ナラティヴ・セラピーWSに参加して(その1)
ナラティヴ・セラピーを友人に紹介してもらい、こうさんに出会って感じたのは、「人を大切に(respect)するってこういうことなのかな。これまで、このような感覚を体験として意識したことなかった!」でした(似たような感覚を感じたことはあるのかもしれませんが、この時は、「大切に共にいる」ことを、言葉でない部分も含めて、とても鮮明に受け取ったのです)。
そして、今回、念願のNZでのナラティヴ・セラピーWSに参加し、たくさんのことを受け取りながらも言葉にできないことも多くありました。そのような中でも、できるだけ自身の体験として残しておきたいと、少しずつ言葉にしてみることにしました。
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NZでのワークショップを振り返って、今、言葉になること
・Day1での歓迎セレモニーでいらしてくださったマオリの方達。タトゥーの理由を聞いたら、祖先とのつながりや、家族と共にいること、自然と共にあることなどと一緒に「大地とつながっていること=グランディング」があって、とても嬉しくなった。
・ナラティヴ・セラピーは、どんなプロセスを経てどう活用するかということもあるが、その根底に在り方、生き方があるんだなぁ…。 一人ひとりを大切な存在として共にいて、あるがままの「私」や「あなた」を等身大で受け止めて、そこからその人その人のペースで歩みを進めていく、そんな生き方なのかなぁと感じた。
・とはいえ、言葉の活用については、スキル的に親しむことが大事で、その背景を理解しようと努めながら、身につけていきたい。そして、NZに来る前より、最終日の方が、言葉が出るのが少しはスムーズになっていた感じがする。ナラティヴに浸る時間(=練習、こうさんの言葉で言うリフティング)を大事にしたい。少しずつ、一歩一歩…。
・クライアントが、自分の物語を語れる環境をつくるのが、セラピスト。ここの「セラピストには質問をする権利はない」という立ち位置は、大きな前提を垣間見せてくれている気がする。そして、自分自身が、物語を語る体験も、セラピスト(またはカウンセラーにとって)大事なのではないかなと感じた。
・深刻な状況をクライアントにペーシングしながらもプレイフルに展開できるか(意図はしっかり持ちながら、言葉の使い方は遊び心をもって展開できるか)。ここは、自分自身に対するプレイフル…ユーモアの感覚とつながる感じがする。ドナルドの愉快な感じがとても印象に残っている。 →プレイフルに生きて良いんだよ!みたいな感じ(もっと柔らかく生きていいよという許可のようなもの)でもある。
・“unfair”という言葉をドナルドから聞いた時に、とても心が動いた。その後、「 “unfair”から動くこともOKなんだ!」と自分の中で言葉になったところで、自身がいかに「従う」「適応する」ことに慣れ親しんでいて、意識することもない状態でここまで生きてきたのか…と改めて思った。
・何よりも、その中にいて、「心地よい」のと、「そのまま現れる自分でいられる…純粋な自分でいられる」、私にとって、ナラティヴは、そんな存在で、だから魅力を感じて、はるばるNZまで来ているのだなぁ…と思う。
・自分の体験したこと受け取ったことを、私の生きてきた道とそこからできている私というフィルターを通して、自分流に再現していこうとする取り組みが、ローカルナリッジの一部になるんだなぁ…と(ジェニーのフーコーの講義を聞いていて)感じて、ローカルナリッジの言語化に躊躇があった自分に出会った。
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あまりにも散乱した内容、かつ自己開示のような感じであることに躊躇がありますが、まずはここからスタートして、次回からは一つひとつの具体的なことについて、ぽつぽつと書いていきたいと思います。読んでくださり、ありがとうございました。