとむしろ強く響き合う。

翻ってこういうことができるだろう。absent but implicitという言葉を、「語られたもの」を何か因果論や、構造や、ヒューマニスティックな心性や、心理学の本質主義的な概念や解釈へと送り返すようなタームとして扱ってはいけないと。そうではなく、これは歴史の分散のもとにある多様性に開かれた世界のなかで、クライアントが語ったことから出発して、それがどのように可能になったのかを、言表のレヴェルにおいて、その形成の歴史に関わる出来事の分散を明らかにしていくような、そんな相を持った言葉として持っておく必要があるのではないかということを。

・おまけ:慣れ親しんだものから離れようとする姿勢

 これは、むしろナラティヴ・セラピーの方でよく知っている表現と似た響きのものを、フーコーの記述のなかにも見つけてうれしくなったという話である。とはいえ、これも面白いなと思った。この節だけは、マイケル・ホワイトの方から出発しよう。すでに絶版となってしまっている本だが、「ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生」というマイケル・ホワイトの著作がある。そして、マイケルがブルドューから引用し、この本の標語のようになっている言葉が「馴れ親しんだものを見知らぬ異国のものにする」(exoticise the domestic)である。

『「馴れ親しんだものを見知らぬ異国のものにする」という概念は、本書の論考をつなぐテーマでもある。とりわけ、これらの論考は、(普遍的真理であり、一般的に妥当で、かつ全体的に応用可能であると考えられている)人生とアイデンティティの特質に関する近代的概念を、見知らぬ異国のものにする。それらはまた、(人々の人生を、現代西洋文化において社会的に構成された規範に調和したものにするよう人々を誘う上で機能している)疑問の余地のない文化実践を、見知らぬ異国のものにする。さらに、本書の論考は、(人々がセラピーに持ち込む問題や窮状を生成する正にその文脈を再生産しかねない)当たり前になっているカウンセリングの会話のいくつかを、見知らぬ異国のものにする。』

(『ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生』 「序」より)

 今まで当たり前とされてきたものを、決して当たり前ではないものとして描き出すこと。そして新しい、見知らぬものとして、そこにあるものがまた新鮮に目に留まるようなものとして改めて描き出すこと。そのような試みが、マイケル・ホワイトの論考としても、そして治療的会話におけるテーマの一つとしてもいつもそこにある気がする。

 そんなところがあったためか、フーコーの以下の文が、とりわけ目に留まったのである。

『要するに、次のような危険があるということだ。すなわち、既に存在しているものに基礎を与えようとしたり、素描された線をなぞって仕上げようとしたり、そのような回帰やそのような最終的確認によって安心を得ようとしたり、かくも多くの策略と夜の後にすべてが救われると告げる至福の円環を完成させようとしたりする代わりに、なじみ深い風景から離れ、慣れ親しんでいる保証から遠ざかり、いまだ碁盤割りがなされていない大地へ、容易に予測できない結末の方へと前進しなければならなくなるかもしれないということである。』

(『知の考古学』 「Ⅱ 言説形成」より)

 この後もフーコーは、「馴染み深い」という表現を通して、そのような自明性の領域から離れるということを繰り返し述べている。時には『それらの見かけの馴染み深さを一掃する』とさえ述べている。また違う箇所の以下の文も印象的だ。

『ところで、私はあくまで前進しようとしたのだった。それは、私が勝利を確信していたからでもないし、自分の武器に自信があったからでもない。そうではなくて、さしあたってそれが最も重要なことであると私には思われたからだ。すなわち、思考の歴史をその超越論的隷属から解放することが必要であると、私には思われたのである。』

(『知の考古学』 「Ⅴ 結論」より)

ブルーナーは『意味の復権』で、『われわれが人生に仲間入りすることは、すでに上演が進行中の演劇の舞台へ登場するようなものである』と述べたが、社会に生れ落ちる我々にとって、そこにはすでに巨大な仕方でそびえて、その自明性を疑うことさえ思いつかないようなものが多くある。それらの波に乗り、そのようなプロットに沿うことは、あらかじめ用意された保障や居場所を得ることにつながるだろう。しかし、一方でそのようなところに居場所を保つことのできない者も往々にして存在するし、その自明性の疑わしさに気づいた以上、もう見ないふりをできないでいるということもある。

