治療的会話の技術を向上させるために(その3)

今回は、治療的会話の技術を向上させるための、スーパービジョンの活用についてすこし考えてみたいと思います。

これまでの投稿はこちらから読むことができます。

「その1(https://narrativeassembly.com/2018/792/)」

「その2(https://narrativeassembly.com/2018/852/)」

 

2012年に「心理援助職のためのスーパービジョン: 効果的なスーパービジョンの受け方から、良きスーパーバイザーになるまで(Amazon)」というイギリスの本を翻訳出版しました。その時に、日本ではスーパービジョンの必要性については多く語られていたのですが、そのことについてしっかりと述べている書籍があまり見当たらなかったので、ニュージーランドでスーパービジョンを専門に研究している大学教員に良書を教えてもらったです。

 

今、アマゾンで「スーパービジョン」で検索してみると、この本は、最初の行に表示されますので、今でもそれほどスーパービジョンの本は出版されていないようです。

 

教育課程を終わったあと、カウンセラーの臨床をフォローし、その質を向上させるためには、スーパービジョンやカンファレンスという手法以外にあまり手段がないのですが、この本の売れ行きを見る限り、みんなスーパービジョンの方法論に興味がないようです。たぶん、多くの人が、今までの独自の臨床経験を頼りに、指導しているのだと想像しているところです。

 

私は、このスーパービジョンがもっと日本の臨床現場に根付く必要があると真に思っています。ニュージーランドでは、フルタイムで働いているカウンセラーは、二週間に一度ぐらいは、スーパービジョンを受けることを義務づけています。日本でも、少なくとも、月に一回ぐらいは受けるような状況になって欲しいと思うのです。

 

さて、このスーパービジョンですが、どんなに質のよいものを提供できたとしても、構造的にいくつかの問題を抱えています。

 

まず当然のことながら、それは「事後」のことになってしまうのです。セッションが終わったあと、暫くしてから、そのことをまとめ、スーパーバイザーのところに持っていき検討するということです。つまり、そのセッションをその時に関与できないという宿命を担います。

 

そして、そのセッションを直接見るわけではないので、口頭の説明を頼りにすることになります。そのような報告からできる関与と、実際のセッションを見てできる関与では大きな違いがあるのは想像できるのではないでしょうか。

 

ある程度熟練したカウンセラーであれば、ある程度の会話を提供することができるでしょうからいいのですが、初心のものであれば、最初のセッションにしっかりと関与しないと、関係性の構築などをしっかりとできない可能性があるでしょう。つまり、二回目がないということです。ゆえに、その後のスーパービジョンは、反省会となり、同じようなミスを繰り返さないということを話す機会になってしまいそうです。

 

ここで私は、やっとの思いで来たかもしれないクライエントの体験について思いを馳せたいのです。その人は、うまく話を受け取ってもらえず、打ちひしがれて帰ることになったかもしれないのです。この可能性を思うとき、最初からなんとかできないものだろうかと考えたくなるのは分かると思います。

 

実際のところ、教育課程である程度基本を学んだとはいえ、最初から一人でカウンセリングをさせることに、不安を覚えることは多々あるのではないでしょうか。私はニュージーランドでNPO法人を運営していて、大学で勉強している生徒の実習を引き受けることがありますが、実際のクライエントに対応してもらうのは不安なものです。

 

つまり、スーパービジョンという方法でも、その人の基本的技術があるところまで達するまで、見守っていく、支援していく、サポートしていくことが思ったようにできないのです。

 

スーパービジョンの文献の中で、この構造上の問題点ついて、しっかりと語っているものを読んだことがないのですが、ここは重要な点ではないかと考えています。

 

これまで問題意識に対して、アウトサイダーウィットネスやリフレクティングプロセスによって、対応できるのではないかと考えています。次回は、そのことについて書いてみたいと思います。