2019年3月滞在の振り返り2「ダイアログを読むということ」

【カウンセリングのダイアログを読むということ】

ワークショップで、カウンセリングのライブセッションをするようにしています。カウンセリングにおける実際のやりとりを見ることは、多くの人にとって貴重な学びの機会になると、参加者のフィードバックを通じて、実感できるようになってきています。

最初は、ナラティヴ・セラピーのカウンセリング・セッションどころか、ライブセッションそのものを見る機会が非常に限られている中で、その人なりに持っていけるものがあればいいというぐらいに思っていました。その人なりに持って行けるものがあるということ自体、実に大切なことだということは、揺るぎなく持っています。

一方で、ナラティヴ・セラピーをベースとして、カウンセリングで使う言葉にこだわってきた者として、そして、対話の場が生成的なプロセスであると信じている者として、伝わって欲しいところまで到達するのはなかなか難しいとも感じていました。ダイアログの読み方は、初見だけでは見えてこないところがあるので、ライブでは仕方がないのです。

自分で解説すればいいという話もありますが、自分のカウンセリング・セッションを自分で解説するのは実に居心地が悪いのです。だって、解説するほどに分かって発語しているとは思えないのですよね。

そこで、自分のカウンセリング・セッションのダイアログに、複数の解説者(読み手)に解説を書いてもらうような試みをしています。書籍としてまとめる予定ですので、内容についてはご期待ください。年末には出したいです。

この解説の1つを、ワークショップで取り上げました。NPACCの横山克貴くんが何度も何度も読み込んで解説を書いた文章を読むと、ダイアログがまったく違った様相を持って見えてくるようでした。そのレベルにおいて、カウンセリングのダイアログを理解できるというのは、新鮮であると同時に、大きなインパクトを与えることができたのではないかと思います。

対話を提供することを生業とする専門家は、このダイアログを理解する力を向上させることの大切さについて理解して欲しいですし、そこに取り組んで欲しいと思っています。そのためには、どのように読むことができるのかについての語りを通じて、それを可能にする言語を発展させていかなければいけないと思っています。そこをめぐる言語の発達がまだ十分ではない、と思っています。