私は、飢えている

私は、飢えているという少し刺激的なタイトルを書いてみた。
何かを発することでつながる言葉が生まれることを考えるのなら、今ナラティヴについて私から出る言葉は「飢えている」だと思います。
それは、様々な飢えについて言っているように思います。
一つは「知識」について
一つは「経験」について
一つは「実践」について
一つは「場」について
一つは「仲間」について

知識は、ワークショップに出たり、
本を読んだりしてある程度カバーできるように思う。

経験は、友人に頼んで、練習をさせてもらっていて、
ある程度カバーできつつあるように思う。

実践。。。これは厄介だと思っています。
私の今の仕事は、転職のアドバイス業務が半分と、
最近は営業が半分になってきてしまった。
そもそも、転職アドバイス業務の場合、就職先の知識や、履歴書の書き方のノウハウの伝授なども含まれるわけで、私が思う純然たるカウセリング業務とずれいる時間も多い。

ああ、自分が思う実践ができない、そんな焦りの日々。。。

そんな、私を救ってくれているのが、「仲間」と「場」。
仲間は、私に色んな知識を授けてくれ、悩みも共有してくれる。スーパーマンの様に勝手に思っていた人が、悩みながら現在の位置にいることを聞くことで、自分への励みにもなっている。自分の拙い提供したものが、その人に何らかの影響を与えている話も興味深い。
そんな仲間に出会える場は、私にとってオアシスの様な場所です。
そんな場所があるから頑張り続けることができているように思う。

ああ、そう考えると、書いていると、
自分の飢えがいかに局部的なものに気づいた。

この飢えが、あるからこそ、
もたらされいるものも沢山あると、今感じることができる。
「飢えと」仲良くなろう。「飢え」は、意外といいやつなのかもしれない。