人に問う質問を、自分にも問いかける

カウンセリングの場でナラティヴ・セラピーに導かれた質問をします。質問によっては、すぐに相手の返事が返ってくることもありますが、相手を考え込ませてしまい、なかなか質問が返ってこないことがあります。

その間、相手の返事を待つことがあります。その間、自分が提示した質問のことをいろいろと考えます。質問は適切だったのか、ということがもっとも気になります。自分の質問の出来がよくない場合には、その質問を訂正し、別の質問をすることもあります。

もうひとつ考えるのは、自分だったら、そのような質問に対してどのように答えるのだろうかということです。

時に、自分が提示した質問に相手が答えることができないことがあります。そのような場合、次のように伝えることがあります。

「実は、質問をして、あなたが考えてくれていた間、私もその質問について考えていました。自分ならどんなことをその質問で考えるのかということです。自分がそれについて何を考えたのか少し話してもいいでしょうか?」

質問がどのような類いのことを尋ねているのか不明瞭な場合があります。そのような場合に、私であれば、その質問を受けて、どのような答えにたどり着くのかを提示することは、その質問が問うところを明確にしてくれます。

そして「私は、このようなことをこの質問で考えたのですが、あなたはどうでしょうか?」と続け、相手に語るのを促すことができます。ここで重要なことは、言うまでもないことかもしれませんが、私が考えたことを伝えることではなく、相手の考えるのを助けることです。あくまでも、相手なりの考えを言葉にしてもらうことが大切になります。

質問というのは、取り組めば取り組むほど、興味深いものだと感じます。

質問を投げかけ、その質問でどのような類いの返事が来るのかを体感し、その体感を、自分が作り上げる質問の質を向上させるのに役立てる必要がありそうです。

「ナラティヴ・セラピーの会話術」で、春美さんとのやりとりで次のような気づきがあったと述べました。

春美さんは、私が質問をすると、その質問の意味するところをしっかりと理解しない限り、安易に答えるような人ではありませんでした。そのため、「はい」「いいえ」で単純に答えるのではなく、「はい」と言えるときは、このような時ですと、必ず「はい」が意味する領域を提示してくれました。そのような会話のやり取りは、自分が質問をする言い回しによって、相手がどのように受け取るのかという気づきをもたらしてくれます。また、カウンセリングで、子どもたちに質問をして、帰ってこないときが多々ありましたが、その時に「答えられない」のではなく、私の質問の意味するところが相手にとって明瞭ではないので、どう答えたらいいのか判断できないときもあったのだと気づくことになりました。カウンセリングのおける関係性が深まってくると、私の質問の意味を問い返せるのですが、そこに辿り着く前には、なかなか答えられないのでしょう。

ナラティヴ・セラピーの会話術

どのような質問を問いかけることができるのか? これが、ナラティヴ・セラピーにおいて、私が、もっとも取り組みたいと思っているところだと思います。

これは、「何のために問いかけるのか」という問いと切り離せないものでもあります。