読了「三訂版 アサーション・トレーニング さわかやな〈自己表現〉のために」平木典子著

日本・精神技術研究所(日精研)から、三訂版の出版に当たり、ニュージーランドまで送ってもらいました。早速読んでみましたので、少し感想を書いておきたいと思います。


本書は、1993年に初版が出版された後に、2009年に改訂版が出版され、この度2021年に三訂版が出版されたということです。実に、三十年近くにわたって、読み続けられてきています。累計15万部が売れているというのは、すごい数です。

本書があることの価値は、単にコミュニケーションの改善をするということではなく、人々に「あなたも自分のことを話す権利」があるのだということを主張してくれていることにあると思います。

少なからずの人々は、相手の顔色を見て、自分のことを伝えるのを控えてしまいます。なぜなら、自分のような立場(妻、子ども、部下)は、自分のことをいうべきではないと考えてしまうのです。そこには、個人的な考えと見せかけながら、社会文化的に当たり前とされる考え方が、そこに大きく反映されることになります。

アサーション・トレーニングを読むと、元々は、行動療法として始まったことが述べられていますので、多分、自分のことを主張する権利があることを伝えた上で、そのことができるようになる、できないままに留まるのは、その人個人のことであると見なしていたのだと想像できます。

しかし本書(三訂版)において、人々のものの見方・考え方が社会的な影響を受けていることがしっかりと述べられているのは、実に価値のあることであると思えます。人は好き好んで、伝えないのではなく、伝えてはいけないという考えをどこからか仕入れてしまったのです。

さらに、ナラティヴ・アプローチに取り組む私としては、本書が伝えようとすることが多くの人々に共有されることによって、ここで述べられる権利が、当然のことであると社会文化的に受け入れられることの意義を考えたいと思います。

たとえ、私たちに権利があったということを理解しても、他の人々がしていないのであれば、その権利を行使することはできません。たとえば、有休を取る権利があることをすべての人が知っていますが、職場の誰も取らないのであれば、有休を取れません。

この権利の話が出てから、もう30年近くになるのですから、これが当然であるということを多くの人々が受け入れてもいいのではないかと思いたいのです。しかし、今でもなお、相談業務の中で、友人からの頼まれごとを断れないんです、と悩むことを聞く機会があります。

本書では、さまざまな領域でアサーションに取り組んでいる人々の声が載せられていますが、より多く広がって欲しいと切実に願うところです。


最後にちょっとだけ、私たちは、多くの場合ものごとを過小、または過剰にしてしまうと思っています。ものごとを適切な程度にしていくのは、いつも難しいのです。アサーションは、自分のことを過小にしか伝えられない人に対して、勇気づけとなります。

一方で、すでに過剰気味に自己主張している人に対しては、相手のことを聞くことが大切なのですよ、と伝えて、過剰にならないように伝えようとしています。

自分が過小である人々は、自分が過小であることに気づいているのだと思うのですが、自分が過剰である人は、自分が過剰であることになかなか気づけないようです。そして、過小に向かう人々は、この過剰に陥ってしまう人々の対応に苦心しているのかと思います。

この構図に対してどのように取り組めるのかについては、もっと検討する余地がありそうだと思いました。


自分のことを過小にしか伝えられない人は、是非本書を読んでみて欲しいと思います。そして、本を読んだだけではできないと思うのであれば、トレーニングの場に行って欲しいと思いました。平木さんが伝えるように、これは自然にできるようになるものではなく、トレーニングが必要なものです。トレーニングを受けないとできないのかという考えがちらつくかも知れませんが、トレーニングを受ければできるのだということは勇気づけだと思うのです。