【さもなければ語られることのないストーリーに耳を傾ける】に参加して

【さもなければ語られることのないストーリーに耳を傾ける】に参加しての直接の感想と言うより、その後の私の仕事を通して新たな視点が出来たことや感じたことがあったので、そのことをお礼として書かせて頂きます。

私の通っている学童にはA君という小学低学年の男の子がいます。その男の子は、文章を続けて読むことがたどたどしかったり、一桁の足し算や引き算も、指を使いながら行ないます。それでも答えのほとんどは間違ってしまいます。

学校から帰ってきても、他の子はランドセルをロッカーに入れて手を洗って宿題を出してというルーティーンをします。しかし、A君はランドセルを背負ったまま、宿題も机に出さず、宿題をしている子にちょっかいを出し、指導員に毎日毎日怒られていました。

毎日毎日、「ランドセルを下ろしなさい」「宿題をしなさい」「なんで解らないのかな」「違う!!違う!!」 そんな言葉が飛び交っていました。その様子を見て他の生徒も「A君って馬鹿なの?」「お前そんな問題も解けないの」という言葉が聞こえてきました。

私も、「A君がどうしたら問題を解けるようになるんだろう」とかA君の「勉強が苦手問題」を解けることができるようにしようとこの1年没頭していました。

そんな折、ナラティヴ・セラピーのワークショップに参加して、3日間、ナラティヴにどっぷり漬った後、職場である学童へ赴きました。A君が学校から帰ってきたのでランドセルを下ろした後、「A君、宿題どうする? してみる? それとも遊ぶかい?」と聞いてみました。当学童の規則で、本来ならば帰ってきたら必ず宿題の時間と決まっているので、遊ぶという選択肢はないのです。しかし本人の気持ちを聴いて見たくなって質問してみました。すると彼は「宿題をする」と言うのです。今までその選択肢を提示しなかったので、彼の宿題に対する意欲とかそういったものを聴いたことがなかったので、この答えで意表を突かれました。

そうして、いざ宿題を広げてみました。案の定、手が止まります。指で数えて、指が足りなければブロックを持ってきてやりますが、中々答えにたどり着けません。いつものパターンです。学童の職員の仕事として、「この子の宿題を終わらせなければならない」の中にいた時は、「まただ」「何でだろう」という見方に取り憑かれていました。

しかし今回は、私には彼の違う側面が見えました。

彼は、宿題を自分からすると言って、机の上に広げているのです。そして、彼にとっては恐ろしく難問である目の前の問題に、指を使い、ブロックを引っ張り出しそれでも答えにたどり着こうとしているのです。その間、他の生徒に馬鹿にされ、頭をかきむしりながら、「あぁもう全然わかんない!!」「意味わかんない!!」と大きな声を上げながらも頑張っている姿が目の前にありました。今までと同じ光景だったのにもかかわらず、別の側面が見えたのです。今まで「勉強の出来ない子」「かわいそうな子」として見ていた自分に気づかされました。彼はずっと取り組んできたのです。そのことに、私を含めた周りの大人が気づいてやれていなかった。支援していたつもりが追い詰めていたのかもしれません。

今回私は、見落とされていた彼の思いに触れられたのかもしれない。もしくは彼の思いの断片に触れることができ出来たと言ったほうがより適切かもしれません。そして、「出来ないながらも、必死に宿題に取り組んでいる」という、今まで彼の語られなかった物語が私の前に現れました。これをどのように未来につなげていけるのでしょうか。このことには取り組みたいと思います。しかし、少なくとも「勉強の出来ない子」として見ているよりは、遙かに希望につながるように見えるのではないでしょうか。そんな風に思えてます

この視点は、今回のワークショップに参加して得ることが出来たものです。そして、それがとても得がたい体験をする機会を与えてくれました。本当にありがとうございました。

松尾亨