 フーコーの文は、「馴染み深いもの」「馴れ親しんでいるもの」のそうした保障や安らぎの円環から、そこから外れる道筋の大変さを理解しながらも進んでいく決意のようなものを感じる。そして、マイケル・ホワイトの言葉は、そうした決意を引き継ぎながら、しかし、「馴れ親しんだもの」から離れる会話の旅が、行き先はわからずとも、しかし可能性に満ちた、新たな希望につながるはずだという確信をもって出発するような仕方で知らせてくれる。

 このような態度について、「知の考古学」のなかで、フーコー自身が何かそれについて口にしているわけではないが、訳者解説のなかで、個人的には非常に印象深いことが書かれていた。

(考古学的記述について)『それは、その記述がまさしく、我々を我々自身の連続性から断ち切るからなのである。「我々の診断」とは、我々の同一性を確認する代わりに、我々を差異および分散として明示するものなのだ。言説実践の分析は、我々が我々自身から身を引き離すことを可能にすべきものであるということ。このように、自己からの脱出は、フーコーにおいて、かつて自分が帰属していた場所から自らを解放する身振りを越えて、いわば探求の目的そのものとして掲げられているのである。』

(『知の考古学』 「訳者解説」より)

 僕はフーコー自身のことをまだそこまでしっかりとは知らないのだが、フーコー自身もかつては実存の本質的構造を探求するような人間学者であったという。また、一時は、人間主義的なマルクス主義に帰属していたのだとも。これらは、「知の考古学」において、フーコーが自身の取り組みから差異化しようとしたものなのだ。だから、訳者によれば、フーコーの試みは『自己自身から身を引き離すための努力に他ならなかった』のだという。これらの文章を読むにあたり、その人を規定し従属させる言説を記述することを通して、その人自身をその言説から引き離そうとする、ナラティヴ・セラピーの脱構築といった会話のことが思い出される。

 人間に本質的なもの(核のようなもの)が備わっていないとする、あるいはそうした判断を保留することは、ある意味で、人間の存在を不安定なものにするように見えるかもしれない。実際そのような面はあるのかもしれない。しかし一方で、そのような核を自分が認識することができない以上、何か核や絶対的なものがあるというレイヤーにおける探求は、常に自分がもう十分か、到達しているのかという疑念にさらされ続けることにもなる。一時は何かを捕まえたような気がしても、それを保証するものは何もないのである。それはまた、終わりを知ることのできないゴールに向けて前進し続けることを課せられていることともいえる。しかし、分散や多数多様性に彩られた世界においては、その時々に変化を求める切実さはあるにしても、むしろ私たちは自分たちがその時点で納得する限りにおける居場所を得ることに(諦めではなく)開かれ、またいつでもその場所を移ることのできる可能性に開かれている気がする。

 それまでの自分自身から身を引き離す、ということは、治療的会話において一つの希望の可能性として感じられる。去年邦訳を発売した『ふたつの島とボート』(ドナルド・マクミナミン著)では、今いる島から別の島に移るというメタファーを通じてこのことを述べている。また、ナラティヴ・セラピーの会話においては、まだ語られたことのない経験や側面が探求されることで、つまり見慣れぬ場所に漕ぎ出していくことで、新しい自身に出会うようなことが起きる気がする。また、マイケル・ホワイトが、カウンセリングに取り組むということは、会話を通してカウンセラー自身が変化することを伴うはずで、それが起きないとしたらしっかりと会話に取り組めていなかった可能性がある、というようなことをどこかで述べていた気がする(これがどこにあったかいつも思い出そうとしても思い出せない。思い出したい)。それは、誰かがクライアントに強いるものではなく、豊かな探求の結果として、生じる可能性としてとらえるものであって、だからその旅を共にするクライアントのみならずカウンセラーもいつも何かしら変容していく存在としてそこにいるのだ。これはまた、フーコーもマイケル・ホワイトもいろんな意味でフェアな立場に立っている気がする。

・最後に

 以上のようなことを「知の考古学」を読み進めながらずっと思い浮かべていた。そして、それを通して、まず自分のなかでの、ナラティヴ・セラピーにおけるフーコーの位置づけが変わった気がする。今までも、主に「物語としての家族」を通して、フーコーの描き出した世界観がナラティヴ・セラピーの土台として持っているものについては、かなり感銘を受けつついろいろなことを考えていた。とはいえ、今まではマイケル・ホワイトが述べたものを通して、その存在を感じるというものであった。しかし、「知の考古学」を読むことで、それを経由していない形でフーコーの存在を感じることができた気がする。それによって、ナラティヴ・セラピーにおけるフーコーの存在感は、また聞きではなく直に見えたような、もっと細かな、考古学的記述や言表分析として「語られたもの」に取り組む、実際のレベルに血の通った形でのフーコーが垣間見え、それが具体的な治療的会話への姿勢や取り組みとしてめぐっているものが見えたような気がする。

