世間というディスコース

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11月18日に開催された「ニュージーランド×ナラティヴ・セラピー ~ 日本の「あたりまえ」から抜け出す時間」というイベントに参加しました。そこで感じたのですが,「あたりまえ」は,日常生活でいちいち意識することがなく,どんどん無意識に潜んでしまうと思います。また,多くの「あたりまえ」が「世間」に関わっているということを感じました。イベント終了後,もんじゃ焼きの店で話したところ,割と多くの人が「世間」に関心を抱いていることがわかりました。こうしたこともあり,「世間」についてまとめておこうと思います。

最初に,ここでいう「世間」とは日本特有のものの見方,判断基準,人間関係のことを意味しています。定義については今も議論が進んでいる最中ですが,少なくとも何らかの意味のかたまりとしてとらえることはできそうです。ナラティヴ・セラピーの立場からは,日本で見られる支配的なディスコースの中核をなしているのではないかと思います。

「世間」は,自分で取り込んだのではなく,いつの間にか刷り込まれてしまったものであり,無意識にもぐりこんでいるものだと思います。そこで怖いのは,セラピストが「世間」という支配的なディスコースを意識化できていないと、自分もいつの間にかそれを強化する側になってしまう可能性が高いということです。「世間」を無意識から完全に引っ張り出すことは難しいとしても,少しでも「世間」を意識化することでセラピストが支配的ディスコースに踊らされる割合は減ると思います。

もう一つ大切なことがあります。ほかの国で作られた理論やアプローチを日本に持ってきて使う場合,「世間」というものの特徴を把握していないと,そのまま使っていのかどうかがわからないと思います。

では,「世間」という,あまりにもあたりまえになっていて日常に潜んでしまったものを引っ張り出す方法にはどんなものがあるでしょうか?その一つが,今回参加したイベントのように異国と比較してみることだと思います。もう一つは,「慣れ親しんだものを見知らぬ異国のものにする(文献1)」ことだと思います。ここでは後者の立場を取ろうと思います。すなわち,日本の「世間」というものを,異国の人の目で見ようとする立場です。

さて,「世間」について知ろうとした場合,いったいどれだけのことを学べば良いかがわかりません。この答えを提供してくれるものとして,今,最も注目しているのは阿部謹也さんが書いた「世間」に関する複数の書籍です(文献2~4)。また,阿部さんの考えに賛同する人たちが集まり,日本世間学会が設立されました。その設立者の一人である佐藤直樹さんも「世間」に関して要領よくまとめています(文献5)。とはいえ,全体像をつかむのは簡単ではありません。

そこで,これらの書籍を読み,私なりに要点を整理し,「『世間』の4つの特徴とそれに伴って派生する特徴」という表にまとめてみました。それを添付しておきます。この表は「慣れ親しんだものを見知らぬ異国のものにする」のが第1の目的ですので,世間を否定しようとしているのではありません。まずは一人ひとりが自分や日常に潜む「世間」を外に出すことから始めようとするものです。この表については補足説明が必要だと思いますので,別途書こうと思います。なお,この表は,何人かと議論するたびに上書きしてきました。今後もどんどん変わっていくと思います。そこで,現時点のものだということを示すために右上に最終的に更新した日付を書いておきました。

 

表:「世間」の4つの特徴とそれに伴って派生する特徴

 

文献1:マイケル・ホワイト(2007)「ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生」

文献2:阿部謹也(1995)「『世間』とは何か」

文献3:阿部謹也(1997)「『教養』とは何か」

文献4:阿部謹也(2006)「近代化と世間」

文献5:佐藤直樹(2017)「目くじら社会の人間関係」

 

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