市井の人のナラティヴ・セラピー

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大学生や社会人のキャリア支援をしているキャリアカウンセラーの「たく」です。「市井の人のナラティヴ・セラピー」の、日々のちょっとした奮闘をリアルにつづります。
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「人が問題ではなく、問題が問題である」
ナラティヴ・セラピーの考え方で、ホントに大事じゃないか、と思っているのがこの言葉。
それを身につけようと、日々考えていることと、その苦しみを前回は書きました。
「人が問題ではなく、問題が問題である」

今回は手ごたえの部分を。
ナラティヴのこの考えを身につけようと、悩みが多いながら毎日考えていました。
考えることが、実際に身近になる近道ではないかと思っているのは、国重さんの「外在化の質問法」を自分のものにするためのトレーニングの話を聴いたためです。

キャリアカウンセリングの場で、話を聴く分には日に日に相手が「豊かな物語を語ってくれている」という手ごたえを感じていたものの、まだ本当に自分のものになっているのか、という疑心暗鬼を感じていたある日のことです。

仕事場に向かう途中の駅の構内でのこと。
ホームに止まった電車に乗ろうと黄色い線の内側でおとなしく待っていたところ、「ドン」と後ろから強くぶつかられました。
思わず、前につんのめるほどの衝撃でした。
何にぶつかられたのだろうと振り向くと、30代後半くらいのスーツ姿の男性です。
その人は何人かにぶつかるのも気にせず、前のめりで一心不乱に歩いています。

その時です。
いつもなら「何だアイツ!」とムカッとしていたところが、
「何がそうさせるんだろう」と、自然と考えることができたのです。

スマホを見ていたから、ひょっとすると家族に何かあったのかも。
仕事で急がなければいけないことがあったのかも。
実際にはわかりません。
ただ、関心が「その人」ではなく「その人にさせた問題」について、しばらく考えていました。
ふと気が付くと一駅分、それにフォーカスできたことがうれしくて、ぶつかったことを忘れて、逆にうれしくなったことがありました。
ぶつかられたことよりも「ナラティヴ・セラピーが身近になった」ことの喜びが大きくて。

体調がよかった、余裕があった。
理由はいろいろとあるけれど、それでも自分は自然と「人が問題ではなく、問題が問題である」という考えが出てきた。
これこそが、自分はまた一歩ナラティヴ・セラピストに近づいた、と思った瞬間でした。

今では24時間そうした考えがしみ込んでいる…といえば格好がいいですが、そんなわけもなく。
いろいろな人に怒ったり、へこまされたりしています。
ただ、今時点では、こうしたことを繰り返しながら、すっと自分のものになっていくんだろうな、という自分自身の手ごたえを感じています。

「実は、人それぞれにナラティヴを理解し、実践しているのではないかと、著者は見ています。(中略)筆者という実践家が理解した範囲でしか、実践できないのです」
とは、国重さんの「ナラティヴ・セラピーの会話術」で書かれていた内容です。
これを励みに、自分はできるところから続けていっています。
大事なのは、毎日ナラティヴ・セラピーに触れておくこと。
そんなことを思っています。

そして、「市井の人のナラティヴ」は続いていく・・・。

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2年前にニュージーランドにナラティヴ・セラピーを学んで「これは身近なものにしてみたい!」と、日々のちょっとした等身大の奮闘などをリアルにお伝えできれば。
目標は「日常にナラティヴ・セラピーを」「市井の人のナラティヴ・セラピー」を目指して、週1回のペースで書いていくこの内容が、誰かの「ナラティヴやってみようかな・・・」という第一歩につながることを願って。
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