 逆に言えば今回「知の考古学」を通してみることで、ナラティヴ・セラピーの会話における、ある種の、他の心理療法的会話とはレイヤーの違う雰囲気をまとっているというあの感じがもう少しはっきり見えたような気がする。「語られたもの」について、言表として、言説として、そのようなレヴェルにおいて、その背後の心理や隠されたものに向かうのではなく、それがいかにしてそのように現れたかという問いを探求していくこと。そのような取り組みがもたらす雰囲気の違いがナラティヴ・セラピーにはある気がする。

 ただ、ここまで見てきて、フーコーとナラティヴ・セラピーが全く重なるわけではないこと、同一視してはいけないものであることも当然ながら見えてくる。フーコーが試みたのは、言説や言表の領野、それ自体に対する言表分析であろう。その取り組みは、すでに実際に言葉にされて存在しているテクストたちを扱うということになるだろう。しかし、治療的会話は目の前の一人の(あるいは複数人かもしれないが)名前のある人物の語り、経験を中心に置く取り組みであるし、今語られたものから出発しつつも、これから言葉にして語っていくものに向かうという生成的な側面を含んでいる。また、フーコーの記述、分析があることを明らかにして記述するということ自体がある種の目的として念頭に置かれるだろうことに対し、治療的会話においては、その人と共に、その人が生きていく助けになるように関わるというケアの倫理が出発点として念頭に置かれる。その世界観、言表分析、考古学的記述から多くのことを受け継ぎ、影響を受けながら、出発点となる土台に多くのものを負いながら、やはりナラティヴ・セラピーがそれをもって取り組もうとする実践は、また異なるレヴェルのモノであり、異なる方向性へと枝葉を伸ばしていくものであろう。

 また、ナラティヴ・セラピーは、エッセンシャルな位置を占めているとはいえ、決してフーコーだけを土台に置いた実践ではない。ブルーナーやデリダ、テクスト論、脱構築、ギアーツ、文化人類学、マイアホッフ、社会構成主義やポスト構造主義に寄与した諸々の思想、研究、物語に関する分析などなど、ナラティヴ・セラピーは多くの流れを受けて、マイケル・ホワイトやディヴィッド・エプストンたちが発展させた実践と思想であり、それ以降もドゥルーズやガタリなど近年の思想家の潮流も含みながら発展を続けている領域である。だからこそ、それこそ「フーコーの影響を受けてナラティヴ・セラピーが発展した」などという、考古学的記述とはかけ離れた言明をするべきではない。むしろ、ナラティヴ・セラピーについて考えていく際にも、いまそのようにそこにある稀少性に目を向け、様々な人や領域、言説、政治的な体制や言説的・非言説的実践のなかにそれがある複雑性を描き出そうとする姿勢が必要なのだろうと思う。

~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

※「知の考古学」を読みながらいろいろ書いたことはほかにもいろいろあった。ただ、思考があちこちに手を伸ばすので、今回改めてそれをまとめて書こうとしたときに、一連の流れからは漏れるものもあった。ただ、それでも重要に感じるものがいくつかあったので、それらを以下、余談としてばらばらと書いておく。

・余談①:自身の論を進める際の語り方の注意深さ・姿勢

フーコーの論文を読んでいると、その内容もさることながら、その書き方において暗に明に現れる、丁寧さ、注意深さ、謙虚さ、しかしある種の主張をはっきりとする力強さなどを感じ、そんな姿勢的なところにも(勝手に)自分が響き合って熱くなったりした。また、そのような、書き方に現れる姿勢が、マイケル・ホワイトと響いて見えるようなときもあり、それも印象的だった。

