風景を違ったところから眺め、語ること

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自分の人生に関わっている、自己像、相手の人となり、問題のあり方など、いろいろと考えるはずなのですが、意外と、一方向からしか見ていないことがあります。

その位置から眺めると、目をこらしても、細部を見ようとしても、結局行き着く考え方、ものの見方は、同じようなものに落ち着いてしまうことが往々にしてあります。

それは、考えている量の問題ではなく、見ている位置の問題である、と言えるかもしれません。

例えば、ある人が問題だとしましょう。その人を、自分が見るところから見るだけでは、その人が問題であるということ以外、何も見つからない気がするのです。

でも、その人を、その人自身はどのように見ているのだろうかという、立ち位置を取るとき、そこから見えてくる風景は、まったく異なった次元のものが見えてきます。

マイケル・ホワイトの論文を読んでいると、マイケルは、この「立ち位置の変更」という作業を、実に多彩に成し遂げられるという気がしています。自分から見える風景、今のクライエントから見える風景、過去のクライエントから見える風景、将来のクライエントから見える風景。そして、第三者からみえる風景などです。

そして、マイケルは、それぞれの立場から見える風景が、実に異なっているのだということを知っていたのでしょう。それぞれの立ち位置から語られるものが異なるということを。

同じ人、同じ問題にも関わらず、立ち位置が変更されると、そのことを語る語り口も、内容も異なっていくのです。その違いが意味することを検討することが、ナラティヴ・セラピーの治療的な会話となるのでしょう。

この立ち位置の変更を、会話の中でうまく提供することができるのか、それが、治療的なアウトカムを決めていくような気がしています。

そして、それが相手に伝わるように、どのように提供できるのだろうかということを、いつも悩んでいるような気がします。

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