「周縁化されている人々」をテーマとしたワークショップ

ニュージーランドや日本でワークショップの企画をすることがあるので、最近ワークショップの企画について考えることがあります。
 
これは自分が何をするのかという視点ではなく、ワークショップのテーマを何にして、どのような構成にするのかという視点です。
 
その中で、世の中で「周縁化されている人々」に対する取り組みを扱うような企画ができないだろうか、とぼんやり思っているところです。
 
これは、どのように周縁化されている人々がいるのかという多様性の一部に触れる機会をつくるということ、そして、まだ自分が気づいていない、周縁化されている人々に接するときにどのような姿勢で接することができるのだろうかという、基本的な姿勢を考える機会を持つこと、などになるのでしょうか。
 
多様性の一部に触れるために、いくつかの「周縁化されている人々」に対する取り組みを紹介する必要があるでしょう。これは、「周縁化されている人々」のレパートリーを上げるとすれば、いくらでも挙げることができます。
 
「他のみんなができていることができないために苦しんでいるのは、どのような人たちでしょうか?」と尋ねたら、誰でもいくつかは挙げることができるのではないでしょうか?
ここで重要なテーマは、それぞれの領域に対する理解を深めることだけではなく、「まだ知り得ない」周縁化されている人々に思いを馳せ、出会う機会があったときにどのような姿勢で接することができるのだろうか、と考えるということです。
これは、特定の領域のことを勉強してそのことに備えるだけではないということです。それだけでは、私たちがま「まだ知り得ない」人々に対する姿勢としては不十分なのです。
そのような人々に出会う機会があったときに、自分の語り、問いかけ、反応によって、さらに周縁化しないためにはどのようにしたらいいのか、という問いかけなのです。何も聞かない、話さない、避けることによって、そのような人々は、さらに周縁化されるので、私たちはその時に発する言葉を持っている必要があるからです。