例えば以下の文。

『この仕事は、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』のなかに読まれうるものをとり上げ直してそれを正確に記述しようとするものではない。かなり多くの点に関して、この仕事はそれらの著作とは異なっている。この仕事はまた、数多くの訂正と内的批判を含んでいる。一般的に言って、『狂気の歴史』は、そこで「経験」として指し示されているものに対し、あまりにも大きな、そしてかなり謎めいた重要性を与えていた。そしてそれによって、この著作は、歴史の匿名で一般的な主体を認める立場の近くにとどまっていることを示していた(一五)。『臨床医学の誕生』においては、幾度も試みられた構造分析への訴えによって、提起された問題の種別性および考古学に固有のレヴェルが回避されそうになった(一六)。最後に、『言葉と物』においては、方法論的な標識の不在によって、文化的全体性の観点からの分析がなされているのだと信じられることにもなった(一七)。これらの危険を回避できなかったことに、私は心を痛めている。そこで私は、次のように考えて自分を慰めている。それらの危険は企てそのもののなかに含まれていたのだ、なぜならその企ては、自らに固有の方策を講じるために、歴史研究の多様な方法と多様な形態から自由になる必要があったのだから、と。それに、もし私に対する質問が提出されず(1)、困難も生じず、反論もなかったとしたら、私はおそらく、今や私が否応なしにそれにつなぎとめられているこの企てが、かくもはっきりと姿を現すのを見ることはなかったであろう。ここから、このテクストの慎重でややちぐはぐなやり方が生じる。すなわち、このテクストは絶えず、あちらからもこちらからも距離をとって自らの方策を打ち立て、自らの限界へと手探りで進み、自身が言わんとしているのではないことにぶつかって、自らに固有の道を明確にするために溝を穿つということだ。このテクストは絶えず、生じうる混同を告発する。』

(『知の考古学』 「Ⅰ 序論」より)

フーコーのこの言葉は、非常に響く。3つの著作でなしてきたことが、違う形で理解されたということ。哲学という領域、あるいはそれに限らずままあることだろうが、それでも己の力を尽くした試みが全く違う地平で理解されるというのはしんどいものだろう。しかしながら、フーコーの態度は、こうした質問が提出されたことによって、これまでの仕事の中に含まれていた危険が明らかになったのだと。これらの困難や反論によって、また自身の企てがはっきりと姿を現すのだと。ナラティヴや社会構成主義の説明において、しばしば別領域の言葉の地平から理解されることへの心痛を思いだす。さて、この引用の後の文もかなり印象的だった。

『このテクストは、自分が何者であるかを名乗りながら、自分はこれでもないしあれでもないとあらかじめ述べる。たいていの場合、それは批判ではない。誰もがあちこちで見誤ったのだと述べているのでもない。そうではなくて、問題は、一つの特異な場所を、それに隣接しているものの外在性によって定義することである。問題は──他の人々の言葉が無駄であると主張しつつ彼らを沈黙に追いやろうとすることではなく──、私がそこから出発して語る空白の空間、いまだかくも不安定でかくも不確かであると私が感じている一つの言説のなかでゆっくりとかたちをなすその空間を、定めようと試みることなのだ。』

(『知の考古学』 「Ⅱ 言説形成」より)

「知の考古学」は、読めば明らかだが、言説や言表、言表分析、ポジティヴィテといった、新しいことを述べるための用語を使用しながら、「こういうことではない」「こういうものではない」「そうではなくて―」と、さまざまな他のものと、一つ一つ差異化の作業を行いながら、自身の試みの輪郭をはっきりさせていく、そんな書だったと思う。

ただ、「そういうことではない」「こういうことでもない」という時、それはその立場に立っている人からしたら批判であり、指摘であるように見えてしまうだろう。もちろん、そのような批判的な思いがないわけではないと思う。しかし、それは、批判をすることが目的ではないのである。そうではなく、この試みはどんなもので、それはどんな空間に定められるかを、なんとかかんとか定めようとする、その試みなのだ。「自分が何者であるかを名乗りながら、自分はこれでもないしあれでもない」「そこから出発して語る空白の空間、いまだかくも不安定でかくも不確かであると私が感じている一つの言説の中でゆっくりとかたちをなすその空間を、定めようと試みることなのだ」というのは、まだ許されていない地平に自分の試みの空間を何とか切り開こうとする切実さを感じる文章である。

それは、社会のなかに居場所を定位できない感覚、その中で、誰にも認められないような形で抵抗し続けるような、書くこと、語ることを通じて自分の位置を何とか定位するような切実さを感じる、といったら言い過ぎだろうか。

