私とナラティヴ・セラピー(その1)

はじめてのナラティヴ・セラピー@東京 (2018.03.24)に参加して

 

参加する頃には、ナラティヴ・セラピーについては「問題は人ではなく、問題が問題である」という言葉を知ってはいました。

私は、短大時代にラボラトリー体験学習を学び、今もこの学びを自分の核として毎日をいきたいと思っています。

これまでに多くの学びの機会があり、共に学ぶ仲間も増えています。特にここ数年の自分の変化は大きく、心は穏やかに身体は緩やかに気持ちは正直でありたいというものになってきています。

これらの変化は、私一人で経験したものではなく、家族とのやりとりのなかで、友人との関わりで、またラボラトリー体験学習のワークショップなどに参加して得たものだと感じています。最近では、Tグループセッションでの出来事で、多様性という言葉を知っているつもりでいた自分が、知っていてもやっていないことに気づき、自分に問い直すことをしたいと思うきっかけになりました。

 

◎はじめてのナラティヴ・セラピー@東京で、「何故ここに来たのか」というアイスブレイクでの問いに対してー

 

カウンセラーでもなく、セラピストでもない私を紹介し、「ここにいてもいいのか」の私の問いにメンバーがどう応えてくれるかを待っていました。カウンセラーでもなくセラピストでもない私は、それを自分で区別しているんだとわかりつつ、何故自分がここにいるのか、何故私はナラティヴに惹かれているのかを知りたいと思いました。

私が、はじめてのナラティヴ・セラピー@東京の会場で感じたものは、これまで学んできたラボラトリー体験学習の恩師や仲間たちと似た匂い、場の雰囲気でした。この元になるのは、世界観、信念、価値観などだと思います。「とにかく対話を続けよう」という姿勢も両方に通じるものです。

私には、ナラティヴ・セラピーはこうだと言えるものにはなっていませんが、惹かれているのは、ナラティヴ・セラピーのことを私の中のラボラトリー体験学習が「これ、これ。これだよ。」と言っている感覚があるからなのだと思います。

 

◎ナラティヴ・セラピーのデモンストレーションを聞いて1ー

 

(クライアント役:臨床心理士、セラピスト役:Kouさん)

生きにくさの抜け道を探す
クライアントと共に歩む
対話をする
クライアントが未知に挑むための道を拓く
といういくつかのイメージを持ちました。

ナラティヴ・セラピーは、プロセスにおいてクライアント自身が自分の他の物語を紡いでいき、良い悪いでなく自分の存在そのものを受け容れどのように生きていく力にしていくかというアプローチなのだろうなと思います。

 

◎セラピストとしてのKouさんー

 

セラピーの時、何を感じたか。何を理解したか。どのように受け取ったか。聞いたこと、疑問を自分の口から言葉として出すことが一貫していました。

今ふりかえって、この姿勢にナラティヴ・セラピーというものを私は感じます。