となりにあるオルタナティヴな物語

「 ナラティヴ・セラピー発祥の地 ニュージーランドで感じ、学ぶ ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2018」の4日目が終わりました。
この日はGayleのセッションで、やはり2年前と配布資料などは似ていたと思います。にもかかわらず、2年前と同じか、それ以上に発見の多いセッションで、今回また新たに考えが進んだり、自分にとって刺さる言葉を受け取った気がしたので、そのいくつかを振り返り代わりに書きたいと思います。

・「人の中では、様々なストーリーが同時に起こっている。悩みのストーリーはいくらでも話せるが、他のストーリーもそのすぐとなりにある」
ここで印象的だったのが、「となりにある」という言葉です。今までもナラティヴ・セラピーをやってきたので、人の物語は、問題のそれだけでなく様々なものがある、というのは理解していたつもりでした。ただ、じゃあどこにそのオルタナティヴな物語があるのか、どうしたら見つけられるのか、というのは、今思うとそんなに具体的ではなかったと思うのです。しいて言えば、せいぜい、今語られている物語の裏にある、くらいの感覚。ただ、「悩みのストーリーのすぐ隣に別のストーリーがある」といわれるた瞬間、はっとした感じがありました。
つまり、「そうか、となりにあるのか」「となりにあるストーリーだったら見つけられるかもしれない」という印象を受けたのです。今まではそんな位置関係とかは頭の中にはなく、概念的な「ドミナントなストーリー」と、対置的に「オルタナティヴなストーリー」があるだけだったのですが、このメタファーで、物語が空間的に、すぐ隣には別のストーリーがあるようなものとして腑に落ちたのです。
「ドミナントなストーリーではなく、オルタナティヴなストーリーがあるんだ」といわれると、それを見つけるのはなんだかめちゃくちゃ難しい気がします。正直できる気がしません。でも「つらいんだ語っているストーリーのすぐとなりに、また違うストーリーがあるんだよ」といわれると、それには手が届く気がします。単なるメタファーのような気もしますが、個人的には、メタファーはとても大事に思っているし、このメタファーは僕の理解をとても助けてくれる気がします。
それに、すぐ隣に別のストーリーがあるなら、空の上にもあるかもしれないし、足元にもあるかもしれませんし。

・「ナラティヴ・セラピーの専門性の1つは質問」「セラピストがあれしろこれしろということは専門性ではない。専門性は対話の中にあて、クライエントが自分の知識を話していけるような場に招き入れること、その技術が私の専門性だと思っている」
上の言葉は、多少自分の言葉でまとめなおしてしまった感もあります。ただ、「専門性とは何か」というのは、自分にとってホットな話題だったので、これらは非常に印象的でした。
昨年度、1つの研究として、「ナラティヴ・セラピーの専門性ってなんだろう」ということを考えました。というのも、「専門性」という言葉にはどうにも「クライエントを導いて、正しくアセスメントして、適切に介入して、問題を解決する。それが専門家だ」みたいなイメージがあったし、そのようなディスコースが教育を受けていた時にあったからです。ただ、それがどうにも気に食わず、上のGayleが言ってくれたようなことを、なんとなく自分なりにたどり着いたりもしていて、ただそれについて自分の中で厚みをますために、研究という形でそれを示そうとしていました。周りのディスコースの声も強いので、抵抗したくなるし。ただ、途中でどうにも研究という形では難しい感じもあり、別の形での研究にシフトしていきました(それはそれで面白かったのでいいですが)。ただ、そこのところは結局言えずに、最近はちょっとその話題から離れていたところで、この日Gayleがさらっとそれを言ってのけたのです。
「研究なんかという形でなくても、こんな風にさらっと、自然なこととして、これを言える人がいるんだ」というのは、その言葉とその人の存在があることだけで、自分の中のその言葉に厚みが増した感じがあります。

そしてもう一つ、Gayleの言葉で印象に残っているものがあります。
「問題を解決したいという気持ちはもちろん大きくなったりする。でも、そんなとき『Gayle、問題を解決しようとするな、問題を探索しなさい』と自分に言い聞かせる」
つらい状況にいるClを見ると、解決策の模索に移りたくなることは強くあります。自分の中で、その気持ちとどう折り合いをつけられるのか、というのは、そういえばとても難しい問題でした。ただ、解決へという閉じた会話ではなく、開かれた会話にクライエントを招き入れることが自分の専門性だとさらっと言える人でさえ、「解決してあげたい」という気持ちは出てくるもので、だけどその方向に安易に向かわないことを言い聞かせているんだ、というのはとても励まされるような、勇気づけられるような感じがあるわけです。

また、こんなことも言っていました。
「専門性は、ぎゅっとにぎりしめるのではなく、ゆるやかにもっているくらいで、知らないことがあることを理解しておく」
この言葉がどんな意味なのか、実はまだよくわかっていないのですが、何かもう少し接近したい気持ちもあるので、ここに書いておきます。可能だったら明日聞いてみたいと思います。