 マイケル・ホワイトの著作にも、どこか似たものを感じる時がある。

『著作であるとか教育において、私が常に、人生や実践展開に関する文脈を考えることの重要性に注意を向けるよう主張してきたにも拘らず、往々にして私は、自分が提唱していることについてのきわめて還元的な説明を見聞きする。たとえば、以下のような結論が導かれているのである。私が「人生はテクストに過ぎないと提唱した」とか、「現実を言語に還元した」とか、「ナラティヴを言説と(それが言説に還元されるまで)混ぜ合わせた」とか、「何でもありの道徳的相対主義を提唱した」とか、「反現実主義者である」とか「構造を意味する個人のなかに問題を位置づけることによって、現代的西洋文化の個人主義と隔離主義を再生産した」等々と。

 私が提唱した治療実践に関する上記結論のいくつかは、逆に、そのような実践の全体を「ナラティヴ・セラピー」と同定した結果に過ぎない。現時点でそのような弊害があるのであれば、「ナラティヴ・セラピー」という名称は取りやめ、その代わりに、人々の人生の文脈的複雑さを主張する実践に注意を向ける別の名称が確立されるべきであろう。しかし、ナラティヴ・メタファーは私にとって適切であり続けるであろう。なぜなら(以下続く)』

 (『ナラティヴ・プラクティス 会話を続けよう』より)

言わんとすることを、従来の伝統的な枠組みで理解されたり、あるいは背景にある思想や姿勢にまで十分理解されないままに早合点され誤読されてしまうということは、今でさえよくある気がするので、当時ではもっとそうだったのだろう。そんな中で、ナラティヴという語でなくてもいいんだ、といいつつも、ナラティヴという語を選んだ意味を再度提出するということ。

 また、自分達が使う言葉に対しての慎重さ、また、従来の枠組みに帰着させられてしまわないように、なんとか新しい言葉を打ち立てながら言わんとすることを述べていこうとする姿勢も響き合う。

例えば「知の考古学」は、言説、言表、考古学的記述、ポジティヴィテといった、おそらくは新しいターム、あるいは今まで素朴な形で使われたものを、慎重に再定義しながら論を進めていることは、本を読んでいるとすぐわかる。また、以下の一文も印象的だった。

『したがって私は、構造主義的な企てを、その正当な限界を超えて継続しようとしたのではない。そして、私が『言葉と物』のなかで構造という用語をただの一度も用いなかったということについては、あなたにもそれを容易に認めていただけるだろう。』

(『知の考古学』 「Ⅴ 結論」より)

 訳者解説によれば、フーコーは、人間中心主義から抜け出すというその点において、しばしば構造主義に分類されてきてしまったという。しかしながら、フーコー自身の認識としても、また実際の取り組みとしても、それは構造主義に分類されるものではない。むしろ、現代からの理解では、ポスト構造主義に位置づけられるはずの人だ。だからこそ、その混同を避け、そうではないことをしようとしているということを明確にするために、フーコーは「構造」という言葉を『言葉と物』において意地でも使わないようにしたのだろう。

 こういった言葉への注意深さを見る時、『セラピストの人生という物語』の序文でマイケル・ホワイトが書いていることを、いつも思い出す。

『本書の主題となっているものがポスト構造主義の思想や実践の探究である以上、主題が人生や人間行為である場合になじみのある用語ではない記述用語を、私はここで使うことになる。読者にいくらか困難を強いることになるのは、承知している。(中略)私の願うセラピー実践やセラピー概念を表現することが、慣例的な話し方や書き方によって可能であることは、決してあり得ない。本書では、慎重に考えた末、特定の記述のみを選択した。私は、このような記述に、カウンセリング/精神療法文化においてあたりまえとされている通常の用語では伝えきれない正確な意味を託した。読者のなかには、それらのいくつかをジャルゴンだと考える人がいるかもしれないが、それらを、カウンセリング/精神療法において慣例的言説となっているもっと慣れ親しんだ言葉や言い回しに翻訳し直すことのないようお願いしたい。なぜなら、そうすると意味が変わってしまうからである。』

 この『セラピストの人生という物語』では、恐らくはクライアントと言う代わりだろう、「諸個人」とか、「相談に来た諸個人」といった言葉が使われるよう、かなりの気が配られている。あるいは、ナラティヴ・セラピーにおいて「アイデンティティ」という代わりに「アイデンティティ結論」という言葉が使われる。これは、おそらく「アイデンティティ」というタームが持っている本質主義的な響き、固定的で人に内在したものとなる、発達心理学的なニュアンスをから、自分達が言わんとすることを引き離すためであろう。自分たちの立つ新しい立場やこれまでにないことを言わんとするために、一つ一つの用語を丹念に丁寧に構成し続けるその姿勢を感じる。

