カウンセリングのダイアログを読むということ

ナラティヴ・セラピーのワークショップで、デモンストレーション(ライブカウンセリング)をかなりの割合でしています。それは、実際を見ることなしに、ナラティヴの会話の雰囲気を理解することができないと思ったからです。

二日間のワークショップで、このデモンストレーションが無難に終われば、あとはどうでもいいかなと思えるぐらい、時分にとって大切にしているところです。とくに緊張しているとは思わないので、山場ということでもないと思います。でも、終わればかなりホッとします。

この時、自分に言い聞かせているのは、ナラティヴ・セラピーの技法を見せるためにデモンストレーションをするのではない、ということです。技法のためにデモンストレーションをすると、対面している相手にちゃんと向き合うことなし、技法を使いたくなります。それではダメだと思うのです。やはり相手に向き合わないと。それが、いかなるカウンセリングの会話において、あるべきことだからです。

デモンストレーションですが、当初は、実際の様子を見て、感じ取れるところを感じ取ってもらえればいいのかというふうに思っていました。上のようにあえて技法を組み込もうとしてもいないので、外在化の場所を見ておいてくださいとかも言えないのですよね。

しかし、何回か繰り返していく内に、私の期待値も徐々に上がっていっています。もっと、対話のやりとりを追って欲しいとか、相手の言葉をどのように受け取っているのかについて考えて見て欲しいとか、質問が誘っている会話の方向性はなんだろうか考えて欲しいみたいなことを思い始めました。

カウンセリングのデモンストレーションは、事前に打ち合わせをしたことをすることはないので、常に行き当たりばったりです。ですので、事前にどこを見ておいて欲しいのかの指示はできません。

でも、その後のグループワークの中で、対話を読むことの力、多様性を育んでいって欲しいと思い始めました。

奥野光さんとする「マイケル・ホワイトのダイアログ」は、そこに取り組むことができたと思います。毎回、参加している人は、相当読むということができてきているような印象を持っています。

そして、これからもっと先へ進めていくためには、何が必要なんだろうかと考えているところです。ひとつは、「クライエント体験から理解するナラティヴ・セラピー(仮題)」を出版し、多様な読み方を、文章にして提示することがあります。今取り組んでいますので、来年の頭ぐらいには世に出したいところです。すでに原稿はそろっていますので、こちらは出版できると思います。

しかし、ワークショップのような場でどのような取り組みができるのでしょうか? 今、いろいろと考え始めたところです。より先に進めたい、でも、はじめての参加者もおいてけぼりにしないようにしたいという欲張りなことを考えています。

最初に読むことの経験値が上がっている人たちに、それぞれに読み方を提示してもらうことも出来るようになってきている気がするので、そのような方法でもいいですね。

または、デモンストレーションを他の人に頼み、私が読む一人として登場するかですね。

どのようなことが可能か分からずに、この文章を書き始めましたが、書いていくうちに、すこし考えがまとまり、アイデアが出てきた感じがします。

今の私のテーマであり、仮説は、ダイアログを読めるようになることが、カウンセリングにおける技術の向上につながるということです。この仮説についても、しっかりと追っていきたいと思います。