ナラティヴセラピーワークショップ5日目

こんばんは。大串綾です。
今日は、きちんと事前に保存してアップしているので、アクシデントで文章が消えてしまうことなく、安心です(笑)。
早いもので、もう5日目(講義としては4日目)が終了し、残すところ、明日の1日のみとなりました。今日と明日は、Gayle Chellによる講義と、午後はいつも通り振り返りです。

まず、今日の講義のまとめです。
\’The art of asking questions\’ 質問の仕方について、昨日のFoucault の理論ともつながりつつ、実践的な内容となっていました。
セラピストは、Not knowing positionでいるという姿勢。 「知らないことを質問する」ために、自分達が何を知らないか、ということを考えるワークをしました。答えを予想しているのに質問するのは、誠実ではなく、対等な姿勢ではないからです。(私なりの例を出すと、「もう少しがんばれますか?」は、質問のようですが緩やかな命令ですね。)
また、専門的な知識にしがみつくのではなく、緩やかに持っておくよう自分に言い聞かせるという言葉がありました。
そして、自分の専門性は、会話をすること、こんなこと知っていたのかとその人自身がおどろくようなことを引き出すこと、人々が知っていることを表現するよう人々を誘うこと、という言葉が印象的でした。私自身、あまりにClに会話のバトンを渡していると、自分の自信のなさという課題もあいまって、自分の専門性ってなんだろう…と思うことがあったからです。
また、Donaldの講義で学んだ、行動の背景には意図があり、その背景には望みや価値観がある、という通り、Clが言った言葉の意図を考える練習もしました。 明日続きを聞けるのが楽しみです。

さらに、今回の話から、PCA(パーソンセンタードアプローチ)と似ているな、とか、違うな、と感じることがあったので、私が感じた、相違点を言葉にしてみたいと思います。
正直に言うと、PCAとナラティヴセラピーにおいて、それぞれ大切にしていることは、表面的には同じように聞こえると思います。どちらも、Thが答えを持っているのではなく、Clが最適な答えを持っていると考えています。そして、Clが自分の中の答えに気づけるよう、「探索」することをセラピーであるとしています。
しかし、ナラティヴセラピーは、より哲学的な観点から世界のあり方を示して、そこからセラピストの姿勢を示しています。対して、PCAは、同じく哲学(現象学)をベースにしていると言われていますが、言葉の使い方はロジャース独自のもので、哲学から持ってきたものではありません。哲学の点から見ると、穴は多いと指摘する学者もいます。そのため、言葉の定義をめぐって議論が交わされてきました。
少し乱暴に私の意見を述べさせていただくと、ロジャース派のやり方は、感情重視で、Clにとにかく寄り添うという理想を掲げています。 Clがどんな話をしようと、判断を保留して無条件に肯定的な配慮を向けること、そして、その人の「内的照合枠」から「まるで(as if)」その人が感じているように、世界を見ることを大切にしています。
そして、目指すところは、「より十分に機能できる」ことです。自分の感情と行動が一致し、より自分らしく生きる、と言ってしまってもいいかもしれません。 ほぼ精神分析しか心理療法が存在しない時代に発表された、’The Necessary and Sufficient Condition of Theraputic Personality Change’(人格変化において、必要にして十分な条件)という論文に、あの有名な「受容」「共感」「自己一致」が示されています。
ナラティヴセラピーでは、感情に配慮は多いにありますが、世界はこう成り立っているのだから他の経験の知がClにあるはずだ、という風に、世界や言葉の成り立ちに注目して、ロジカルに話をすすめるというところが、最大の差だと感じています。
今、書きながら思ったことですが、PCAでは、6条件が揃えば治療的人格変化は起こる、という理想が掲げられていますが、それは理想なので、やや空をつかむようなところがあり、しかも100%達成することなど誰にもできないものです。さらに、その理想に近づくための方法論がほとんど示されいまま今に至っています。
この点で、寄って立つ世界観と、理想ではなく方法論を示してくれるナラティヴセラピーは、より実践的である、後世の時代で生まれたもの、という感じがします。

また、「Thが影響を与えようとする・しない」「Th主導である・ではない」という図で、PCAとナラティヴセラピーの位置付けを示した方は、PCAは、「Th主導ではない」「Thが影響を与えようとしない」心理療法であり、ナラティヴセラピーは「Th主導でない」のは同じですが、「Thが影響を与えようとする」という枠に分類されていました。とても納得しました。私が抱いた、ナラティヴセラピーの他のセラピーと違う感じは、「Thが影響を与えようとする」ことによるものが大きいと思います。

単純に比較できるものではありませんが、新しいものを理解するための土台として、PCAと比較しながら理解することは私にとって、おもしろく、より理解に近づくことができるように思います。また、PCAの一部(あるいは分離したもの)の、フォーカシング指向心理療法も、メタファーや絵の使い方などナラティヴセラピーと重なる部分があり、しかしはっきりと違いもあり、気になるところです。(フォーカシングも、Eugene Gendlinという哲学出身の心理学者が提唱したもので、ややこしい哲学を背景に持っていますが、実践的で面白いやり方です。) また、今後も、考えていきたいと思います。