また、マイケル・ホワイトの著作をはじめ、ナラティヴ・セラピーの著作群の書き方は、その独特の用語を抜きにしてもなかなか読みにくいところがある。これもまた「知の考古学」でもそのように感じたのだが、この書き方は、何か一対一で物事が簡潔に説明できる、という世界観から何とか抜け出し、様々なものの関係性のなかで、言葉や言わんとすることを何とか定めようとする仕方の現れなのではないかと思う。だからその言葉はストレートでなく感じるかもしれないし、読みにくいかもしれない。言い換えないまでも、簡潔にまとめてしまいたくなるかもしれない。しかしそうしたとき、その書き方に込めた大事なものも失われてしまうような気がする。ストーリーやディスコースやエイジェンシーという言葉を使っていたとしても、もしそれが一対一対応で何かを指し示しているかのような、あるいは何か素朴に実在するものを示すような、日常の言葉遣いや科学的な言説が持つ語り方のなかに置かれたとしたら、その言葉に託されたもので抜け落ちてしまうものがある。

「知の考古学」を読む中で、そのようなマイケル・ホワイトの著作に感じている所をまた多く思い出した。

・余談②:現象学とフーコー

自分の場合、特に質的心理学との関係で、前から現象学についてもいくつか本を読んでは来ていた。一時期熱心に概論的な書を読んでいたり、理解できたとは全く思えなかったが、多少は原点に近い書も読んだ気がする。その後は、ナラティヴ・セラピーや社会構成主義の方に自分の中で重心が移っていったものの、結構魅力的に感じていて、いろいろ考えたりもしていたのが現象学だった。ただ、特に社会構成主義とかナラティヴ・セラピーと関連付けたりしたこともなく、別々にあったのだが、今回フーコーを読む中で、両者の相対的な位置づけによって、少し面白いものが見えたような気がしたので、それを書き留める。これもまた、思想という追いきれない領域のことなので、自分の書いていることが妥当かどうかはいまいちわからないが。

知の考古学の途中で、以下の文章を読んでいた時、現象学との対比がそこにあるような気がして、イメージが膨らんできた。

『そうした「前言説的」諸経験をテクストから引き出して解き放つための努力を、最初から排除しようというわけではない。しかし、ここで問題となっているのは、言説を中立化し、言説を別のものの記号とみなしつつ、言説の手前に沈黙のうちにとどまっているものに辿り着くために言説の厚みを貫くことではなく、逆に、言説をその堅固さのうちに維持することであり、言説をそれに固有の複雑さにおいて出現させることである。ひと言で言うなら、問題はまさしく、「物」をなしで済ませることなのだ。物を「脱現前化する」こと。物の豊かで重々しく直接的な充実、習慣的に一つの言説の原始的な法則とみなされている物の充実を、払いのけること。誤謬や忘却や錯覚や無知によってのみ、あるいは信仰や伝統の惰性によってのみ、あるいは見たり語ったりしないことへのおそらくは無意識的な欲望によってのみ言説がそこから遠ざかるとされている物の充実を、払いのけること。言説以前の「物」の謎めいた財宝を、言説のうちでしか姿を現すことのない諸対象の規則的な形成によって置き換えること。それらの諸対象を、物の基底に関連づけることによって定めるのではなく、それらが一つの言説の対象として形成されることを可能にし、それらの歴史的出現の諸条件を構成するような、諸規則の総体に関係づけることによって定めること。言説的諸対象の歴史を研究するために、根源的な地盤の共通の深みのなかにそれらの諸対象を沈め込むのではなく、それらの分散を規制する諸々の規則性の連鎖関係を繰り広げること。 とはいえ、「物そのもの」の契機を省略する、とは、必ずしも、意味作用の言語学的分析を参照するということではない。一つの言説の諸対象の形成を記述する際に行われるのは、一つの言説実践を特徴づける関係設定を標定しようという試みであり、語彙の組織化や意味論的領野の区分を決定することではない。つまり、ある時代に「メランコリー」ないし「妄想なき狂気」といった語に対して与えられた意味が探索されるのでもないし、「精神病」と「神経症」とのあいだの内容上の対立が探索されるのでもないということだ。ここでもやはり、そうした分析が不当ないし不可能であるとみなされているわけではない。しかし、たとえば、どのようにして犯罪が医学的鑑定の対象となりえたのか、あるいは、どのようにして性的逸脱が精神医学的言説の可能な対象として姿を現しえたのかという問題に対して、そうした分析は関与的ではない。語彙の内容に関する分析が明らかにするのは、ある一つの時代において語る主体が自由に使える意味的諸要素であるか、あるいは、すでに発せられた諸言説の表面に現れる意味論的構造である。そうした分析は、言説実践にかかわるものではない。つまり、そうした分析は、錯綜した複数の対象が──重ね合わされていると同時に欠落のある複数の対象が──形成されたり変形されたり、出現したり消え去ったりする場としての言説実践にはかかわらないのである。 この点に関して、注釈者たちの炯眼が欺かれることはなかった。すなわち、私が企てているような一つの分析においては、物そのものと同様、言葉もやはり断固として不在であるということ、経験の生き生きとした充実への訴えがないのと同様、語彙に関する記述もないということだ。言説の手前に──まだ何も語られておらず、物が灰色の光のなかに現れ始めたばかりの場所に──立ち戻るのではない。かといって、言説が配置し自身の背後に残した諸形式を見いだすべく、言説の彼方へと赴くのでもない。そうではなくて、言説そのもののレヴェルに自らを維持すること、そこに自らを維持しようと試みることが問題なのだ。』

(『知の考古学』 「Ⅲ 対象の形成」より)

フーコーとフッサールは、時代的には、少しかぶっているくらいのようで、フッサールの方が時期としては早い。別に直接的にそう書かれていたわけではない。ただ、訳者注の中で、「主体性と歴史性とのあいだに根本的関係を打ち立てようとするフッサールの現象学的企図は、「考古学」が何よりもまず拒絶すべきものとして、本書において常に念頭に置かれていると思われる」と書かれていたのも、このイメージを結び付けたのかもしれない。この文章は、フッサールへのアンサー的な、現象学との関係において示そうとした、フーコーの自分の立場の表明な気がした。

フーコーも現象学も、ある背景において、実は重なるところがあるんではないだろうか。それはつまり、この時代において、「客体的実在」とか「科学知」の絶対性みたいなものが疑問に付されたという点である。

現象学は、主客というものについて、一つの転換を行ったものである。つまり、客観的実在はあって、それを知覚・認識する主観があるという、この主客の対比の中でいろいろなことを考えていた思想から、人間の認識はどうしたって主観から出発するしかないのだと認めること、客観的実在については何も言えないということから出発して、その思想を進めていったのだ、というのが今のところの僕の理解である。

それに対してフーコーもまた、やはりこの客観的実在や真理なるもの、絶対的な知、そういったものを否定、ないし保留している。でも、フーコーが置いた出発点は、これとは真逆のようだ。フーコーは、僕たちが言説の中に放り込まれ、それなしで何かを語ることはできないということ、「真理」や「科学知」とされているものも、そうした言説的なものの中に位置する、絶対的なものでもないということ。フーコーが置いたのは、そのような出発点だったのだろう。

いわば、客観的なものの保留という事態に際し、現象学は、一人の人の主観という個人的な体験を出発点として見出したのに対し、フーコーは社会的言説の諸関係の中にある言表というものを出発点として見出した、というのは間違いだろうか。

出発点が違えば、その後の筋道も異なってくる。現象学は、主に人の知覚や意識、自我、体験という界面において、「エポケー(括弧入れ)」という作業を通じて、それでも残った本質観取、純粋な、経験・知覚に近づいていこうと試みた(相変わらず、僕の理解が合っているかはあまり確信がないが)。

一方フーコーは、言説や言表といった界面で思考を進めた。それは、今そのような現れ方をしている言説を、言説の固有の複雑さにおいて、考古学的な仕方で明らかにするということ。その複雑さ自体を明らかにすることであった。

ある人の体験の本質的な、無駄なものをそぎ落としたものに近づいていこうとする方向性と、語られたものを社会や歴史、言説的関係の網の目の中で、そこにある複雑さを明るみに出そうとする方向性。

どちらも、客観的実在の保留から出発して、すさまじい注意深さと丁寧さでもって論を進めているのに、最初に分かたれた出発点・分水嶺によって分かたれた道を進んだようなイメージが頭の中に浮かんできて、そのことが新鮮味をもって迫ってきたので、そのことを書いておく。